鶴岡路人
主任研究員
EU離脱をめぐる英国政治の混迷には、いまだに終わりがみえない。大きく分裂した内閣と決められない議会の姿は、もはや見慣れた光景になってしまった感すらある。そうしたなかでメイ首相は4月2日、保守党内の強硬離脱派の説得に展望がないことをついに認め、野党労働党と合意可能な妥協案の模索に舵を切った。4月10日に予定されている臨時の欧州理事会をまえに、今度こそ本当の大詰めになるとみられるが、何らかの合意が得られるかは予断を許さない。
個々の政治家やグループとしての言動の背景には、個人の打算もあれば党利党略も当然に存在する。しかし、ほとんど袋小路ともいえる今日の事態をもたらしたのは、「離脱をしようにも、そのリスクとコストが高過ぎ、議会の過半数が合意可能な一致点が見付からない」という構造的なジレンマである。
「Brexitカウントダウン」の第6回となる今回は、メイ政権によって頻繁に言及される「主権」や「コントロール」といった言葉に注目したい。「主権を取り戻す」、「コントロールを取り戻す」といった使われ方をよく耳にする。これらの意味と、それを実現する困難さを検討することで、EU離脱プロセスにおける構造的問題がみえてくる。
「主権を取り戻す」の幻想
離脱交渉において譲れない「レッドライン」としてメイ政権が掲げてきたもののほとんどが、主権やコントロールに関するものだった。例えばヒトの自由移動の廃止は、自国の国境を自らコントロールするという意味であり、欧州司法裁判所の管轄権からの離脱とは、自国の裁判所で全てを決することを意図したものである。司法権は国家主権の根幹である。各国との自由貿易協定(FTA)の締結は、貿易政策における自律性を取り戻すことによって可能になる。
これまではさまざまな事項がEUによって決められ、英国の主体性が失われていたが、離脱後は自分のことを自分で決める。これ自体は分かりやすい議論であり、特に政治の場面においては容易に支持を集めることができるのだろう。
しかし、コントロールや主権が漠然とした概念や象徴としてではなく、現実世界の実態として何を意味し何をもたらすかには注意が必要である。結局のところ、「主権」をそれ自体「目的」として捉えるのか、実質的な影響力や自律性を確保するための「手段」として捉えるのかが問われるのだろう。
Brexitのケースでは、「主権を取り戻す」という指導者の威勢の良い言葉とは裏腹に、EU離脱後の英国の影響力――すなわち、自己決定権という意味での主権、ないしコントロール――は、大幅に低下することが見込まれる。EU離脱、すなわちEU諸条約からの離脱により、確かにそれら条約のもとでの主権の一部移譲は終了する。主権が回復するようにみえる。しかし、EU内で有していた影響力を同時に失うのである。EU加盟国としての英国は、主権の一部をEUレベルに移譲することで、EUにおける影響力を獲得し、結果として英国が単独で行使できるよりも大きな影響力を欧州、および広く世界で得てきたのである。これは、EU離脱派、なかでも強硬離脱派は認めたくない現実かもしれないが、この点への無理解こそが、Brexitをめぐる議論の最初の躓きだったといってよい。
統合によって主権・コントロールを取り戻すのがEU流
EUレベルに国家主権の一部を移譲して(プールして)進めてきたのが、「超国家的統合(supranational integration)」としての戦後の欧州統合である。統合の目的としては、不戦共同体の構築や平和、経済復興・成長、ドイツ封じ込めなど、さまざまな議論が存在するが、各国が主権の一部を自発的に放棄してきたからには、それによって何かを得てきたと考えるのが合理的である。通常であれば主権の移譲は、主権国家による主権行使の範囲――すなわち国家の影響力――の縮小を意味するに違いない。しかし、欧州統合においては、超国家的統合を進めることで、各国は影響力を取り戻したのである。
その背景には、欧州においてはたとえ大国であっても、単独では経済でも安全保障でも、国家が直面する課題に対処できないという現実と、そのことへの認識が存在していた。必要な場合には主権の一部を移譲してでも、欧州内の協力と統合を進めることで、経済復興・成長、社会経済的安定、そして安全保障を実現することができれば、それは国家にとっても利益になる。結果として、国家の権威や影響力、すなわち実質面での主権が維持、さらには強化されるのである。
『国民国家のヨーロッパ的救済(The European Rescue of the Nation-State)』[1]という、欧州統合史の大家だったミルウォード(Alan Milward)の主著の1冊のタイトルは、このことを象徴的に示すものになっている(彼が英国出身だったことは皮肉である)。国民国家(主権国家)がどれだけ救済されたかについては評価が割れるかもしれないが、統合を通じて各国は復活を遂げたのである。
