2008年10月14日開催の第4回研究会は、ゲストに慶応大学経済学部の池尾和人氏(東京財団上席研究員)を迎え、「文明と金融」をテーマに議論を行った。本プロジェクトでは、実需に基づかないバーチャルな金融取引の過度な拡大を、現代に特徴的な事象(「病理」)ではないかと仮定している。今回の研究会では、現在の世界的金融危機も踏まえ、こうした事象をどう考えるか池尾氏より専門の立場からご議論を頂いた。
冒頭、池尾氏は、C.P.キンドルバーガーの「およそ経済学の文献の中では、金融危機ほどありきたりのテーマも数少ない。・・・簡単に熱狂(manias)と呼ばれる過剰投機とそうした行き過ぎの反動としての危機、崩壊、恐慌などの激しい変動は、必ず起こるというわけではないが、少なくとも歴史的には普通に見られる現象である。」(『金融恐慌は再来するか』原著刊行1978年)という言葉を引用し、今回の金融危機も、周期的な恐慌までを含めて資本主義の自動調整作用とみれば、とくに「病理的」といえるものではないと述べた。
池尾氏によると、資本市場の機能にはいくつかあるが、そのもっとも基本は、価格に情報を最大限に織り込んで発信すること(情報発信機)である。それゆえ、資本市場が正しい姿にあるかどうかは、情報効率的な価格形成が行われているかどうかで判断されるべきであり、「実需」に基づく取引がどうかは特別に意味のあることではない。
また、投機(speculation)とは、厳密には、自らの判断の正しさに賭ける行為である。自らが集めた情報に基づいた、自らの推論の結果(将来値上がりする、あるいは将来値下がりする)が正しいことを信じてリスクをとる行為が投機であって、相場操作(manipulation)とは区別して考えなければならない。また、投機家の存在が市場の流動性の厚みを支えているという効果を考慮すれば、投機は許容される。
池尾氏によると、こうした考え方は伝統的な経済学の結論であるが、他方、近年の経済学では、期待の自己実現(オイディプス効果)の可能性の考慮など、違った観点からの議論も行われている。
続く全体議論では、こうした議論を踏まえ、ITによる取引スピードの加速や情報の増大といった視点も交えながら、現在の金融市場を文明論の観点からどう見るかについて議論を行った。
(文責:政策研究部 吉原祥子)