「オバマ政権はクリントン政権の失敗に学んだ」といわれる。とくに指摘されるのが、具体的な法案作りを議会に任せてきた点である。しかし議会主導の進め方にも限界はありそうだ。本稿では、医療制度改革に関するオバマ政権とクリントン政権の手法の違いについて、議会の審議プロセスに焦点をあてて整理する。
「政権主導」と「議会主導」
クリントン政権による医療制度改革の試みについて、しばしば「失敗」として指摘されるのが、ヒラリー夫人を座長とする専門委員会が、政権独自の法案を書き上げた点である。議会とすれば法案作りこそが自分たちの仕事。「出過ぎた行為」との反発が、改革を挫折に導く引き金になった。そんな解説が目立つ。
対象的にオバマ政権は、医療制度改革の法案作りを議会に任せきりにしている。10月初めの段階でも、オバマ政権が示しているのは1頁にまとまるような基本原則に過ぎない。内容の詳細さでいえば、選挙期間中に発表された公約の方が格段に細かい。1000頁を超えるといわれる医療改革法案に対して、わずか1頁の基本原則。その落差は大きい。オバマ政権は、選挙公約の内容には縛られない姿勢も明確にしている。「オバマ政権の医療制度改革案」という言い方は珍しくないが、そのような「案」はどこにも存在しないというのが現実である。
しかし議会主導の試みは必ずしも円滑に進んでいるわけではない。オバマ政権は8月までに上下両院でそれぞれの改革案を可決するという目標を掲げていた。しかしその前段階である各委員会での審議は大幅に遅れている。ようやくここにきて、10月中旬ごろに上下両院で本会議での審議が始まる目処が立ってきたところである。
なぜ「政権主導」だったのか
そもそも法案を書き上げたことはクリントン政権の「失敗」だったのだろうか。異論を唱えるのが当のクリントン元大統領である*1。クリントン元大統領は、法案を書き上げたのは議会民主党の要請を受けたからだと振り返る。「政権が具体案を提示しなければ、議会は審議を始められない」と主張されたというのである。
クリントン元大統領の発言が事実であったとすれば、当時の関係者は議会主導の限界を認識していた可能性がある。実は議会民主党は、クリントン政権に先立つブッシュ政権の時期に、独自の医療制度改革法案をまとめようとして失敗している。言い換えれば、クリントン政権が発足した頃には、具体的な改革の内容については一通り議会民主党内の議論は終わっていた。それでも意見がまとまらなかったという事実を受けて、クリントン政権は法案作りに乗り出したのである。
このようにみてくると、当時と今の状況の類似点が浮かび上がってくる。クリントン政権が法案作りに乗り出さなければならなかったように、今のオバマ政権は自らの立場を鮮明にする必要性に迫られている。最近良く聞かれるのは、「いよいよオバマ政権がリーダーシップを示すときだ」という指摘である*2。たとえ議会に法案作りを任せるにせよ、いずれは政権が細部に踏み込んでいかなければ、議会だけではまとまりがつかない。政策論は重ねられても、さまざまな思惑や利害がからむ政治的な決断には、議会の手には負えない側面がある。
政策論という観点では、米国での議論は相当程度深まっている。クリントン政権が改革を目指した当時と変わらない内容が少なからず含まれているほどである。例えば 「アメリカNOW第36号:オバマ政権の医療制度改革と医療費の地域格差」 で紹介した医療費格差に着目した無駄の削減は、90年代の改革でも重要な論点となっていた。当時ヒラリー夫人が目指すべきとしてあげた病院は、現在オバマ大統領がモデルとして引用する病院と同じである。
改革の内容に関する議論をいくら深めても出口にはたどり着かない。オバマ政権は政治的な決断を求められる時間帯に入ってきている。
タイミングの重要性
改革案の審議プロセスに着目した場合、オバマ政権が気にする必要があるのは、クリントン政権のもう一つの「失敗」かもしれない。改革実現に向けて攻勢をかけるタイミングを逸してしまったことである。
クリントン政権には何度かチャンスがあった。就任早々の大統領の議会演説とヒラリー夫人による専門委員会の設置は、政権が改革に本気であるという姿勢を国民に印象付けた。9月にはクリントン大統領が改めて議会で演説を行い、国民の期待感は高まった。
しかしいずれのタイミングでも、クリントン政権は一気に攻勢に出られなかった。具体的な法案の作成が間に合っていなかった上に、その他の案件に体力を奪われてしまったからである。
