東京財団・GMFフェローシップ研究員
GMFの日本へのアプローチ:背景
筆者は、東京財団の支援を受け、2009年1月末から3月末までの約2か月間、東京財団・GMFフェローシップの研究員(Resident Fellow)第一号として、ブリュッセル所在のGMF大西洋センター(Transatlantic Center)に赴任した。 GMF は、1972年に、当時の西ドイツ政府が、マーシャル・プラン25周年の感謝の記として、米国に寄付した基金によって設立された団体で、モットーは、「Strengthening Transatlantic Cooperation(米欧協力の強化)」である。ドイツにとどまらず、欧州全域と北米の間の人的交流のプログラムを多数実施するとともに、外部の団体に対する各種の助成金事業を行ってきた。加えて、過去10年あまり、ケネディ(Craig Kennedy)現会長の下で、自前の研究活動を強化し、シンクタンクとしての側面を急速に強化してきた。助成や交流事業においても、バルカンや黒海地域等、地理的な活動範囲を拡大している。それにともない、スタッフの数も急増し、現在では、ワシントンDCの本部に140名程度が在籍する他、ベルリンやブリュッセル等、欧州各地に7か所の拠点を有し、総勢200名を超える規模に拡大している。筆者の滞在したブリュッセル事務所も、約20名を擁する一大拠点である。GMFの活動の中で、日本にとっても関心が大きいのは、米欧の世論調査プロジェクトである 「Transatlantic Trends」 や、毎年3月にブリュッセルで開催される政策会議である 「ブリュッセル・フォーラム」 (2009年の同会議については、 ユーラシア情報ネットワークへの筆者による投稿 を参照)であろう。
創設の経緯もあり、GMFの活動は、長年米欧関係に特化してきたが、近年、アジア諸国の興隆(the Rise of Asia)が米欧世界にとっても大きな影響を有するとの認識の下、アジアへの関心を高めてきた。したがって、GMFがアジアの問題に取り組む際、それは、同地域に関する地域研究ではなく、米欧世界への影響、とりわけ、米欧世界として、アジアの興隆に対応・反応(respond / react)すべきか、という視点が中心となる。2007年からは、毎年2回、 「ストックホルム中国フォーラム(Stockholm China Forum)」 として、米欧の実務家・専門家に中国を始めとしたアジアの実務家・専門家を加えた、中国に関する米欧対話を主催している。またGMFは、同様の対話の枠組みを、インドに関しても近く開始する予定である。
そうした文脈において、アジアのもう一つの大国である日本との関係構築が、GMFのアジェンダに上ったのである。日本自身が「rising power」であるかには疑問があるものの、利益とともに価値の共同体である米欧にとって、日本が、自由や民主主義、市場経済といった基本的価値を共有する成熟した先進民主主義国家であるという事実は、アジアとの関係を考える上で、単なるレトリック以上の実質的な意味を有しているのである。この点については異論もあろうし、また、日本の存在が、特に欧州においてアジアが議論される際、ともすれば忘れられがちであることも事実であるが、少なくともGMFとしては、上述のような認識の下に、日本との関係構築に乗り出すことになったのである。
東京財団とGMFの共同事業としての本フェローシップは、そうした文脈において、GMF側の働きかけにより開始されたものであり、GMFにとっては、新たに展開中のアジア関係のプログラムに、(中国とインドに加えて)日本という要素を注入することで、よりバランスの取れたアジアへのアプローチを実現するという狙いがあった。他方、日本側にとっては、アジア地域に比較して日本のシンクタンクや専門家のプレゼンスが低かった米欧間の知的ネットワークに参画する足がかりを得るとともに、新たな場を通じてより積極的な発信を行えるメリットがあった。米欧のシンクタンクの多くが、アジアに関する関心を中国に集中させる中、GMFによるアプローチは、日本にとってまさに「渡りに船」と言えるものだったかもしれない。
米欧世界と日本を考える視点――欧州をどう「使う」か
本フェローシップ第一号、及びGMFにおける初の日本人研究員として、GMF滞在中、筆者は、「米欧世界と日本との連接(Connecting Japan and the Transatlantic Community)」及び「NATOとアジア太平洋諸国の関係」の2つのテーマに取り組んだ。いずれも近日中にGMFの出版物として英語で刊行される予定である。詳しい内容は、それぞれのペーパーに譲りたいが、より全般的に、米欧世界と日本を考える際に必要となる視点として、一つ指摘すれば、それは、アジアや世界の問題に対処するにあたり、欧州をどう「使う(use)」のかということである。「使う」とはやや露骨な言葉かもしれないが、文字通りの意味である。国際関係においては、「パートナーシップ」、さらには「戦略的パートナーシップ」との用語が氾濫している。しかし、どんな美辞麗句を並べても、お互いが自らの利益増進のために相手を使い、それが有用であると互いに納得しなければ、レトリックとしてパートナーシップを主張することはできても、中身のある、本当の価値を有するパートナーシップは永遠に構築されないのではないか。
そうした基本認識に立ち、アジアを念頭に米欧世界と日本について考えた場合、最も欠けているのは、日本と欧州との間の(真の意味での)パートナーシップである。アジアの諸問題を考える際に、日本を含めたアジア諸国の事情のみならず、米国の政策を検討することは、日本においても日常的なことである。そして、米国自身、大西洋パワーであると同時に太平洋パワーである。しかし、同様の文脈で、アジアにおける欧州の役割を論じる機会は、EUによる対中武器禁輸問題に代表される、ごく一部の例外を除いて、ほとんどなかったのが現実であろう。