また、米国の国際政治学者で、当時ネオリアリズムの旗手だったグリエコ(Joseph Grieco)は、主権国家が何故マーストリヒト条約(1993年発効)に賛成し、通貨統合という主権の大幅な移譲を受け入れたのかと問うた。EUの通貨統合は、国家間のゼロサム的な対立を前提とするネオリアリズムの前提を揺るがしかねない事例とされたのである。
グリエコは「発言機会論(voice opportunities thesis)[2]」を唱えた。国家は確かに通貨統合への参加により通貨主権(通貨発行および金融政策の権限)を失うが、それによって、かえって発言力を強めることができ、結果として主権を回復すると主張したのである。この背景には、各国が通貨主権を有していてもそれは名ばかりであり、実際には、為替相場の安定を維持し単一市場からの利益を享受するために、域内で最強通貨を有するドイツの金融政策(さらには財政政策を含むマクロ経済政策)に追従しなければならない。そうした状況よりは、(ドイツ以外の諸国にとっては)主権の一部を法的にも放棄して欧州中央銀行(ECB)を設立し、それにドイツと対等な立場で参加した方が影響力を取り戻せる。これは、相対利得の最大化というネオリアリズムの想定する国家の行動に合致するものだとグリエコは主張したのである。
各国が単独では達成できないことを統合を進めることによってEUレベルで追求し、結果として国家の「主権を取り戻す」のは、欧州統合の日常風景である。通貨統合には参加しなかったものの英国もこの恩恵を享受してきた。1980年代に当時のEC(欧州共同体)の市場統合の推進に大きな役割を果たしたのは、英保守党のサッチャー(Margaret Thatcher)政権であった。同政権は、まさに欧州を「使う」ことで、英国の経済的利益を増大させたのみならず、EU内、およびEUを通じた英国の影響力増大をも実現したのである。
離脱派の議論の矛盾
しかし、英国におけるEU離脱派の間には、「EUにおいて英国は常に不遇であり、不利益を被ってきた」との、いわば被害者意識的な基本認識が根強く存在する。EUに縛られる英国、というイメージである。だからこそ、そのようなEUから離脱して自由になりたいと考えてしまう。しかし、これは現実を反映していないどころか、矛盾に満ちた発想である。
まず、自己認識はともあれ、EUにおける英国が不遇で不利益ばかりを被ってきたと考えている他のEU加盟国はおそらく存在しない。単一通貨ユーロや国境管理に関するシェンゲンにも参加しないなど、さまざまな適用除外を確保してきたのみならず、EUへの拠出金についても、共通農業政策での裨益の少ない英国への特別措置として一部払い戻し(リベート)が認められてきた。EU諸機関における作業言語としての英語の伸長も、英国にとっては好都合だった。
英国外交については「実力以上の影響力を行使する(punching above its weight)」との表現があるが、それはEUにおいても確実に行われてきたのである。多くのEU加盟国にとって、英国の影響力は嫉妬の対象であり、「特待生」のような存在にみえていたはずである。
しかし、英国内の離脱派はそうは考えなかった。それ自体は、「隣の芝生は青い」というバイアスとして理解できるかもしれないし、帝国意識を引きずっていると批判されることもある。そのいずれだったとしても、英国が常に不利な立場にあったと考えつつ、EUからの離脱は容易であり、好条件を引き出すことができると離脱派が考えたことには、大きな矛盾があった。EU内で常に不遇で不利な立場にあったのであれば、離脱交渉でもそうなると予測する方が合理的だったはずである。離脱交渉が彼らの「想像以上」に難航したことは、英国側のフラストレーションを高める結果になった。
「ルールテーカー」への転落
一連の過程を経て明らかになったのは、離脱交渉における完全な「EU主導」の現実だった。メイ政権の無理のある「レッドライン」は次々に破られ、妥結した離脱協定は、最終的に保守党の強硬離脱派の支持を得られないようなものになってしまったのである。そもそも対等な交渉にはなり得なかったのだろう。
EUから離脱した英国が直面するのは、EUにおける意思決定に加われない悲哀である。欧州委員会も閣僚理事会も欧州理事会(EU首脳会合)も、制度上は外から眺めるだけの第三国になる。内部からの影響力行使、投票権、そして安全保障分野などにおいて有する拒否権など、全てが一夜にして失われるのである。これが英国自らの決定である以上、他国やEU側は如何ともしがたい。
