鶴岡路人
研究員
EUの「最後通牒」
EUは3月21日から22日にかけてブリュッセルで欧州理事会(EU首脳会合)を開催し、初日の21日にBrexitに関する集中討議を行った。当初は午後のセッションのみがBrexitにあてられていたが、大幅に長引き、結局トゥスク欧州理事会議長とユンカー欧州委員長が揃って記者会見に臨んだのは、夜中の12時に近かった。
英国のメイ首相は、午後のセッションの冒頭に出席し、離脱期日の延期と、離脱協定等の解釈に関して3月11日にストラスブールで合意された文書の欧州理事会としての承認を求めた。そのうえで英議会での離脱協定審議をめぐる状況を説明し、各国首脳からの質問は2時間近くに及んだという。しかし、下院での承認の見通しがついていない状況は隠しようもなく、また、再度の採決で否決された場合の対応についても、明確な方向性を示すことができなかった。
それを受けて英国を除くEU加盟国首脳は、結局、ストラスブール合意を承認したうえで、(1)次週(3月25日の週)までに英議会で離脱協定が承認された場合は、立法などの必要な作業のため離脱日を5月22日に延期する、(2)次週までに離脱協定が承認されない場合は、4月12日までに「その後の方針(a way forward)」をEUに伝えるように求めることで合意した。延期の幅や条件については、加盟国間で激しい議論があったようである。
メイ首相は3月20日のトゥスク議長宛ての書簡で6月30日までの離脱期日の延期を求めていたが、これは拒否される格好になった。それでもどうにか、3月29日の「合意なき離脱」は回避されることになったものの、4月12日という次の期日は何とも急であるし、それが決定されたのは、メイ首相の参加していない場であった。英国の将来をEU27カ国が決める構図であり、離脱交渉におけるEUと英国との力関係を象徴的に示していた。
加えて、EU首脳は、メイ首相が期限までに離脱協定への議会の承認を取り付けられる可能性が、現段階となっては極めて小さいことを完全に理解していたようである。そうである以上、欧州理事会の決定の本質は、4月12日という「最後通牒」の発出だったといえる。そこに残された可能性は、同日の「合意なき離脱」と大幅な延期だとEU側はみている。
EUの対英不信、苛立ち、懸念
今回のEUの決定の背後にあるのは、英国に対する極めて強い不信感や苛立ちであり、さらにはEU側が損害を被ることへの懸念だといえる。メイ首相が国内どころか議会、さらには閣内すらもまとめることができず、離脱協定の承認が全く進まなかった以上、これ以上メイ首相を信用するわけにはいかないのが、EU側からみた現実であろう。4月12日と5月22日という小刻みな延期議論は、そうした不信感を反映したものである。
具体的にはまず、5月に実施される欧州議会議員選挙の手続きを4月12日までに完了させる必要がある。欧州議会議員選挙は5月23日から26日に予定されており、その時点でEUに留まっているのであれば、選挙への参加が法的な義務となる。そのため、3月中に離脱協定が承認されない場合は、4月12日までに明確な方針を示すように求めたのである。
この期日までに英国が「合意なき離脱」を選択する場合、離脱日は4月12日になるとみられる。ただし、この点は欧州理事会の結論文書上は必ずしも明確ではない。また同文書では「次週」までの議会承認が条件とされているが、4月12日までの延期はすでに承認されていると考えれば、議会承認が4月に持ち越されても、12日より前であれば許容範囲だと思われる。
なお、英議会に関しては、バーカウ下院議長が同内容の動議の再度の採決を拒否する考えを示し、離脱協定に関する3度目の採決の実施自体が危ぶまれている。しかし、議長の方針以上に高いハードルが、過半数の賛成票の確保である現実に変わりはない。メイ政権としても、過半数確保の目処が立っていないため、採決を求める状況にないとみられる。
他方で、3月中に離脱協定が下院で承認された場合も、離脱日は当初メイ首相が求めた6月30日ではなく、欧州議会議員選挙の始まる前日にあたる5月22日とされた。これも、英国に対する不信や苛立ちの結果だといえる。
欧州議会議員選挙はEU政治においては極めて重要なものであり、それまでにBrexitを片付けておきたいという政治的思惑があったのだろう。Brexitは「ウィルス」のようなものであり、その悪影響をいかに食い止めるかという発想である。加えて、選挙日を過ぎても英国が残留しつつ選挙に参加しなかった場合に、それは、欧州議会選挙に投票権を有する英国に住むEU市民の権利侵害になる恐れがあった。さらに、例えば6月末までの予定で選挙日を超えて英国がEUに残留し、選挙後に離脱日をさらに延期せざるを得ないような状況が生じた際の問題を回避するという考慮もあった。
いずれにしても、最悪の場合に備え、法的な問題が生じるリスクをあらかじめ排除しておくとの方針が貫徹されたといってよい。英国の信用はそれほどまでに失墜していたのである。
「合意なき離脱」への覚悟は?
