評者 渡部恒雄 上席研究員
【書評】ダロン・アセモグル、ジェイムズ・A・ロビンソン著、鬼澤忍訳『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源(上・下)』(早川書房、2013)
この本は2013年に翻訳・出版された本だが2016年に文庫化され、米国でのトランプ政権の誕生やイギリスのEU離脱など、既存の民主主義や自由経済の方向性を揺るがす大きな出来事が起きた2016年、評者の個人的な経験とも重なり、最も影響を受けた本となった。本書の仮説は、世界各国の歴史を精査すると、国家の経済的繁栄を可能にするのは、自由、公平、開放的な経済制度であり、それを支える多元的な政治制度が必要不可欠ということである。それがないと、一時は高い経済成長をしても持続的にはならないというものだ。
筆者たちは以下のように喝破する。「現代において国家が衰退するのは、国民が貯蓄、投資、革新をするのに必要なインセンティヴが収奪的な経済制度のために生み出されないからだ。収奪的な政治制度が、搾取の恩恵を受ける者の力を強固にすることで、そうした経済制度を支える」(下巻205頁)
この仮説を筆者たちは、世界の歴史から検証する。最初の着目点は、トランプ新政権誕生で注目されているフェンスで隔てられた米国のアリゾナ州ノガレスと、メキシコのソノラ州ノガレスの違いである。米国ノガレスの住民は65歳まで長生きし、高齢者向け医療保険(メディケア)の恩恵を受け、電気、電話などの公共サービスと法と秩序を当然のものとして生活している。かたやメキシコ州ノガレスの住民の平均的世帯の収入は、米国側の約三分の一で、公衆衛生は劣悪で、寿命は短く、犯罪率が高い。事業を始めるには、あらゆる許可をとり、賄賂を贈らなくてはいけない。彼らはこのような違いに注目し「貧しい国々が貧しいのは地理や文化のためでない」として検証を始める。
世界に富をもたらすための多元的な制度が生まれた世界的な転換点は、イギリスの1688年の名誉革命が担保した多元主義にあると筆者たちは指摘する。イングランド国民が政治に参加できるようになり、政治制度に多元的な性質が生まれたことが、持続的な経済成長を可能にしたというのである。なぜならば、権力者は自分の地位を脅かすようなイノベーションの芽は封印してしまうからだ。例えば16世紀のイギリスでリーという人物が靴下編み機を発明するが、エリザベス女王はこの革命的な発明に対し、機械化が職を奪い自らの政治的安定を奪うことを恐れ却下した。権力が多元的でなければ、全体でみれば有利になる経済的イノベーションも、日の目をみずに潰されるのである。
この理論は経済成長が鈍化している今の中国にも当てはまる。中国の厳しい批判者であるクレアモント・マッケナ大学のミンシン・ペイ教授も、東京財団での意見交換会で本書を引用していた。日本でも例外ではない。かつては多元的な意見が尊重され、きわめて生産的な成果を上げていた組織も、指導者が変わって自由な意見が通らない体制になったとたんに生産性が落ちだすことがある。従業員の構成や質は、大きく変わらなかったにもかかわらずだ。日本人も、未来の衰退を防ぎたければ、自らの政治や企業・組織が、多元的な意見を尊重できているかどうかを不断に問い続ける必要があろう。