鶴岡路人
主任研究員
2020年1月末の離脱が確定へ
2019年12月12日に実施された英国総選挙は、事前の大方の予想を上回るボリス・ジョンソン政権・保守党の勝利に終わった。下院の全650議席(過半数326議席)のうち、保守党が365議席、労働党が203議席、スコットランド民族党(SNP)48議席、自由民主党11議席などとなった。
この選挙結果がまず意味するものは、2019年10月にジョンソン政権とEUとの間で妥結した離脱協定が英国議会で承認され、関連の国内法も成立する見通しとなり、2020年1月31日のEU離脱がほぼ確実になったことである。同時に、Brexitに関して再度の国民投票が実施されたり、離脱が撤回されたりする可能性は完全に消滅した。英国のEU離脱が最終的に確定した瞬間だったといえる。
そこで以下では、今回の選挙で何が起こり、そこから何を読み取ることができるのか、そしてEU離脱をめぐる3年半の混乱の代償は何だったのかを考えることにしたい。そのうえで、2020年1月末の離脱後のプロセスを展望する。
変化しなかった世論
獲得議席数のみをみれば、再交渉とその結果に関する国民投票の実施を訴えた労働党と、離脱撤回を主張した自由民主党はともに国民の支持を得られなかったことになる。しかし、Brexit(ジョンソン政権の方針)への支持が拡大したとの見方は早計である。
全国レベルでの得票率は、保守党が43.6%(1.2ポイント増)に対し、労働党が32.2%(7.8ポイント減)、SNPが3.9%(0.8ポイント増)、自民党が11.5%(4.2ポイント増)だった[1]。スコットランドの地域政党であるSNPは全国レベルでの得票率は低い数字になるが、スコットランドでは45.0%の得票率で59議席中48議席を獲得している。13議席増の、文字通りの大躍進である(今回は触れないが、この結果は、スコットランド独立への動きを確実に加速化させることになる)。
EU 離脱の決着を訴えた保守党とBrexit党(2.0%)を足しても、選挙における得票率は45.6%であり、過半数には届かなかった。他方で、労働党にSNP、自民党、さらには緑の党(2.7%)という、再度の国民投票実施や離脱撤回を掲げた政党の得票率を合計すれば、50.3%となり、過半数になる。前者と後者の比率は、離脱の是非をめぐる世論調査の離脱派と残留派の分布とおおむね一致している。
保守党の獲得議席は1987年総選挙以来の水準になり、同時に、従来労働党の牙城とされた複数の選挙区で保守党が勝利したが、得票率自体は、前回から微増(1.2ポイント)に過ぎない。そうしたなかでの保守党の躍進は、650の議席が全て小選挙区で決まる英国の選挙制度の特徴を反映したものである。
これらを総合すれば、今回の選挙は、ジョンソンが主張した「離脱に決着をつける(get Brexit done)」という方針が支持を得たといえる部分がある反面、政党ごとの得票率をみる限り、Brexitに関する世論の変動はなかったと結論づける他ない。ジョンソン政権大勝というイメージに流されてはいけないのである。保守党の勝利よりは、実態として、ジェレミー・コービン党首率いる労働党の敗北だったのだろう。
労働党に関しては、Brexitへの姿勢の不明確さも指摘されてきた。選挙戦では、政権獲得後の離脱協定の再交渉と、新たな協定の是非を国民投票に諮るとの2段階プロセスを訴えた。離脱派と残留派の両にらみであり、割れる党内事情を反映したものだったが、国民投票において自らが交渉した協定に反対する選択肢はないはずであり、有権者に対して不誠実な印象を与えたことは否定できない。
保守党のもうひとつの重要な勝因は、10月にEUとの間で新たな離脱協定に合意できたことであろう。これによりジョンソン政権は、「合意に基づく秩序だった離脱」を主張することができた。仮に合意が成立していなかったとすれば、「合意なき離脱」を訴えざるを得なくなり、選挙戦はより厳しいものになった可能性が高い。
逆に、新たな合意が成立したために、離脱撤回という自民党の訴えに疑問が呈される結果になった。というのも、「合意なき離脱」を阻止するために離脱撤回を主張することには合理性があっても、成立した合意を無視して離脱撤回するのでは、非民主的姿勢だとの印象になってしまう。実際、2019年10月の「ジョンソン合意」以前の段階では20%以上の支持を維持していたが、10月下旬以降に下降し、最終的には11.5%になったのである[2]。
