[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト
インドを率いるナレンドラ・モディ首相にとって、外交と安全保障の課題も山積している。武器調達や原子力協力などを巡ってこじれた米国との関係の改善が迫られているほか、中国、パキスタンとの対話と緊張緩和、南アジア地域での隣国との関係強化など幅広い対応が必要だ。これらを進めることによって、インドがグローバルな責任大国になれるかどうか、国際社会が注目している。
南アジアの隣国外交から着手
国政の経験がなく、外交姿勢が注目されるモディ首相が6月半ば、最初に訪問した国はヒマラヤの王国、ブータンだった。
人口はわずか約70万人。「国民総幸福量(GNH)」を発展の尺度にする独自の国造りと民族文化で知られるが、経済は「インド依存」が強い。水力発電による電力をインドに輸出するのが最大の外貨稼ぎだ。安全保障でも、インドが軍事顧問団をブータン国内に常駐させ、陸軍部隊を駐屯させている。 まるでインドの保護国のような小国を初の外遊先に選んだのは、ここでも中国が影響力を強めているからだ。 ブータンは中国と国交がなく、未確定の国境問題を抱えたままである。ところが最近、中国が国境問題の解決には関係を緊密化したい、と国交樹立を強く求めている。中国はネパールとの間では鉄道を敷設する構想を持ち、ブータンとの間でも道路建設を進め、南アジアへのアクセスを強めたい思惑がある。 中国はパキスタン、スリランカ、バングラデシュなどに対し、港湾など交通インフラ建設協力を進める「真珠の首飾り」戦略を展開している。インドは自国の裏庭を荒らされる懸念を抱き、ブータンについても関係強化を進め、中国を牽制する目的で訪問を選んだと思われる。
モディ首相は5月26日の就任式に南アジア地域協力連合(SAARC、1985年設立、8カ国加盟)の全首脳を初めて招待した。隣国重視の姿勢を示すメッセージを発することによって、「偉大なるインド」を志向するヒンドゥー至上主義者の印象をソフトに転換してみせた。
SAARCを中心とする隣国外交は、一昨年に亡くなったインドラ・グジュラール元首相が南アジアの地域協力を重視して提唱し、「グジュラール・ドクトリン」と呼ばれる課題だ。しかし、印パ対立などが響いて首脳会談は延期されることが多く、途切れがちだった。また、インドが大きすぎるため、中規模国主体の東南アジア諸国連合(ASEAN)のように機動的なネットワークになりにくい。
だが、中国が南アジア市場参入への意欲を強め、今やSAARCにも日米韓などとともにオブザーバー加盟している。そればかりか、最近ではSAARCに正式メンバーとして加盟する希望を表明している。支持を示しているのは、親中国のパキスタン、スリランカ、バングラデシュ、ネパール、モルディヴの5カ国だ。SAARCの方針はコンセンサス方式で決まるため、インドが支持しなければ正式加盟は難しいが、中国の積極外交がうかがえる。
元外交官でインド国防分析研究所(IDSA)のS.D.ムニ研究員は「インドとしては自国主導による南アジアの地域統合を進めたい。だが、動きは遅い。これに比べ、中国の動きは非常に速い」と語り、モディ首相が隣国外交を積極化させる必要性を指摘している。(*1)
パキスタンとの信頼醸成が責務
就任式にはパキスタンのナワズ・シャリフ首相も招かれ、翌5月27日に45分間の印パ首脳会談が催された。就任式にパキスタン首脳が招待されたのは独立以来、初めて。首脳会談では、領土問題や貿易問題などを話し合う外務次官級協議を開くことに合意したほか、モディ首相はシャリフ首相から要請されたパキスタン訪問を受け入れた。
その一方、会談ではモディ首相がテロ問題を取り上げ、「パキスタンは自国の領土をインドに対するテロ攻撃に使わせないという約束を守る必要がある」と強く要請した。(*2)
インドは2008年にムンバイで起きたテロ事件でパキスタン人の容疑者を処刑したが、その後もパキスタンが自国に潜む容疑者の摘発をしないとして批判し、対立している。
その後、2012年にはパキスタンが貿易政策でインドに最恵国待遇を与える動きを見せ、貿易拡大の期待が膨らんだものの、再び足踏みしている。モディ首相はシャリフ首相との対話と信頼醸成によってテロ対策と経済交流を進め、地域の安定を図ることが迫られている。
パキスタン国内ではヒンドゥー至上主義のモディ首相がパキスタンとイスラム教徒に対して強硬姿勢を取るとして警戒を強める声がある。その一方、パキスタン国家安全保障顧問のサルタジ・アジズ元外相は、モディ首相とも良好な関係を構築できるとの見解を示している。(*3)
