鶴岡路人
研究員
決断の週に向けて
Brexitをめぐる英国議会の混迷はまだ続いている。しかし、3月29日の離脱期日を見据え、いよいよ重大な決断の時を迎える。3月11日の週には、EUとの最新の交渉結果を盛り込んだ離脱協定の採決に始まり、それが否決された場合には「合意なき離脱」の採決、さらにそれが否決された場合には離脱期日延期の要請に関する採決が連日立て続けに行われることになっている。
2018年11月にEUと英国との間で合意された離脱協定は、当初同年12月に英議会下院で採決にかけられるはずだったが、根強い反対のために承認の目処が立たないことからメイ首相は採決の延期を決定した。翌年1月に実施された採決ではしかし、与党提案の案件であったにもかかわらず、230票差という、英国史上最悪といわれる票差で否決されたのである。与党保守党からは118名にのぼる造反が出た。これを受けてメイ政権はEUとの再交渉を約束し、その努力が続けられてきた。
しかし、法的文書としての離脱協定自体の再交渉をEU側は一貫して否定しており、焦点となっているのは、将来の関係に関する政治文書の文言修正である。これは、移行期間に入った後に交渉されることになる自由貿易協定を含むEU・英国関係を定める枠組みの基本的方向性を示したものである。3月12日までに行われる予定の離脱協定に関する採決は、再交渉結果を受けたものとなる。
再交渉結果の中身は重要だが、それでも、各議員の投票行動がどこまで再交渉結果の文言によるものになるのかは若干疑問である。そもそも再交渉結果に多くは期待できないとの事情もあるが、EUからの離脱という高度に政治的な問題に関する採決である以上、そこではさまざまな政治的計算がうごめくからである。そして実際、この問題に関する政治的計算は日々めまぐるしく変化している。
変化する政治的計算
2019年1月の否決時からの変化の第1は、単純だが期日が迫っていることである。議員個人レベルにおいても、切迫感が増していることだろう。承認するにしても否決するにしても、残りの日数が少なくなればなるほど、その結果は国民生活や経済を含めて、ダイレクトに大きな影響を有してしまう可能性が高い。特に「合意なき離脱」の危険性が強調されるなかでは、再度否決することへの心理的ハードルが上昇することが考えられる。1月の投票では野党労働党からの支持は3票にとどまったが、次回はこれも若干増えるかもしれない。
第2に、離脱期日の延期や、さらには再度の国民投票(second referendum)の可能性が従来より高まっているのも、ここ数週間の新たな変化である。従来は、「現行の離脱合意(deal)」と「合意なき離脱(no deal)」が主たる選択肢だと考えられていた。そうしたなかでは、「悪い合意(bad deal)」よりは「合意なし(no deal)」の方がマシであるとの議論が頻繁に聞かれ、離脱強硬派の議員の多くが離脱協定に反対票を投じたのである。
しかし、悪影響の大きな「合意なき離脱」は避けるべきであるとの声が、与野党を問わず議会においても多数を占めている。そのため、議会では「合意なき離脱」を避けるための試みが行われてきた。
メイ首相は2月26日の議会での声明で、「合意なき離脱」に関する採決の実施を約束した。この意味するところは、「合意なき離脱」方針が議会で明示的に可決されない限り「合意なき離脱」は行わないということであった。そして、「合意なき離脱」が可決される可能性は極めて低いとみられている。首相としても、「合意なき離脱」への高まる懸念と反発に抵抗しきれなかったのである。議会の議決によらずに内閣が「合意なき離脱」を決定した場合には、多数の閣僚や閣外相による抗議の辞任が取りざたされていたとの背景もあった。それに対して強硬離脱派は、「合意なき離脱」自体への元来からの支持に加え、その可能性を残すことがEUとの交渉にも有利だと説明してきた。
現時点でも「合意なき離脱」の可能性が完全になくなったわけではないが、3月29日という当初予定の期日にそのようになる可能性は低くなったといえる。その結果、今日の主たる対立軸は、「現行合意(deal)」対「合意なき離脱(no deal)」から、「現行合意」対「離脱延期」に変化した。以前の図式であれば「合意なき離脱」を選択するが、新たな図式のもとでは「現行合意」の方を選ぶという離脱派は少なくないものと思われる。保守党内の強硬離脱派のグループである欧州研究グループ(European Research Group: ERG)のなかからも、現行合意に賛成する可能性を示唆する声が増えている。
特に強硬離脱派にとって、延期は受け入れにくいのである。というのも、離脱延期の先にはBrexit自体が取りやめになってしまうこと、すなわち「no Brexit」への懸念があるからである。メイ首相が、延期の場合でも「短期間で1回限り」である点を強調するのは、ひとたび延期してしまえばBrexit自体がなくなってしまうとの懸念に応えるためである。単純化すれば、1月に現行合意に反対票を投じた強硬離脱派の選好は、「合意なき離脱」>「現行合意」>「離脱延期」>「残留」である。前2つの投票であれば現行合意には反対となるが「合意なき離脱」を除いた選択の場合は現行合意に賛成となる。ただし、そのような合理的判断が成り立たないのがBrexitをめぐる政治的状況なのかもしれない。
