※本稿は、2020年4月28日に開催されたポピュリズム国際歴史比較研究会の第二回会合で報告した内容の一部である。
長野晃(慶應義塾大学法学部非常勤講師)
・喝采による民主主義とポピュリズム ・同一性・代表・ポピュリズム ・中立国家論におけるエリート主義 ・逃れられない民主的正統性 |
喝采による民主主義とポピュリズム
「一億の私人の一致した意見は、国民の意思でも公論でもない。国民の意思は歓呼、喝采、即ち自明で反論し難い存在によって、過去半世紀に極めて入念に形作られてきた統計装置によってと同様に、否それよりも一層民主主義的に表明されうる[1]」。
この文章は、国民社会主義(ナチズム)への左袒という過去にもかかわらず今日の法学・政治学にまで大きな影響を及ぼし、日本でも多くの訳書が刊行されている国法学者カール・シュミット(1888-1985)によるものである。
多元主義を拒み、同質的な国民を民主主義の前提とするシュミット。そればかりか、秘密投票に拘束されない「喝采」にこそ真正の民主主義の発露を見出すシュミット。民主主義概念に彼が施した特異な解釈は、現代のポピュリズム研究においてすら一つの「参照項」のようなものとなっている(なお近年の研究動向については、本ウェブサイトに掲載されている板橋拓己氏の論考を参照されたい)。
その一例が、『ポピュリズムとは何か』(邦訳、岩波書店)で知られるドイツ出身の政治学者ヤン=ヴェルナー・ミュラー(プリンストン大学教授)の議論である。ミュラーによれば、上に引用したようなシュミットの論法それ自体が、今日のポピュリストが用いる典型的なレトリックの一つに他ならない[2]。さらに、一人の指導者が「国民意思」を独占的に代表しうるというシュミットの強烈な主張をそこに付け加えるならば、ポピュリズム理論家としてのシュミット像が容易に立ち現れてくる。
ならば、自由主義に対する苛烈な批判者、喝采の民主主義理論家、ナチスのイデオローグなどと様々に語られてきたシュミットに対して、ポピュリズム理論家という称号を新たに与えるべきだろうか。筆者はこの度、これまでのシュミット研究の成果をまとめ、『カール・シュミットと国家学の黄昏』(風行社)として公刊した。そこで以下では、拙著の内容を援用しつつ、ヴァイマール期のシュミットの政治思想におけるポピュリズム的/非ポピュリズム的要素を分析することで、権威主義とポピュリズムとの関係を考察するための一助としたい。
同一性・代表・ポピュリズム
シュミットの政治思想におけるポピュリズム的性格が語られる際、彼の著書『現代議会主義の精神史的状況』(邦訳、岩波文庫)において提示された独特の民主主義論がしばしば引き合いに出される[3]。
シュミットは同書において、「治者と被治者の同一性」といった一連の同一性概念を用いて民主主義を定義した。だがそれ以上に重視したいのは、そのような同一性がある種の擬制に過ぎないというシュミット自身の指摘である。シュミット曰く「そうしたあらゆる同一性はしかし、把握しうる現実ではなく、同一性の承認に基づく。問題となるのは法的にも政治的にも社会学的にも、現実に等しいものではなく同一化である[4]」。
このようにして民主主義の問題は、いかなる政治勢力がいかなる仕方で国民意思と「同一化」するのか、という問いへと移行する。そこで言われる国民意思とは、むしろそれに立脚するはずの政治勢力によって形成されるものとみなされる。もっとも、異質な者どうしがばらばらに併存する状況では、そのような国民意思との同一化など期待できない。だからこそシュミットは、民主主義の前提として同質的な国民の存在を要求した。この議論が、同質性を阻害する異質な者を排除する論理と分かち難く結びつくことは、言を俟たない[5]。
とはいえ、このような「同質的な国民」が仮に現存しており、さらにはそれ自体として政治勢力たることを要求するならば、それは統治者による代表を拒絶する存在ではあるまいか。この点についてシュミットは、著書『憲法学』の中で、「同一性」原理をこのような(純粋な形では実現されえない)極限的場合から把握し、それに対抗する原理としての「代表」が不可欠であると説く[6]。
ここで言われる「代表」とは、国民の「政治的単一性」という不可視の存在を可視化することを意味する。例えば絶対君主制とは、君主のみが国民の政治的単位を独占的に代表する国制である。そしてシュミットは、この代表概念を共和国にも適用しようと企てた。彼のヴァイマール憲法解釈では、全国民の選挙に基づくライヒ大統領こそが、過去の遺物と化したはずの君主制的要素を具現する存在として、「代表する」主体として登場する。
他方、かつては国民代表とされた議会の「代表」たる性格に対しては、議会が公開の討論という根本原理を喪失し、利益集団の代理人たちが互いに取引するだけの場と化した、という時代診断に基づいて「死亡宣告」が下された。以上の議論に見られる発想それ自体は、自らのみが「国民意思」を独占的に代表していると言い張るポピュリストたちの論法と、確かに親和的に見える。
中立国家論におけるエリート主義
もっとも、ポピュリズム思想に内在する反エリート主義的な志向性に関して言えば、事情は幾分異なる。とりわけ、「腐敗したエリート」と「汚れなき人民」を二元論的に対立させる論法は、シュミットの議論には意外なほど希薄である。
このことは、1920年代末以降ヴァイマール末期に至るまでシュミットの思考を規定することになる「中立国家論」からも明瞭である。中立国家論の根底にあるのは、社会の外部に国家を位置付け、社会における諸対立の調停者たる役目を国家に割り当てる発想である。このような主張をなすに際してシュミットが決して譲れなかったのは、国家が国家である限り、目まぐるしい党派対立から切り離された「静態的核心」が存在せねばならないという信念であった[7]。
