[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト
中国がスリランカで港や空港などインフラ建設の支援を進めている。中国がインド洋諸国で港湾インフラを支援する動きは「真珠の首飾り」戦略と呼ばれ、インドを包囲する親中ネットワークの構築を狙っている。中国はスリランカへの経済協力では日本の「指定席」だったトップドナーの座に躍進した。さらに独自の文化外交も展開しており、着々と存在感を高めている。
終結で成長軌道に
3月中旬、スリランカの商都コロンボから南部の拠点都市ハンバントタ、世界遺産で有名な城郭都市ゴール、そして北東部の港湾都市トリンコマリを訪れた。
コロンボから南に約250km行くと、インド洋に面するハンバントタの町が見えて来る。この地域はマヒンダ・ラジャパクサ大統領の出身地だが、数年前まで漁業と塩作りくらいしか産業がなかった。そこに最近、港と国際空港が相次いで建設され、スリランカ第二の玄関口に変貌しつつある。いずれも中国が建設を支援した。
中国はコロンボの国際空港と同市内を結ぶ高速道路やスリランカ西部の石炭火力発電所の建設も支援した。さらにコロンボ港の近くでは、中国企業が230haの土地を埋め立て、商業地域を建設する投資も進めている。「インド洋にチャイナタウンが出来る」と話題になっている。
スリランカは、北海道より一回り小さい国土面積に約2000万人が住む島国だ。人口はインドの60分の一に過ぎず、地下資源も少ない。そこに、中国マネーが流入する背景には、2009年のスリランカ内戦終結に伴う国際関係の変化と、その後の経済の好転がある。
内戦は、多数派のシンハラ人優遇をする政府と、少数派のタミル人の対立によって起きた。分離独立を求める武装組織「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」と政府軍が1983年に全面戦争に突入し、26年間に犠牲者は7万人以上に達した。
泥沼状態の戦いに終止符を打ったのが、豪腕で知られるラジャパクサ大統領だ。トップダウンで海運、空運のインフラを整備し、スリランカを「海のシルクロード」の要として発展させる方針を示した。内戦終結後、観光や貿易、投資が伸び、経済が成長軌道に乗り、 2013年のGDP成長率は7.3%に達した。
スリランカ全土で中国人2万5000人が就労
その一方、内戦末期に起きた政府軍によるタミル人への人権弾圧が国際的な批判を集めた。これに伴って、米欧からのODAと武器輸入は減り続けてきた。
その穴を埋めるように台頭してきたのが、中国とインドである。とりわけ中国は、経済協力も武器支援も2007年ごろから急拡大させた。
スリランカ政府はもともとインドにハンバントタ港の支援を打診したが、インドは気乗り薄だった。そこに手を差し伸べてきたのが、中国だった。
中国はミャンマー、パキスタンなどインド洋やアラビア海の国々に港の建設支援を進める「真珠の首飾り」戦略を展開している。ハンバントタは、すぐ南にインド洋のシーレーンが横切り、年に約10万隻のタンカーや貨物船が行き来する要衝だ。中国の商船や艦船の寄港地になりえ、インドの「裏庭」に橋頭堡を築く狙いもあり、支援に踏み切ったと考えられる。
ハンバントタ港の建設には中国輸出入銀行から約11億ドル、さらに空港の建設にも同じく約2億ドルの融資を提供した。中国はこうした大規模なインフラ投資を迅速に展開し、スリランカへの経済協力で2009年、日本を抜いてトップドナーになった。ちなみに2012年は中国(10億5600万ドル)、インド(7億ドル)、日本(5億2300万ドル)の順である。 (*1)
中国は労働者も自国から動員し、港と空港を合わせてピーク時には1,500人程度が働いていたという。港湾の建設事務所には「中国港湾工程有限公司」の看板があり、中国人スタッフが働いていた。ハンバントタの街には中華料理店が登場し、近くの農家は中国野菜の栽培を始めた。中国人労働者は他の事業にも大勢送り込まれ、現在、スリランカ全土で約2万5000人が就労しているという。
文化外交で海洋パワーをアピール
中国は、スリランカで文化外交にも力を入れている。2011年にはコロンボに国立芸術劇場の建設を支援して開設したほか、中国国際放送局によるラジオ放送も始めた。また、孔子学院がコロンボに開校し、中国語教育を始めた。
特筆すべきなのは、世界遺産の城郭都市、ゴールの国立博物館に2013年9月に設けられた中国コーナーだ。
展示の目玉は、明代の武将、鄭和(1371~1434)の南海遠征の資料である。鄭和は明の永楽帝の命を受け、15世紀前半に7回、南シナ海とインド洋を航海し、スリランカにも5回、訪問した。鄭和はゴールに上陸した時、中国語、タミル語、ペルシャ語の3つの言葉で書いた石碑を建てた。
このコーナーには、石碑のレプリカ、金色の鄭和像、渡航ルートを示す地図、中国から贈られた陶磁器やコインなどが展示されている。その中で興味深いのは、船の模型だ。鄭和が使った最大の船は長さ130m以上あり、コロンブスが使ったサンタ・マリア号よりはるかに大きかったことが一目で分かる。鄭和は多い時で約300隻、3万人近い乗組員を率いたという。
ヨーロッパ諸国による大航海時代、バスコ・ダ・ガマのインド航路開拓や、コロンブスの「新大陸」渡航があったのは、1490年代のことだ。こうした欧州勢の航海よりずっと早く、中国の船やイスラム商船がインド洋を大規模な船団で往来していた。
ゴールの博物館には2013年9月、中国共産党政治局でイデオロギーやメディア政策を担当する劉雲山常務委員が主賓として訪問し、中国コーナーお披露目式をした。中国側の主賓が外務省幹部ではなく、国家権力中枢の要人が来たところに、このコーナーの重要な位置づけがうかがえる。
スリランカの博物館関係者によると、中国とスリランカの古くからの繋がりをPR することにより、相互の旅行客拡大など関係拡大を進めるのがコーナー開設の直接の目的だという。だが、それ以上に大きな狙いが展示からは見てとれる。
中国は自国が15世紀の昔から高い航海術と船の建造技術を有し、古来から「海洋パワー」として縦横に活躍していたことをアピールしているようだ。特に、鄭和の航海が主に貿易拡大など平和的な目的だったことを訴え、最近の海洋進出で広がっている中国脅威論を柔らげる狙いもあるだろう。
中国の習近平国家主席は2013年10月、インドネシア、マレーシアを歴訪した。この時、鄭和の航海がこれらの国々との友好に役立ったことに触れ、「 中国は、往事をしのんで断固として平和発展の道を歩み、信用を大切にして友好関係を構築していく」と語っていた。(*2)まさに、東南アジアに根強い中国脅威論を意識した発言に違いない。
日本や東南アジアに比べれば、スリランカには中国との間で領土問題もなく、海洋パワーとしての中国脅威論はまだ、それほど強くない。むしろ、インドや米国を政治的に牽制し、日本からより多くの経済協力を引き出すのに、中国のプレゼンスは好都合かも知れない。
だが、大勢の労働者を連れて来る中国の経済協力やビジネスの手法には、「地元の仕事を奪う」との懸念が出ている。スリランカにとって中国パワー全般に対する警戒心は簡単に消えることはないようだ。
- (*1) スリランカ財務省年次報告書 http://www.treasury.gov.lk/component/content/article/26-national-planning/fiscal-policy/482-annual-report-2012-structure.html
- (*2) 駐日中国大使館ホームページ http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zgyw/t1086052.htm