2019年は、5年に1度行われる年金の財政検証の年に当たっている。財政検証とは、将来の人口動態と経済に一定の前提を置き、今後100年にわたる年金財政の姿を見通す重要な作業であり、いわば年金財政の定期健診といえる。前回2014年の財政検証の結果公表が6月3日であったことを踏まえると、そろそろ結果が公表されて良い時期であるが、7月の参議院選挙後になるとの見方が浮上しているとも報道されている(日本経済新聞2019年6月4日)。何れのタイミングにせよ近々公表されるはずの財政検証結果の主要なチェックポイントはどこにあるのだろうか。以下、整理した。
1. 将来の給付水準
「100年安心」がうたわれた2004年の年金改正の際、「50%を守る」というフレーズも同時に多用された。50%とは、年金用語で所得代替率といい、給付水準を表す代表的指標である。現役世代の賃金を基準として相対的な年金給付水準を表す所得代替率の考え方そのものは世界共通であるが、わが国の定義は、次の式のように分母は1人分であるのに対し、分子はサラリーマンの夫と専業主婦の妻の2人分という今となっては少数派となった世帯モデルを想定する特殊な定義になっている。しかも、分母は可処分所得、分子は税・社会保険料を差し引く前の名目と平仄も合っていない。
*数値は、2014年度
2004年改正時、所得代替率の実績は59.3%であったが、高齢化が進行する下でも年金財政を持続可能なものとするため、マクロ経済スライドという給付抑制を図る仕組みが導入された。それにより、所得代替率を引き下げつつ、少なくとも50%は維持するというのが、政府のいわば国民に対する約束となった。2009年の第1回財政検証、2014年の第2回財政検証の何れにおいても、将来の経済状況に左右されるものの、概ね将来とも所得代替率50%が維持されるという結果が示された。もっとも、それは、それは楽観的な経済前提を置くことで演出された側面を否定できない。
2019年財政検証に用いられる経済前提は既に3月に公表されている。経済が最も好調なケースから順にⅠからⅥまで6ケースあり、財政検証の結果、そのうちいくつのケースにおいて所得代替率50%を上回るのかというのが最も関心の集まるところと考えられる。それが、2004年改正時の国民への約束になっているためである。その際、次の留意が必要である。1つは、将来の所得代替率は、経済前提の置き方いかんで変わることである。2019年財政検証で用いられる賃金上昇率は、6ケース中、ケースⅠ~Ⅳの4ケースにおいては、2.1%~3.6%とマクロ経済スライドが十分に効く前提となっている。マクロ経済スライドは、ごく大まかにいえば、賃金上昇率が2%程度で推移すればスムーズに機能し、将来の所得代替率50%以上を確保できる可能性が高くなる。もっとも、過去を振り返れば、2004年改正から現在まで、賃金上昇率の実績をみるとほぼ0%であり、それゆえにマクロ経済スライドはほとんど機能してこなかった。それが一転、今後はマクロ経済スライドがスムーズに機能していくと想定する2019年財政検証の経済前提はやはり楽観的といえるだろう。よって、財政検証結果も割り引いて見る必要がある。
2つめは、仮に所得代替率50%確保という結果が示されたとしても、その意味である。そもそも、50%という数値自体、老後の生計費をもとに厳密に導かれたというより、単にキリのいい数値という程度の意味しかない。50.0%と49.9%とでは、シンボリックには極めて重要であっても、0.1ポイントの差に実態的な意味はほとんどない。加えて、わが国の所得代替率の定義は、上に述べたように特殊であり、厚生年金加入者であっても単身世帯や共働き世帯、あるいは、基礎年金の受給権しかない国民年金加入者にはあてはまらない。基礎年金が、全国民共通の給付であり、老後生活の礎としての役割が期待されていると考えると、前掲定義の所得代替率よりも、基礎年金の給付水準こそがより注目されるべきといえるだろう。