英『エコノミスト』誌は、今回の選挙での保守党支持者を、「ブルーカラーと赤いズボンの合体[3]」と呼んだ。従来労働党支持だったブルーカラーの労働者と、アッパーミドルのエリート――彼らが赤いズボンを好んで履くといわれることから、彼らのことを軽蔑的に「赤いズボン」と表現することがある[4]――が保守党支持で一致したというのである。ただし、Brexit に関しては意見が一致しても、社会福祉を筆頭に国内政策において一致点を見出すことはほとんど不可能であろう。ジョンソン首相が今回のモメンタム(勢い)を維持していくことは困難だとの見方が支配的になる所以である。
何も起きない離脱日
それでも、今回の選挙結果を受けて、英国が2020年1月31日にEUを離脱することが確実になったのは間違いない。しかし、結論からいってしまえば、同日夜に例えばロンドンに滞在していたとしても、目に見える変化は何も起きない。その時刻に合わせて離脱派が祝杯を挙げるぐらいであろう。
英国時間1月31日の23時、ブリュッセル時間同24時をもって、英国はEUの加盟国でなくなるが、同時に、「移行期間」に入る。この期間中、英国は事実上のEU加盟国として扱われ、例えば貿易において、既存の体制が維持される。つまり、EUと英国の間に関税チェックは存在せず、自由な流通が継続する。単一市場の一部を構成するヒトの移動――EU域内での居住、就労の自由――に関しても基本的には同様である。理事会など、EUの意思決定における投票権を失うだけのため、「非投票加盟国(non-voting member)」と表現されることもある。
EU側でも市民にとって目に見える変化は何も起きない。しかし、28カ国だったEUは27カ国になる。これは現実である。加盟国の増大、つまり拡大の歴史を辿ってきたEUにとって、加盟国を失うのは初めてであり、象徴的にも実質的にも、欧州統合にとっては大きな曲がり角になる。したがって、今回の選挙結果を受けても、EU側にはそれを祝福する空気はほとんど存在していない。これ以上の混乱が避けられることはよいニュースだが、「ついに本当に実現してしまう」という喪失感の方が大きいのである。
混迷の代償
今回の選挙戦で繰り返し指摘されたのは、国民のあいだでの「離脱疲れ(Brexit fatigue)」である。「もうこの問題はうんざりだ」というのである。この感覚が、離脱だろうと残留だろうと、どちらでも、もう決着を付けて欲しい、この混乱が長引くのは嫌だという市民の声につながった。
ジョンソンの「離脱に決着をつける」というスローガンは、そうした心情風景に合致した。首相官邸(ダウニング街10番地)の選挙マシーンの勝利だった側面も小さくない。その中心的人物は、2016年6月の国民投票で離脱派を率いた、ジョンソンの事実上の首席特別補佐官のドミニク・カミングスだった[5]。
ただし、熟議の政治を目指すのであれば、これは極めて危険な精神状態だといわざるを得ない。早く決着をつけることが自己目的化し、通常であれば考えられないようなコストを払ってしまう懸念があるからである。
選挙戦などで政策の中身よりも印象が重要な役割を果たす現象は、英国のみならずさまざまな国で確認できる。そうしたなかで、ビッグデータを駆使し、対象ごとに特定のイメージを植え付けるような「カミングス流」の手法が定着するとすれば、有権者による自由投票という民主選挙の仕組み自体の信頼性が問われることになる。
しかも、「決着をつける」との威勢のよいレトリックとは裏腹に、離脱日である1月31日には何も起こらないどころか、2月1日からは、より困難とみられるBrexit後のEU・英国関係についての、FTA(自由貿易協定)を含む交渉が開始するのである。
「決着をつけたい」の一心でEUとの交渉に臨めば、英国の足元をEUにみられるだけに終わるだろう。交渉を急ぎたい側が不利な立場に置かれることは、交渉の常である。しかも、FTA交渉では、離脱交渉以上に複雑な技術的議論や、多分野にまたがる利害調整が求められるのである。「急いだ方が負け」となる公算が高い。
離脱後のシナリオ
もっとも、EU側にも課題と懸念がある。EU加盟国の結束の維持が今後はより困難になると予想されるからである。EUと第三国とのFTA交渉では、加盟国間で優先順位の相違が露呈することもしばしばある。また、FTAの範囲を絞って短期間に妥結することを目指すのか、必要なものを十分に盛り込むことを優先するのかなどの基本的方針をめぐっても、少なくとも現段階ではEU内のコンセンサスが存在しない。
