鶴岡路人
主任研究員
2019年10月31日のEU離脱期日を控え、英国議会は9月9日をもって閉会(prorogation)に入った。これはジョンソン(Boris Johnson)政権の決定であり、10月14日の女王演説によって議会の新たな会期が始まることになる。2016年6月の国民投票以来、英国政治を文字通り根底から揺るがしてきたBrexitの期限が刻一刻と迫るなかでの閉会である。
そのため、閉会で小康状態が訪れるというよりは、閉会中なだけに何が起こるかさらに分からないという方が現実に近く、緊迫の度合いは日を追って増している。政権側は否定するが、議会閉会は、Brexitに関する議論封じだと受け止められている。この措置の合法性を巡ってはすでに法廷闘争になっており、スコットランド最高裁は議会閉会の目的を問題視し、「違法(unlawful)」だとの判断を示している。
Brexitをめぐる英国政治の現段階に関する多くの論点のなかから、今回は、「合意なき離脱」を辞さないとするジョンソン政権とそれに反対する勢力との攻防を検討する。焦点となるのは、ジョンソンが何を目指しているのかである。なぜ10月31日のEU離脱に固執するのか。そして、ジョンソンはEUとの再交渉に本気なのだろうか。
「離脱延期法」の成立
ジョンソンは、保守党党首選の期間中から、「合意なき離脱」をためらうべきではなく、10月31日には、合意がなくても離脱すると訴えてきた。「合意なき離脱」の可能性が高まったのはそのためである(合意なき離脱をめぐる諸問題については、「Brexitカウントダウン(16)『合意なき離脱』の実像」2019年8月9日)。
他方でジョンソンのそうした姿勢は、「合意なき離脱」に反対する勢力の懸念を強め、野党労働党、自由民主党と、与党保守党内の「合意なき離脱」に反対する議員の連携を促すことになった。その結果が、夏休み明けの議会で1週間に満たない期間で成立したいわゆる「離脱延期法」(正式名称は「2019年欧州連合(離脱)法(第2)」)である。同法は、10月19日までにEUとの新たな合意が議会で承認されるか、「合意なき離脱」が承認されない限り、首相はEUに離脱期日の延期を要請しなければならないと規定した。首相の手を縛り、確実な延期要請を実現するために、EU(欧州理事会議長)宛の延期要請書簡のテンプレートまで添付されている。
野党側は、ジョンソンがあの手この手で抵抗することを見据えて、考え得る抜け道を徹底的に塞ごうとしたのである。ジョンソンへの信頼はそれほどまでに低い。
◼️「離脱延期法」に添付された延期要請書簡のテンプレート[1]
議会での審議段階でジョンソンは、これをEUへの「降服法案(surrender bill)」と呼び、反発を強めた。EUから譲歩を引き出すには、英国が「合意なき離脱」をいとわない覚悟を示すことが不可欠であり、それを排除してしまっては交渉の手が縛られるというのである。こうした主張がどこまで妥当かの検証は難しいが、英議会が「合意なき離脱」を阻止してくれるだろうとの期待がEUの一部にあったのは事実であり、交渉の障害になっていた側面は否定できない。
実際、EU側は「離脱協定(Withdrawal Agreement)」の再交渉をかたくなに拒否してきたが、焦点となっている北アイルランド国境に関する「安全策(バックストップ)」の代替策があれば、英国側が提案すべきだとの立場に変化している。安全策は離脱協定の一部であるため、離脱協定再交渉の扉が事実上開いたことになる。
10月31日に固執するジョンソン
ただし、ジョンソン首相からは、北アイルランド国境問題に関する具体策よりは、「何があっても離脱は延期しない」、「[延期するのであれば]のたれ死んだ方がましだ」という戦闘的な発言ばかりが目立つ。
党首選の期間からそうした妥協の余地のない発言を繰り返してきたため、首相になった後に現実路線に転じる余地がなくなったとの見方も可能だろう。自分で自分の首を絞めてしまったというのである。筆者も本連載で以前にこの危険性を指摘したが(「Brexitカウントダウン(15)ジョンソン政権の多難な船出」2019年7月24日)、その後の言動から判断するに、ジョンソンは、少なくとも現時点では本心で10月31日の離脱を望んでいるのではないか。
ジョンソンには過去に「くたばれ経済界(f**k business)」といった発言もあり、「合意なき離脱」による経済的混乱・悪影響を軽視していることは確実である。何が起きようともEU離脱を成し遂げることが、ジョンソンの政治家としてのアイデンティティにすでになっているのだろうし、選挙を考えても、これを貫く方が有利だと信じているのだろう。少なくとも、離脱延期で内政上有利になる要素はジョンソンにはない。
そのために、ジョンソンは離脱延期法案に対抗して、議会下院解散の動議を2度にわたり提出し、選挙の実施を狙ったのである。任期途中で議会を解散するためには議会で3分の2の賛成が必要であり、ジョンソンの提案はいずれも拒否された。野党の多くは棄権することになった。「合意なき離脱」を確実に回避することが先決だというのである。
ジョンソンによる解散動議は、「離脱延期法」を受けてのいわば反撃だったが、同時に、保守党が選挙に勝利する可能性が低くないのも事実である。野党の立場は、「合意なき離脱」への反対、再度の国民投票の実施、さらには離脱撤回(残留)などに割れており、英国における小選挙区制を考えた場合に、与党保守党に有利であると考えるには十分な根拠がある。選挙結果の予測の困難さは、メイ(Theresa May)首相のもとで解散総選挙に打って出ながら保守党が単独過半数を失った2017年の選挙でも示されたものの、野党側の態勢が整っていないことは否定しようがない。
それでも改めて強調すべきは、ジョンソンによる一連の行動が、ジョンソン政権の強さの証ではなく、弱さの象徴だという点である。追い込まれたために、議会閉会を含む奇手に頼らざるを得ない。それでも、「何をするか分からない」ジョンソンを、「合意なき離脱」反対派をはじめとする野党勢力は警戒する。そのため野党勢力間で協力体制が進み、それに対抗してジョンソン側がまた反応するという構図である。
これは国際関係でいうところの「安全保障のジレンマ」――自国の防衛態勢強化が相手国には脅威として認識され、それへの対抗策として相手国も防衛態勢の強化を図るため、結果として自国の安全保障が改善しないとの構造――にも近い。両者の間の信頼が欠如していることも、「安全保障のジレンマ」を深刻化させる。Brexitをめぐる与野党の関係もまさにそうである。
ジョンソンはEUとの新たな合意に本気なのか?
