研究員 畔蒜泰助
2018年3月18日に実施されたロシア大統領選挙において、現職のウラジーミル・プーチン大統領が76.6%の票を得て圧勝した。憲法で定められたロシア大統領の任期は6年なので2024年まで。恐らくこれが最後となるであろう4期目をまっとうすれば、彼は首相時代の4年間も含め、実に24年間もの長期にわたって、大国ロシアの最高指導者であり続けることになる。
わが国は、そんなプーチン大統領の在任中に、懸案の北方領土問題の解決を含む平和条約の締結を目指している。だが、ここにきて、ある問題が日ロ関係の行方に微妙な影を落とし始めている。日本政府が昨年末に配備導入を決定した地上配備型の新型ミサイル防衛(MD)システム「イージス・アショア」2基に対して、ロシア政府が「ロシアに直接の脅威を与えるもので、両国間の平和条約交渉にも悪影響を及ぼす」と述べるなど、これに強い懸念を示しているのだ。
そこで、本連載では2回にわたって日本の「イージス・アショア」導入配備にロシアが強い懸念を表明する真意と、そこに込められた対米メッセージを読み解いてみたい。
イージス・アショア配備は日ロ平和条約交渉問題にも悪影響
2017年12月19日、日本政府は、核・ミサイル開発を急ピッチで進め、脅威を高める北朝鮮への対抗策の一環として、米ロッキード・マーチン社製の地上配備型の新型ミサイル防衛システム「イージス・アショア」2基の導入配備計画を閣議決定した。
これに対して、同月28日、ロシア外務省のマリア・ザハロヴァ報道官は次のように述べた。
「先日の日本政府による米国のミサイル防衛システム『イージス・アショア』の日本領内への配備決定は、とても遺憾に思うと共に、深い懸念をもっている。これに対してどのような動機や論拠を挙げられたとしても、 このシステムの配備は米国が進めるグローバルな MD システムの一環として、アジア太平洋地域部分の構築へ向けたさらなる一歩 であることは明らかである。これに関して考慮すべきは、 このシステムは攻撃型ミサイルを含む全対応型のミサイル発射台をもっている ということである。つまり、例のごとく 米国による中距離核戦力全廃条約( INF 条約)違反 (下線筆者、以下同)の一つであり、日本が事実上これに協力しているということを意味する。日本政府によるこの決定は地域の平和と安定を脅かすものであると同時に、このような行為は日ロ両政府間の優先課題である政治・安全保障分野での信頼関係の形成という目的に真正面から矛盾する。残念ながら、平和条約交渉問題を含む日ロ関係全体に悪影響を与える」 [1]
実は日本が配備するMDシステムへの懸念をロシアが表明し始めたのは、少なくとも2013年まで遡る。2013年11月、第一回外務・防衛閣僚協議(「2+2」)の際、セルゲイ・ショイグ国防相が、「 日本の MD はロシアへの脅威ではないと評価しているが、米国が進めるグローバルな MD システムは、今後、アジア太平洋地域の戦略バランスを崩す恐れがあり得る 」と懸念を表明している。
だが、ここで注目すべきは、当時のショイグ国防相は、米国のグローバルなMDシステムがアジア太平洋地域の戦略バランスを崩す恐れはあり得るが、日本のMD自体はロシアへの脅威ではないと評価している点である。 [2]
ロシアによる日本のMD懸念表明は「中国への配慮」説
かねてよりロシアは米国・NATOが欧州地域で進めるMDシステム配備計画に反対している。後述するが、これについて一定の戦略的な根拠がある。ところが、日本が配備を進めるMDシステムがロシアになんら脅威を与えるものでないことは、この2013年11月当時、ショイグ国防相自身も認めるところだった。
その理由は単純明快で、サハリン州南部のユジノサハリンスクにミサイル旅団が常駐していた冷戦時代と違い、現在は沿海州とユダヤ人自治州にミサイル旅団はあるものの、配備している弾道ミサイル「イスカンダルM」や陸上発射型巡航ミサイル「イスカンダルK」はいずれも射程が500km以内の短距離ミサイルであり、本州まで到達しないからである。 [3]
そんなロシアがこの当時から、日本のMDシステム配備に反対の意を表する場合の常套句として使用し始めたのが「米国が進めるグローバルなMDシステムの一環としての日本のMDシステム」というものである。
では、なぜロシアが自国の安全保障には直接の脅威を与えない日本のMDシステムに対して事あるごとに反対の意を表するのか、これを解説する際にロシアの多くの専門家が口にしたのが、「中国への配慮」というものだった。
日本のMDシステムは北朝鮮の核・ミサイルからの脅威への対抗措置と日本政府は説明しているが、実際には中国が保有する弾道ミサイル・巡航ミサイルも迎撃対象になっている。ショイグ国防相の「アジア太平洋地域の戦略バランスを崩す恐れはあり得る」という発言には、中国に一定の配慮を払いつつ、わが国との戦略対話を深めていこうとの意図が垣間見えた。