もっとも、アジア地域における欧州の役割が、アジア諸国や米国のそれに比べようもないほど限定的なことは事実である。しかしそれは、アジアの問題を考える際に欧州を無視してよいことを意味するものではなかろう。今日、アジアの諸問題への対処にあたって、「日本として欧州をどのように活用できるのか」を問うことが、日本の政策の観点、すなわち日本のためにも求められているのである。EUの対中武器禁輸解除問題の際に見られたような、「迷惑なことをしないで欲しいというのが、EUに対する唯一の期待である」といった発想は、短期的にはともあれ、中長期的には日本の利益にならない。対中武器禁輸も、EUの政策ツールの一つであるが、EUは、その巨大な経済的プレゼンスやアジア諸国との種々の協定、さらには、規範・規制の形成力等を通じ、アジア地域においても、さまざまな影響力を有している。その中には、(対中武器禁輸の解除に代表されるように)日本の利害と相容れないものもあるが、協力・調整することが日本の利益に適うはずのものも少なくない。だからこそ、欧州(EU)は使えるし、使わなければならないのである。
本欄ではこれ以上触れないが、同時に、欧州の側にも、日本をもっと「使う」という発想が必要であろう。そうでなければ、双方向の関係は築けない。日本を有効に「使う」ことが欧州自身のためであるとの前提に立てば、日本を「使う」価値を見つけることは、欧州の課題である。しかし、そのような発想で日本が自らの価値を発信する努力を行うことは、日本にとっても有益なことである。議論は始まったばかりである。そして、こうした新しい議論を交わすに際しても、GMFは興味深い場を提供できるのではないか。米国自身、中国を含めたアジアの諸問題への対処にあたって、欧州をどのように「使う」のかという課題に答えを見出せていないからである。
ネットワーク組織としてのGMF
GMFのブリュッセル事務所とは、筆者の前職である在ベルギー日本大使館専門調査員(欧州安全保障担当)時代より、業務上の接点が頻繁にあったが、今回、GMFにフルタイムで勤務し、内側から組織を体験したことは、GMF理解の観点からも、興味深かった。冒頭でも触れた通り、GMFは元来、政策研究を行うシンクタンクではなく、「基金」の名の通り、助成事業が主体の組織であった。そして、「ジャーマン・マーシャル基金」という名称故、ドイツの組織であると誤解されることもあるが、完全に米国の組織であり、仕事の仕方や考え方は、極めて米国的である。そのため、今日のGMFは、資金集めやネットワーキングを得意とした上で、豊富な資金力と素早い意思決定で、類まれな行動力を有するシンクタンクに成長しつつある。
GMFに関して特に特徴的なのは、各国の政治家とのネットワークである。ワシントンDCの本部には、議会との関係(congressional affairs)を担当する専門家チームが置かれ、キャピトル・ヒル(連邦議会)で、議員本人やそのスタッフを対象とした多数のイベントを開催している。加えて、米欧間の議員交流を支援する他、ドイツにおいては、連邦議会をターゲットとした各種の活動を行っている。ただし、これらは、いずれも超党派の活動であり、特定の政策を売り込むためのものではない。米国関係者には欧州事情、欧州関係者には米国事情のそれぞれの理解促進を支援することを通じて、全般的な米欧協力を増進に貢献することが目的となっている。
そのための基礎となるのが、強固な人的ネットワークの構築である。各種の交流プログラムについては、それを一過性のものとしないために、過去の参加者を対象とした同窓会のような枠組みをつくり、定期的な会合を実施するなどの努力が続けられている。さらに、Transatlantic Fellowとして、実務家等に期間限定のフェローシップを幅広く提供している。これに関しても、フェロー経験者を、フェローシップ終了後もGMFの活動に継続的に取り込むことで、ネットワークの維持・拡大をはかっている。それらの結果として構築されるのが、極めて強固な「フレンズ・オブ・GMF」の輪なのである。立場や主義主張が異なる人が多く含まれる他、新たな参入が多く、閉鎖的・固定的でない点も特徴である。純粋な研究機関ではないが故に、さまざまなバックグラウンドを持った人々を関与させられるという側面もあろう。
GMFが「ブリュッセル・フォーラム」のような大規模会合を開催する際も、その存在が基盤となるのである。同会議が、単なるビッグネームの寄せ集めではなく、GMFの活動へのコミットと理解の度合いの高い参加者が自発的に集まる場という要素を有しているのも、そうした背景によるものである。その代表例は、ゼーリック世界銀行総裁、マケイン米上院議員、マッケイ・カナダ国防相、サーカシヴィリ・グルジア大統領等である。たとえば2009年の会合において、彼らは、自らの登壇の機会のみに登場して、さっさと会場を跡にするのではなく、一聴衆として、会議を通じて参加したのである。そして、文字通り、朝食会から、真夜中に至る夕食後のセッションまで、議論を続けるのである。
おわりに
GMFに対しては、自らの主義主張が薄いために方向性が見えにくい、派手好き、助成事業中心に回帰すべき、といった類の批判も確かに存在する。しかし、これまでの長年の活動により、大西洋の両岸において、比類のない程の知的な人的ネットワークを築き上げてきたことは、純粋に評価すべき功績であろう。そして、GMFのネットワークを日本が活用することができれば、日本にとっても、非常に有益だと言える。GMFの活動への日本の参画は始まったばかりである。東京財団による日本人フェローのGMFへの派遣はその大きな柱であり、同事業が今後とも継続されることを願いたい。それらが、新たな人的ネットワークが形成されるとすれば、さらに大きな成果ということになろう。最後になったが、今回、本枠組みにおける第一号のフェローとして、筆者のGMFへの派遣を可能にしてくださった関係者の皆様に改めて感謝したい。