さらには、所得代替率は、65歳で年金を受け取り始める一時点の給付水準を示しているに過ぎず、年金を受け取り出してからの状況までは表してない。2004年改正以降、受け取り始めた年金額(既裁定年金という)は、消費者物価上昇率以下の引き上げ幅しか保障されないようになっている。すなわち、年金の購買力はどんどん落ちていく。人生100年時代ともなれば、それはより深刻となる。
2. オプション試算
将来の給付水準とともに注目すべきなのが、オプションとして行われる試算である。政府の審議会資料(社会保障審議会年金部会2019年3月13日)をみると、次の3つが掲げられている。
①年金額改定ルールの見直し
②被用者保険の更なる拡大
③保険料拠出期間の延長と受給開始時期の選択化
このうち、①は2016年12月に成立した年金改正法の効果を検証するものであり、②と③が、今後の制度改正を展望して行われるものである。②と③の何れも多くの論点を含んでいる。②は、厚生年金保険の加入要件をさらに拡大するものである。わが国の年金制度は、国民年金、厚生年金保険、共済組合の3つに大きく分立している。国民年金制度は、もともと自営業者や農林漁業者を主な加入者として想定した制度であり、保険料は月16,410円の定額負担、給付は月約6.5万円(2019年)の基礎年金のみである。この国民年金の就業別加入者をみると、いまや雇用者が最大のウェイトを占めるようになっている。定年制もある雇用者の年金として、国民年金制度の内容は負担と給付両面において貧弱である。そこで、国民年金制度に加入している雇用者を、保険料は労使折半であり、給付は基礎年金に加え、厚生年金もある厚生年金保険への加入を促進しようとするのが被用者保険の更なる拡大の目指すところである。
もっとも、現行制度を所与とすれば限界がある。オプション試算では、厚生年金保険に加入する収入要件月88,000円(従業員規模501人以上の企業の場合)を引き下げる試算も出されるものと予想される。88,000円の給与で負担している厚生年金保険料は、月16,104円(労使計)であり、国民年金保険料とほぼ同水準である。これは、厚生年金保険加入者と国民年金加入者との間で公平性が保てるように設計された結果である。仮に、88,000円の収入要件を引き下げてしまうと、厚生年金保険加入者のなかには、国民年金加入者より安い保険料負担(しかも半分は事業主負担)で基礎年金のみならず、厚生年金を受け取れる人が出て来てしまう。これでは制度間の公平性が保てない。
③の保険料拠出期間の延長も、多様な論点を含む。現在、国民年金制度の保険料拠出期間は20歳~60歳となっている。年金支給開始年齢が65歳となり、高齢者雇用も浸透するもと、老後の年金受取額を底上げする意味でも、保険料拠出期間を延長するのは有力な選択肢の1つと考えられる。もっとも、次のような論点がある。1つは、仮に、保険料拠出期間を65歳到達時まで延ばした場合、当然ながら、その分、保険料負担の増加になるということである。保険料負担をするより、自らの貯蓄を望む人も少なくないであろう。
2つめは、国庫負担すなわち国の一般会計における歳出が増えることである。現行の年金制度は、約23.6兆円(2017年度)の基礎年金の給付財源の2分の1は国庫負担で賄われている。今後、40年を超える加入期間の年金受給者が増えるにつれ給付費が増えれば、その分国庫負担も増えることになる。2014年財政検証の際も、同様のオプション試算が行われており、それによれば、2030年時点で0.4兆円、2040年で1.4兆円(何れも名目値)、それぞれ追加的な国庫負担が必要になるとされている。わが国の財政状況は極めて厳しく、こうした追加財源をいかに賄うかが併せて議論されなければならない。そのほか、基礎年金と厚生年金との給付バランスが変わり得ることも論点としてあげられる。
このように、財政検証結果には、主なものに限定してもこれだけのチェックポイントがあり、留意すべき点がある。速やかに国民の前に財政検証結果が示され、その理解の深化と改革に向けた議論が進められなければならない。