「イージス・アショア」とINF条約違反問題
ところが、前述のとおり、昨年末の日本政府による「イージス・アショア」配備決定に対するロシアの懸念表明の度合いは、明らかに2013年当時のそれとは質的に大きく異なるものである。
米国の前オバマ政権時の2014年に勃発したウクライナ危機後、ロシアと米欧諸国の関係が劇的に悪化し、現トランプ政権下においても米ロ関係は改善するどころか、逆にさらに悪化していることから、ロシアが中国への依存度を経済的にも政治的にもより高めていることがその背景にあると見る向きがある。だが、筆者は別の見方をしている。
ここで注目すべきは、ロシア外務省のザハロヴァ報道官が日本政府の決定に懸念を表明する際に、従来からの「米国が進めるグローバルなMDシステムの一環としての日本のMDシステム」のみならず、「米国による中距離核戦力全廃条約(INF条約)違反」を付け加えていることだ。ここで、INF条約について若干の解説が必要であろう。
冷戦末期の1987年、米国のレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ共産党書記長は、射程500~5,500kmの陸上発射型の中距離弾道ミサイル並びに巡航ミサイルの全廃で合意し、INF条約に調印した。このINF条約は2010年に米ロ間で双方とも配備済みの戦略核弾頭の数を1,550発以内に抑えることなどで合意した新戦略兵器削減条約(新START)と共に、両国間の戦略的安定性を担保するうえでの最重要な軍備管理条約である。
ところが、2014年、当時の米オバマ政権がロシアによるINF条約違反の可能性を初めて指摘した。 [4] さらにトランプ政権誕生直後の2017年2月、ロシアがINF条約で禁止されている陸上発射型巡航ミサイル「ノヴァトール 9m729(NATOでの呼称はSSC-8)」の実戦配備を開始したとして、ロシアを公式に批判したのである。
これに対して、ロシア政府は自国によるINF条約違反を否定すると共に、2016年に米軍・NATOがルーマニアに配備した陸上発射型のミサイル防衛システム「イージス・アショア」に若干の修正を加えれば、中距離射程をもつ巡航ミサイル「トマフォーク」が発射可能であり、これは事実上のINF条約違反であるとして、米国を逆批判している。
そんな中、米国議会からもINF条約で禁止された中距離の射程をもつ陸上発射型巡航ミサイルの開発プログラムの立ち上げ条項を含む法案の本格審議が行われる [5] など、INF条約違反問題は、米ロ対立の大きな争点の一つになってしまっている。
わが国としては、河野太郎外務大臣を筆頭に「わが国が導入する『イージス・アショア』は、韓国が導入したTHAADミサイル(終末高高度防衛ミサイル)と違い、その運営は米軍ではなく、日本の自衛隊が行うものであり、したがって、これに『トマフォーク』を搭載するなどということはあり得ない」とロシア側に繰り返し説明しているが、今のところ、十分な理解が得られていない状況である。
つまり、日ロの平和条約交渉が、「イージス・アショア」に絡んだINF条約違反をめぐる米ロ対立の人質に取られてしまっているのである。
だが、筆者は、日本の「イージス・アショア」導入へのロシアの懸念表明には、米ロ対立という単純な構図に収まらない、ある対米メッセージが込められていると見ている。これについては、次回詳述する。
本記事の内容な筆者個人の見解であり、所属先とは無関係である。
[1] ザハロヴァロシア外務省報道官記者会見(2017年12月28日)( https://www.youtube.com/watch?v=Fet839mtCGk ) 当該部分は19:50~21:37
[2] http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/page18_000096.html
[3] Why Is Russia Aiming Missile at China? 12 July 2017, The Diplomat .
[4] INF条約によれば、射程500~5,500kmの弾道ミサイル並びに巡航ミサイルの実験・生産・配備のいずれも禁止されているが、当時のオバマ政権はロシアが実験を行っている可能性を指摘していた。
[5] Senate Approval Threatens INF Treaty. October 2017. Arms Control Today . ( https://www.armscontrol.org/act/2017-10/news/senate-approval-threatens-inf-treaty )