モディ首相率いるインド人民党(BJP)は、前のバジパイ政権時代の1998年、核実験を実施しながらも、その翌99年の印パ首脳会談でカシミール問題解決への努力や対話促進を確認した「ラホール宣言」を発し、緊張緩和に努めた例がある。モディ首相自身が右派だからこそ、国内の強硬派を抑え込む「腕力」もある。シャリフ首相が実業家の出身であり、経済重視の宰相であることも好材料だ。両首相が今回の首脳会談で、互いの母親への土産としてショールやサリーを贈り合ったエピソードも流れ、印パ間には明るみが兆している。 ところが、シャリフ政権によるイスラム過激派のパキスタン・タリバーン運動(TTP)の懐柔策は難航しており、6月8日には商都カラチの空港でテロ事件が起きた。これにはTTPが犯行声明を出したが、このテロ自体が「インドの謀略だ」として情報をかく乱する動きも出ている。(*4) 今後、何らかの勢力がインド国内でテロを起こしてモディ政権を硬化させ、印パ関係を緊迫化させる事態が懸念される。両首脳間の信頼醸成をしておくことが第一の備えになる。
米国との関係改善も課題
主要国のなかで、モディ政権の登場に最も複雑な立場だったのは、米国だ。モディ首相はグジャラート州首相時代の2002年に起きた宗教暴動で、多数の死者を出した責任を問われ、米国の入国ビザが停止された。今回の総選挙で首相就任が決まると、米国政府は処分を解除し、モディ首相の訪米を歓迎する姿勢を見せた。 だが、米国との間では関係修復に時間がかかりそうだ。米印原子力協力では2005年から3年がかりで協定締結を実現したが、インドが原発事故に備えて立法化した原子力賠償法の中で製造者責任を問う内容にしたため、米企業がインド原発市場に参入できないままになっている。また、総額120億ドルもの次期多目的戦闘機の受注合戦では米企業がフランスのラファール戦闘機に敗れ、米政府をがっかりさせた。経済面でもインドの規制緩和の遅れにより、米流通企業の市場参入などが低迷している。
米国では中国の対抗勢力としてインドの大国化を歓迎しており、米軍の撤退が予定されるアフガニスタンについてもインドの企業が大型投資に動くなど関与拡大に期待が強い。米国の保守系シンクタンク、ヘリテージ財団のリサ・カーティス上席研究員は「米国はインドとの関係で過去のイライラを一掃し、再活性化を図るチャンス」と指摘している。(*5)
だが、モディ首相は州首相時代に2度訪問した日本に早期訪問を検討しているのに比べ、入国が禁じられていた米国には好感を抱いていない。オバマ大統領との首脳会談は、9月の国連総会出席のためにモディ首相が訪米する際に行われると予想される。
- (*1)INDIA WRITES, “Modi visit should decide how Bhutan relates to China”, http://www.indiawrites.org/diplomacy/modi-visit-should-decide-how-bhutan-relates-to-china-s-d-muni/
- (*2)インド外務省ホームページ http://www.mea.gov.in/media-briefings.htm?dtl/23372/Transcript+of+Briefing+by+Foreign+SecretaryMay+27+2014
- (*3) International Business Times, “Should Pakistan Fear A Victory By BJP Chief Narendra Modi?” http://www.ibtimes.com/india-2014-elections-should-pakistan-fear-victory-bjp-chief-narendra-modi-1561471
- (*4) oneindia news, “Modi’s team behind Karachi airport attack, says 26/11 mastermind”, http://news.oneindia.in/india/pakistan-26-11-mastermind-hafeez-saeed-accuses-modi-karachi-airport-terror-attack-1462182.html
- (*5)The Heritage Foundation,“After the Election: Opportunity for Revitalizing U.S.-India Relations,”http://www.heritage.org/research/reports/2014/06/after-the-election-opportunity-for-revitalizing-usindia-relations