延期をめぐって聞こえてくるさまざまな声も、離脱派の疑心暗鬼を生んでいる。EU側からは、短期の延期では問題の解決にならず、英国が抜本的な方針転換をするのであれば2020年末までの21カ月の延期が必要との指摘がある。また、野党労働党はコービン党首が重い腰を上げ、再度の国民投票実施を支持する方針に舵を切った。再度の国民投票の可能性は現時点では低いものの、離脱期日延期の先に国民投票があるかもしれないとの新たな可能性が生じたことは、離脱派にとっては憂慮すべき事態である。コービン自身はEUに懐疑的な政治家だが、再度の国民投票実施を求める勢力の多くは残留派であり、2016年の国民投票結果を覆すことを狙っている。だからこそ、離脱派の警戒も高まらざるを得ない。さらには総選挙の実施という議論もあるが、これを望まない議員も多数いるとみられる。
このように、選択肢の構図が変化しているのが最新の情勢であり、現行合意が「よりマシ」なものとして認識される余地が広まっているといえる。最後に焦点となるのは残留派の動きである。現行合意に対する2回目となる採決では第1回同様に反対にまわると思われるが、期日延期の後にまた「現行合意」対「合意なき離脱」の構図に戻れば、現行合意を選択することになる可能性が高まる。
変化しない現実?
2019年1月の初回の採決での票差は230あったため、協定承認に持ち込むには100名以上の議員を翻意させないといけない。これが現実的に極めて高いハードルである現実は変わっていない。
延期が事実上の残留(no Brexit)に転化してしまうことへの懸念は確かに強力だが、1月に反対票を投じた議員が立場を変えるにあたっては、やはりもう少し前向きの正当化が望まれている。焦点となるのは、英国の一部である北アイルランドとアイルランドとの間の解放された国境を確保するための「バックストップ(保証処置)」である。2020年末の移行期間終了までに他の案が見つからない場合は、英国全土をEUとの事実上の関税同盟に留めることで国境管理の必要性を回避する案であり、離脱協定に含まれている。しかし、EUとの関税同盟に反対する立場からは認めがたいし、さらに、臨時の措置といいながら英国の一存では終了させられず、まさに「抜けられない罠」 になってしまうことへの懸念と反発が大きいのである。英国側は、「バックストップ」が導入される可能性が低く、導入されたとしても期間限定の措置である点の確認を求めて再交渉に臨んでいる。
離脱協定の変更が難しいとすれば、政治宣言でどのような妥協が可能かが問われている。現実問題としては、1人でも多くの議員にとって、立場変更を正当化するための証拠として使える文言が必要だということである。「バックストップ」自体については、別の回で詳しく触れたい。
また、原理原則として、現行合意の内容よりもよりハードな離脱を求める強硬離脱派にとっては、あくまでも現行合意よりも「合意なき離脱」を目指すという道も残されている。たとえ今回は離脱が延期になっても、その後、新たな離脱協定が承認されない限り、延期された期間の最後、例えば5月末や6月末に再び「合意なき離脱」の可能性が浮上するからである。特にメイ首相がいうように、短期間の延期であればそのようなシナリオは十分に考えられる。
そこで取り沙汰されているのが、第3の道としての「制御された合意なき離脱(managed no deal)」である。「交渉による合意なき離脱(negotiated no deal)」とも呼ばれる。「合意なき離脱」のための準備を進め、関係国との間で緊急に必要となる分野の合意を二国間で行うというのである。これに対しては、「合意なき離脱」を制御するのは不可能であるといった反対論も根強い。それでも、例えばEU関係者が「合意か合意なき離脱か(deal or no deal)」の二者択一だという背景には、それ以外の選択肢、すなわち「制御された合意なき離脱」のようなものは存在しないのだと釘を刺すという意図が隠れている。
そうした情勢を受け、離脱協定については、2度目も否決であれば3度目を試みればよいとの議論も当然存在する。やはり100名以上の議員が一気に立場を変更することは難しいという認識なのであろう。しかし、おそらくこれは諸刃の剣である。というのも、3度目があるとすれば、2度目に反対することへのハードルが低下しかねないからである。
いずれにしても英国のEU離脱に関する英国内の議論は、3月11日の週に大詰めを迎える。突き放して考えれば、英国が自ら作り出した問題に、英国自身が悩み、悶え、そして期日が迫るなかで決断を迫られているだけである。それでも、これがBrexitの行方を決定づける以上、まだしばらくは英国政治の状況からは目が離せない。
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