関税同盟や単一市場への残留という、いわゆる「ソフトBrexit」に対しては、英国が「ルールメーカー」ではなく、発言権・投票権がないままに結果を受け入れるのみの「ルールテーカー」に陥ることへの反発が大きい。実際、英国のような欧州の大国にとっては、耐え難い屈辱的な地位であろう。
EUの単一市場には参加しながらEU加盟国ではないノルウェーのソーベルグ(Erna Solberg)首相は、2016年6月の英国の国民投票を前に、「英国がノルウェーのような地位を気にいるとは思わない」と警鐘を鳴らしていた。ノルウェーは、単一市場における規則を全て受け入れ、さらにEU予算への拠出が求められるにも関わらず、EUの政策決定には参加できないのである。「ルールテーカー」の苦しさを知っての発言だった。
「合意なき離脱」でもEUからは逃げられない
英国における強硬離脱派の議論の誤りのもう1つは、関税同盟や単一市場から離脱すれば、EUのルールを無視できると考えている論者が多いことだろう。地理的に隣接したEUとの関係は今後とも続くのである。離脱後に世界の他の地域に引っ越せるのであれば、EUとの関係や将来のEUにおける英国の影響力などは考える必要がないかもしれない。しかし現実は違うのであり、しかもEUと英国の経済規模の格差を考えれば、各種ルールにおいて、英国の側がEUに合わせることが今後とも必要になる。そうしなければ、英国の経済的利益を守ることができない。
これは、たとえ「合意なき離脱」になっても変わらない。喧嘩別れしても、そのまま縁を切ることはできないのである。欧州委員会のユンカー(Jean-Claude Juncker)委員長は4月3日の欧州議会での演説で、「合意なき離脱はコミットメント無しではない」と釘を刺し、「合意なき離脱」に至った後に英国と自由貿易協定(FTA)交渉を開始するにあたっての条件として、EU市民の権利保護、精算金の支払い、そして自由な北アイルランド国境の保証を列挙した。これらは基本的に離脱協定の内容であり、いくら否決しても、結局は逃げられないのが現実なのであろう。
こうした、EU離脱をしても「主権を取り戻す」ことはできないとの現実――別のいい方をすれば、「主権を取り戻す」観点でEU離脱は全く適切な選択ではないこと――は、離脱の決定をする前に十分に理解されている必要があった。しかし、一部の専門家や指導者を除いて、この点への認識はほとんど存在していなかったといってよい。またそうした冷静な議論が広がる状況でもなかった。
いずれにしても、EUに関する知識が決定的に不足していたのである。離脱プロセスが進むなかで、ようやく現実が理解されはじめ、「この離脱協定であればEU残留の方がまだマシだ」との声が、離脱派のなかからも聞こえるような事態に至ったのである。驚くほど無責任だが、こうして議論は「何のための離脱なのか」という振り出しに戻ることになる。メイ首相がEUに対して離脱期日の延期を要請し、それに対して欧州理事会がほとんど「最後通牒」のような形で期限を提示する。その期限を前に英国の内閣と議会が慌てふためく様子は、「主権を取り戻す」のまさに対極である。
もしこのままBrexitを迎えることになれば、離脱がどのような形式になっても、英国が「主権を取り戻す」ことはない。EUの構造を理解しないままに、安易に「主権」を振りかざしてしまった代償は限りなく大きい。サッチャー政権で長く閣僚を務め、後に副首相にもなったヘーゼルタイン(Michael Heseltine)は、2017年3月29日の英国による離脱意思伝達のEU宛書簡の発出を受け、それは「史上最大の英国の主権損失(biggest sacrifice of British sovereignty)」だと批判した。そのとおりのことが起きようとしている。「主権を取り戻す」の末路としては、皮肉どころか悲劇的だという他ない。
[1] Alan Milward, The European Rescue of the Nation-State, second edition (London: Routledge, 2000).
[2] Joseph Grieco, “The Maastricht Treaty, Economic and Monetary Union and the Neo-Realist Research Programme,” Review of International Studies, Vol. 21, No. 1 (January 1995), pp. 21-40.
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