そうしたなかで、シナリオとして考えられるのは、(1)2020年末の「FTA無き離脱(合意なき移行期間終了)」、(2)2020年末までに、モノの貿易を中心とする最小限のFTA(「痩せこけたFTA(skinny FTA)」などと呼ばれる)を署名・発効(その場合、これに盛り込まれなかった分野については次の段階での交渉になる)、(3)移行期間の延長(移行期間終了の延期)である。(3)の場合の手続きは離脱協定に規定されており、2020年7月1日までにEUと英国の間で合意がなされなければならない。期間は1年か2年で、延期は1回限りである。EUと英国の双方にとって、(1)の「合意なき移行期間終了」をいかに避けられるかが課題となる。
保守党は、今回の選挙のマニフェストで、移行期間の延期を否定している(この点については、「Brexitカウントダウン(20)『ジョンソン合意』とは何か」、2019年11月28日参照)。この背景には、保守党内の離脱強硬派の存在があったとみられるが、今回保守党は過半数を大きく上回る議席を獲得しており、ジョンソンがその気になれば、党内の強硬派を抑える力を持ったともいえるし、たとえ一定数の造反が出たとしても内閣の決定を通せる可能性が高いとの側面もある。少なくとも、強硬派に手足を縛られることはないはずである。
しかし、ジョンソン政権は近く議会に提出予定の「離脱協定法案(Withdrawal Agreement Bill)」において、移行期間の延長を禁止する条項を新たなに挿入する方針と伝えられており、強硬姿勢が前面に出た格好になる。基本的には、党内強硬派に対するメッセージであるが、「退路を断つ」姿勢を示すことでEUとの交渉を有利に進めたいとの狙いも指摘できる。
他方、EU側では、もし英国側が移行期間の延期を持ち出さないのであれば、EUの方からそれを提案すべきであるとの声も出ている[6]。離脱国が要請する必要のあった離脱期日の延期とは異なり、移行期間の延長は、EUと英国で構成される合同委員会による決定であるため、制度上、EU側が提案することも想定されているのである。
2020年2月以降の争点は、まずはFTA交渉の中身になるが、移行期間延長の決定の期日が同年7月1日であることに鑑みれば、最初から時計をにらみながらの交渉になり、移行期間延長をめぐる駆け引きは、すでに始まっていると考えるべきであろう。
「離脱に決着をつける」とは何か
別のいい方をすれば、今後は、「離脱に決着をつける」が何を意味するのかが問われるということである。1月末の離脱で選挙公約は実現されたという姿勢をとるのか、FTAの妥結までを含むのか。
テリーザ・メイ前首相が「離脱は離脱(Brexit means Brexit)」と訴えたとき、それが意味するものは不明であり、このことが、同政権の迷走の一因になったことは記憶に新しい。ジョンソンも、選挙の勝利に酔っていられる時間はなさそうである。
[1] 数字は全て、“Election 2019: Results,” BBC, 13 December 2019から。
[2] “Political trackers (5-6 Dec update),” YouGov, 8 December 2019.
[3] “Victory for Boris Johnson’s all-new Tories,” The Economist, 13 December 2019.
[4] “Why do so many men think it's acceptable to wear red trousers?” The Guardian, 1 October 2012; “Why do people mock men in red trousers?” BBC, 1 August 2013.
[5] “We’re all living in Dominic Cummings’ world now,” Politico.eu, 13 December 2019. ただし、同記事によると、選挙戦略・実務の主たる役割はオーストラリア出身のIsaac Levidoが担ったようである。
[6] “EU looks at extending Brexit transition period beyond 2020,” The Guardian, 14 December 2019.
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