シュミットの中立国家論は、国家それ自体を動態的な統合プロセスとみなす同時代の国法学者ルドルフ・スメント(1882-1975)への強烈な対抗意識から生み出された。シュミットは、「中立権力」の担い手たるライヒ大統領と職業官吏を国家の「静態的要素」とし、それを「多元主義」の担い手たる諸政党から防御すべきと説く[8]。大統領や官吏をエリートとみなすのであれば、シュミットの構想の核心にあるのは、「汚れなき国民」対「腐敗したエリート」という図式ではない。そうではなく、「国家を担う中立的なエリート」対「国家を脅かす多元的な利益集団・政党」という図式である。
無論、この図式の中でも国民の意義は消滅しない。シュミットはしばしば、党派を超越する「国民精神」や、喝采の現代版としての「公論」にも重要な役割を与えた[9]。とはいえヴァイマール末期の混乱の中にあって、諸政党によって分割された「国民」への期待は加速度的に低下していき、もっぱら大統領・官吏・国防軍に国家の運命が託されていく[10]。「汚れなき国民」に訴えかける余裕など、もはやなかったのではあるまいか。
逃れられない民主的正統性
しかしながら、以上をもってシュミットとポピュリズムを完全に切断するならば、それは妥当ではない。エリート主義的に見える議論を展開しつつも、シュミットは「民主的正統性」から逃れられなかった。確かにシュミットは中立的な職業官吏に対して政党政治への対抗錘たる役目を期待した。だが、職業官吏制それ自体を国民国家の理念と結びつけて正当化するアルノルト・ケットゲン(1902-1967)の議論とは異なり、シュミットの中立国家論は必ずライヒ大統領と職業官吏との連関を強調する[11]。全国民によって選出されるというライヒ大統領の民主的正統性は「中立国家」においても不可欠の要素とされたのである。
またヴァイマール末期においてもシュミットは、明白に反民主主義的な権威的国家を構想するハインツ・オットー・ツィーグラー(1903-1944)の議論に対しては、慎重に距離を取っていた。なるほど、国家と社会の融合(シュミットの言う「全体国家」)に伴う苦境の原因は、他ならぬ民主主義に求められる。だが、民主主義的な「人民投票的正統性」に立脚しない権威など今日では存立しえない、というのがシュミットの言い分である[12]。
このように、民主主義それ自体を放擲しえないシュミットの議論は、既存のエリートに対する信頼が幻滅へと転化する場合、容易にポピュリズム的となる可能性を孕んでいた。その意味で、シュミットの国家理論と反エリート主義的ポピュリズムの距離は、さほど大きくなかったとも言いえよう。伝統的なエリートの擁護と民衆の喝采との間で動揺するシュミットの政治思想は、ある種の権威主義がポピュリズムへと飲み込まれていく一つの事例としても、真剣な考察の対象であり続けている。
[1] Carl Schmitt, Die geistesgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus, 9. Aufl., Berlin 2010, S. 22.
[2] 参照、ヤン=ヴェルナー・ミュラー、板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、2017年、66頁。
[3] これに対して例えばJason Frank, Populism and Praxis, in: The Oxford Handbook of Populism, hrsg. v. Cristóbal Rovira Kaltwasser/Paul A. Taggart/Paulina Ochoa Espejo/Pierre Ostiguy, Oxford 2017, S. 629 ff.は、シュミット的問題設定がポピュリズム研究の視野狭窄をもたらしてきたと批判する。
[4] Schmitt, Die geistesgeschichtliche Lage des heutigen Parlamentarismus, S. 35.
[5] Ebd., S. 14 ff.
[6] Carl Schmitt, Verfassungslehre, 10. Aufl., Berlin 2010, S. 200 ff.
[7] Carl Schmitt, Das Reichsgericht als Hüter der Verfassung (1929), in: ders., Verfassungsrechtliche Aufsätze aus den Jahren 1924-1954, 4. Aufl., Berlin 2003, S. 68 Anm. 11.
[8] Carl Schmitt, Der Hüter der Verfassung, in: AöR N. F. 16 (1929), S. 220 ff.
[9] Carl Schmitt, Hugo Preuß. Sein Staatsbegriff und seine Stellung in der deutschen Staatslehre, in: ders., Der Hüter der Verfassung, 5. Aufl., Berlin 2016, S. 184.
[10] Carl Schmitt, Konstruktive Verfassungsprobleme (1932), in: ders., Staat, Großraum, Nomos. Arbeiten aus den Jahren 1916-1969, hrsg. v. Günter Maschke, Berlin 1995, S. 55 ff.
[11] Schmitt, Der Hüter der Verfassung (1929), S. 223; Arnold Köttgen, Das deutsche Berufsbeamtentum und die parlamentarische Demokratie, Berlin und Leipzig 1928.
[12] Carl Schmitt, Legalität und Legitimität, 8. Aufl., Berlin 2012, S. 87 f.; Heinz Otto Ziegler, Autoritärer oder totaler Staat, Tübingen 1932.