[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト
インドが11月初め、火星に向けた探査機を打ち上げた。2008年に実施した周回衛星による月探査に続く大プロジェクトである。今後、2020年には有人の月探査も計画しており、宇宙開発で競う米国、ロシア、中国などトップ陣営の一角を目指している。しかし、国内では依然として深刻な貧困問題を抱えているだけに、巨費を要する宇宙開発に批判的な声も強い。
「月探査の成功」から発展
インド東部のチェンナイ(マドラス)の近くに浮かぶシュリハリコタ島。11月5日、インド宇宙研究機関(ISRO)の基地から火星探査機「マンガルヤーン」(サンスクリット語で「火星への乗り物」の意味)を搭載したロケットが発射された。マンモハン・シン首相は「これは火星探査成功への第一歩であり、インドの技術獲得を証明するものだ。わが国に威信をもたらすものと信じている」との祝賀メッセージを贈った。(*1)
探査機は順調にいけば、地球の軌道を回った後、10カ月後の2014年9月に約2億kmのかなたにある火星の周回軌道に達する予定だ。重さ1.35tの探査機は、メタンガスの計測装置や熱画像の撮影装置を備えている。火星の上層大気や鉱物分布などの天体環境についてデータを取得し、分析する計画である。
インドにとって火星探査の足がかりになったのは、2008年に実施した月探査機「チャンドラヤーン」(「月への乗り物」の意味)の打ち上げだ。1年足らずで探査機のセンサーが故障して通信が途絶え、当初予定した2年間の探査計画を途中で断念したが、月の200km上空から7万枚の画像撮影に成功した。これをもとに月に氷が存在する可能性を示すデータを得ることが出来たため、ISROは「月探査は当初目的の95%は達成した」「火星探査はそこからの当然の進展だ」と位置づけている(*2)
成功すれば「アジア初」
人類は1960年から半世紀余りの間、約40回も火星探査に挑んだが、成功したのは米国、ロシア(旧ソ連)、欧州宇宙機関だけだ。日本も1998年に探査機「のぞみ」を打ち上げ、中国も2011年にロシアの協力で探査機を打ち上げたが、いずれも火星軌道に到達せず、失敗に終わった。
インドの当局者は表向き、他国との宇宙開発競争を否定するが、こと中国に対しては熱いライバル意識が働いているのが実情だろう。中国は2003年に有人宇宙飛行を実現し、2007年には月に探査機を送った。ロケットの搭載可能重量はインドより何倍も大きく、中国の比較優位は明らかだ。それだけに、インドは成功すれば、「世界で4番目、アジアで初めて」となる火星探査に力を入れてきた。
その中国は、インドの火星への挑戦をどう見ているのか。中国外務省の洪磊報道官は記者会見で、インドの宇宙開発を脅威に感じているかとの質問を否定したうえで、「国際社会は宇宙の平和利用に協力していくべきだ」とコメントした。
中国の本音を窺わせたのは、グローバル・タイムス(環球時報)の報道だ。11月5日付の社説で「インドはこの分野で中国より優位に立ち、アジアをリードする野心を抱いている」「大国になるには全般的な発展が必要だから、インドは宇宙開発も、空母や原子力潜水艦の配備もあきらめずに進めている」と論評した。(*3) とはいえ、宇宙開発でインドの追い上げは今後も拍車がかかりそうだ。2015年には金星探査、2016年には有人宇宙飛行も計画している。そして、2020年にはインドも、中国もそれぞれ月への有人探査を計画している。こうした中印の競争ぶりを米ソによる1960年代の宇宙開発競争にたとえる報道も出てきた。
衛星打ち上げ市場で存在感
インドの火星探査プロジェクトには、もうひとつの狙いがあった。割安なコストで他国のロケット打ち上げを請け負う宇宙ビジネスのアピールである。
今回の打ち上げ予算は約45億ルピー(約71億円)で、5年前の月探査の打ち上げ予算は約38億ルピー(約60億円)だった。ロケット打ち上げに200億円前後かかる日本より安いのはもちろん、中国に比べてもずっと安いという。
ロケット打ち上げの場所は、赤道に近い地点ほど地球自転の遠心力が強く働くため、インドは有利な条件にある。このため、この数年、衛星打ち上げ市場での活動を加速させている。商用や研究用など衛星打ち上げの需要は増え続け、インドではロケット1つに10機もの小型衛星を搭載することもある。有効な外貨獲得手段にもなっている。
これまで請け負った打ち上げは、英、仏、独、伊、スイス、オーストリア、デンマーク、トルコ、カナダ、インドネシア、アルゼンチンなど。欧州からアジア、南北米に渡っており、インドの全方位外交を反映した「お得意先」である。2008年にはイスラエルのスパイ衛星まで打ち上げた。
中国も他国の衛星打ち上げを請け負っているが、ナイジェリア、ベネズエラなど産油国に対する打ち上げ支援などエネルギー外交戦略がからんでいるようだ。このため、対象国はインドほど多くない。
巨額の宇宙開発予算に批判
もっとも、宇宙開発に血道をあげるインド政府には批判も出ている。総人口の3割が貧困層という状況で、宇宙に巨費をつぎ込むことを疑問視する世論である。
有力誌インディア・トゥデイは11月上旬、「火星VS貧困…われわれは栄光を享受できるのか?」と題した記事を掲載した。その中で、4割以上の子供が栄養不良で、全世帯の半分がトイレもない状況に触れ、「火星に探査機を送った国は、赤字財政などで火の車だ。そんな国が宇宙計画を持つべきなのか」と指摘した。そして「宇宙開発は一部のエリートが超大国の地位を求めて抱く妄想」とする識者の見方を紹介していた。
こうした意見に対し、ISROのラダクリシュナン会長が記者会見で強調したのは、インドの宇宙開発計画が国民の福利向上に動機づけられてきた点だった。広大な国土で通信や気象観測、航空・航海、防災、教育に役立つ衛星を開発し、打ち上げ、運用することに主眼を置き、「宇宙開発の予算は1ルピーたりとも国民の利益につながるように使われている」、「火星探査は太陽系における人類の存在を探求することに意味がある」と力説した。(*4)
だが、中印にとどまらず、各国の宇宙開発の競争が軍事利用につながらないか、新たな紛争材料にはならないだろうか。常に監視を続け、情報開示と政策の透明性を求めていくことが不可欠だ。
- (*1)The Hindu, 2013年11月6日 http://www.thehindu.com/news/national/president-pm-congratulate-isro/article5317220.ece
- (*2)BBC News India, 2013年11月5日 http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-india-24547892
- (*3)Global Times, 2013年11月5日 http://www.globaltimes.cn/content/822493.shtml#.Upg17b8WgfE
- (*4)The Hindu, 2013年11月6日 http://www.thehindu.com/news/national/every-rupee-spent-benefits-people/article5318298.ece