法案が未完成だった点については、専門委員会方式が上手く機能しなかった結果として整理することも可能だろう。ヒラリー夫人率いる専門委員会については、政策論に特化した専門的な議論を進めるべきなのか、それとも、政治的な落としどころを含めた政治的な視点にも配慮するべきなのか、方針がはっきりしないままに、必要以上に時間がかかってしまったという指摘がある。
後者については、クリントン政権の裁量は限られていた。9月の議会演説が好例である。大好評に終わった演説の後、政権は地方遊説などで一気に攻勢をかける予定だった。ヒラリー夫人は議会公聴会に次々に出席し、各方面から高評価を受けていた。ところが、大統領夫妻が遊説に向かう飛行機の中で、ソマリアで米兵が殺害されたというニュースが入る。後に映画「ブラックホーク・ダウン」で取り上げられた外交危機の発生で、医療制度改革に向けた攻勢は一時中断を余儀なくされる。その後も、ハイチでの紛争やロシアの混乱、さらには北米自由貿易協定(NAFTA)の批准問題などが続く。政権の照準が定まらないままに、盛り上がったはずの医療制度改革の機運は失われていった。
オバマ政権にとっても、攻勢をかけるタイミングは重要である。オバマ政権には、そのタイミングはまだ訪れていないと考えている節がある。クリントン大統領と同じように、オバマ大統領も9月に議会で医療制度改革に関する演説を行った。しかしこの演説では、一部で期待されていたような改革の具体案に関する踏み込んだ発言はみられなかった*3。また演説をきっかけにオバマ大統領が医療制度改革への取り組みを強めているわけでもない。G20を初めとする外交舞台での活動や、果ては2016年オリンピックの誘致へと、大統領の体力は分散されている。
オバマ政権のシナリオ
オバマ政権が注視しているのは、上下両院の法案が出揃い、両者が最終的な調整に入る時期だろう。そこで一気に議論の主導権を握るというのが、オバマ政権のシナリオだと思われる。
オバマ政権にはクリントン政権よりも恵まれた状況がある。クリントン政権の当時とは違い、上院では民主党が60議席を握っており、共和党の議事進行妨害を阻止できるだけの勢力を持っている。またクリントン政権の改革に強硬に反対した利益団体も、今回の改革では政権との対決姿勢を鮮明にしていない。当時は改革反対の急先鋒だった中小企業の業界団体であるNFIB(National Federation of Independent Business)や医療保険会社の業界団体であるAHIP(America's Health Insurance Plans)ですら、内容次第では改革に賛成するという姿勢を示している。
もっとも、全てがシナリオ通りに進むわけではないというのが、クリントン政権の教訓でもある。思わぬ方面から横槍が入る可能性も否定できない。思い描いたタイミングでオバマ政権が攻勢をかけられるかどうかは、改革の成否を左右する隠れたポイントである。
*1:Mark Warren,“Bill Clinton, Then and Now: The Esquire Interview, Esquire, September 8, 2009.医療制度改革におけるクリントン政権の苦闘を描いた名著、The System (Haynes Jonson and David S. Broder, 2006)にも同様の記述がある。一方で、発言の主とされるロステンコウスキー元下院議員は、自分から政権に要請したという事実はないと否定している。なお、本稿におけるクリントン政権の取り組みに関する記述は、”The System”による部分が大きい。
*2:例えば、Dan Balz, “Senate Dems Look to Obama to Move Health-Care Votes”, Washington Post, September 29, 2009.
*3:例えばこの演説では、民間保険と競争する新しい公的保険(パブリックプラン)に関する姿勢が明確にされるという観測があった。しかしオバマ大統領は、「パブリックプランは重要だと考えるが、他の選択肢も排除しない」という従来からの曖昧な姿勢を繰り返すにとどまった。
■安井明彦:東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長