ジョンソン首相は、就任後1ヶ月間は外交の表舞台には登場しなかった。夏休みの時期と重なったのは事実だが、EU各国首脳と腹を割って話し合いたいのであれば、各国首脳の休暇先に押しかけることも可能だったかもしれない。ジョンソンがようやく動き出したのは、8月下旬のベルリンとパリ訪問であり、メルケル(Angela Merkel)独首相、マクロン(Emmanuel Macron)仏大統領と相次いで会談した。
ジョンソンとの共同記者会見でメルケルが、「30日以内に合意に達することが可能」と述べたことが、ドイツの立場の軟化だと一部で報じられた。しかし、「ボールは英国側にあるが、英国に具体的提案はない」という、従来からの構図は変わっていない。
独仏訪問の後、仏ビアリッツで開催のG7首脳会合では、EUのトゥスク(Donald Tusk)欧州理事会議長とも会談した。そうして8月末には、Brexitの行方に関して従来より楽観的な空気がEU側にも一時広がることになった。しかしこれは、新たな合意が成立することへの楽観論ではなく、少なくとも真剣な交渉が行われるのではないかとの期待感だった。当初の期待値が低すぎただけともいえるが、そんな楽観論すら、すぐに霧散することになる。上述の議会閉会や、「離脱延期法案」へのジョンソンの過激なまでの反発は、EUとの交渉機運を消滅させるのに十分だったのである。
そうしたなかで、9月7日にはラッド(Amber Rudd)雇用・年金相が辞任した。首相宛の辞任書簡でラッドは、ジョンソン政権が発足以来、「合意なき離脱」への準備を進める一方で、EUとの合意に向けた同様の努力をしていないとし、「合意を得ての離脱がこの政権の主たる目標だとはもはや信じない」としたのである[2]。
加えてラッドが問題視したのは、ジョンソンが、「離脱延期法案」への対応に関連して造反した21名の保守党議員を党から追放したことである。まさに「粛清」であり、これには、クラーク(Kenneth Clarke)元財務相や、チャーチル(Winston Churchill)元首相の孫のソームズ(Nicholas Soames)議員、ハモンド(Philip Hammond)前財務相など、党内でも信頼されてきた穏健派が多く含まれており、党内に衝撃を与えることになった。ラッドは、閣僚を辞任したのみならず、保守党を離党している[3]。
その後、9月9日にダブリンを訪れたジョンソンは、ヴァラッカー(Leo Varadkar)アイルランド首相との会見で、「自分は合意を欲している」と述べたが、そうした発言をせざるを得ず、さらにそれがニュースになること自体が、EUとの交渉に対するジョンソン政権の姿勢に関する一般的認識を示している。つまり、英国内でも――ラッドのように閣内でも――EU側でも、ジョンソンがEUとの再交渉に真剣であると信じている人は極めて少なかったのである。
ただしこれは再び変化し、ジョンソン政権はEUとの合意に向けて舵を切りつつあるといわれる。「合意なき離脱」も解散総選挙も議会によって封じられてしまった以上、10月31日の期日に離脱するためには、EUとの合意を成立させるしかないからである。それでも、最終地点に到達するまで、交渉の行方に関しては楽観的観測と悲観的観測の浮沈が繰り返されるのだろう。これに一喜一憂せずに諸条件を冷静に見極めることが、従来以上に重要になる。次回は、今後新たな合意を目指すにあたっての課題を検討したい。
[1] “European Union (Withdrawal) (No. 2) Act 2019,” 9 September 2019, p. 5, http://www.legislation.gov.uk/ukpga/2019/26/enacted/data.pdf.
[2] “Amber Rudd: Resignation letter in full,” BBC, 7 September 2019, https://www.bbc.com/news/uk-politics-49623727.
[3] 「追放」や「離党」と表記したが、英国議会では党が所属議員を追放することを「withdraw the whip(鞭を引きあげる)」という。「Whip」とは党が所属議員に党の投票方針を伝える役のことであり、その責任者は「Chief Whip(院内幹事長)」と呼ばれる。追放・離党はこの対象から外れるという意味である。自ら離党する場合は、「whip」を返上(surrender)するという。
【Brexitカウントダウン】連載一覧はこちら