今回の欧州理事会にいたる過程では、マクロン仏大統領などEU側の指導者から、英議会が承認しないのでれば「合意なき離脱」以外に選択肢はないといった勇ましい発言も聞かれた。しかし、「合意なき離脱」は英国と地理的に隣接している諸国――アイルランド、フランス、ベルギー、オランダなど――にとっては特に影響が大きく、可能な限り避けたいのが実情である。英国との経済関係が強いドイツのメルケル首相が、秩序立った離脱のために「最後まで戦う」と述べた背景にもそうした事情があった。「合意なき離脱」による経済的損失を避けたいのは当然である。
今回の欧州理事会での決定の結果、「合意なき離脱」の可能性は以前より高まったとの見方があり、実際そうかもしれないが、トゥスク議長が記者会見で指摘したように、英国には現行合意、「合意なき離脱」、大幅な延期、離脱意思撤回の4つの選択肢が――それぞれの現実可能性はともあれ ――残されている。EU側がさまざまな可能性を残したことも、今回の決定の特徴である。
ただし、「合意なき離脱」になる場合でも、その責任を負うのは英国であるべきだという点に関して、EU内では強いコンセンサスがある。そのためには、英国からの離脱期日延期の要請を断ることで、EUが英国を「蹴り出した」ようなイメージになることは何としてでも避ける必要がある。
あくまでもボールは英国側にある状況を維持することが求められる所以であり、3月中に議会承認が得られない場合は4月12日までに方針を説明するように求めるという発想になる。「合意なき離脱」の引き金をひくのは、英国でなければならなかった。
EUも老獪だといえるが、EUにとって重要なのは英国の将来よりも自らの将来である。指摘するまでもないだろう。「Brexitカウントダウン(4)」で議論した北アイルランド国境に関する「安全策」の文脈でいえば、たとえ小国であっても加盟国であるアイルランドの利益の方が、「第三国」になろうとする英国の利益より優先されるのである。
それでも、ボールを英国側に入れてあとは何もしないのがEUの方針だとすれば、それはEUの利益にも資さない可能性があり、その是非については批判的な検討が必要かもしれない。「合意なき離脱」がEUの利益にもならないとすれば、EUとしてできることはもっと存在するのではないかとの疑問である。しかし残念ながら、この点に関するEU側の議論はほとんどなされなかったといってよい。
停滞するEUの他の政策アジェンダ
最後にもう1点指摘すべきは、Brexitへの対応が長引くことの影響である。EUが首脳レベルから事務レベルまでこの問題への対応に時間と資源を割く結果として、他の重要な課題への対応が疎かになっているとの懸念は、これまでも度々表明されてきた。今回も、3月21日の欧州理事会ワーキングディナーでは中国について議論することが予定されていたが、翌日に持ち越しになり、時間は大幅に短縮されてしまった。3月21日深夜の記者会見では、ユンカー委員長も、産業政策、競争力などの課題をあげ、それらの政策を進めることこそが「我々の主たる任務」なのだと強調した。
英議会における離脱協定の承認が実現しない場合――そしてほとんどのEU側指導者は英議会がそれを承認するとは考えていない――は、どこかの段階で臨時の欧州理事会が招集されることになる可能性が高い。しかし、こうした状況が続くことを快く思っている欧州の指導者はおそらく1人もいない。どのような結論になるにしても、この問題に区切りをつけて、次なる課題に向かって行きたい。そうした、ほとんど「叫び」のような思いが示されたのが今回の欧州理事会だった。
今後はふたたび英国内政に注目が移ることになる。3月23日にはロンドン中心部で100万人を超えるとみられる市民による、再度の国民投票を求めるデモ行進が行われた他、メイ首相への閣内からの退陣圧力も強まるなど、文字通り騒然としているのが英国内の状況である。EU離脱意思の撤回とEU残留を求める英議会への請願は、数日で最高記録となる500 万人を超える署名を集めた。そうしたなかで、4月12日までに英国はいかなる選択を示すことができるのか。EUにとっても落ち着かない日々が続く。
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