※本稿は、2020年6月3日に開催されたポピュリズム国際歴史比較研究会の第三回会合で報告した内容の一部である。
藤山 一樹(日本学術振興会特別研究員/京都大学)
イギリスは単なるヨーロッパの一国ではなく、アングロ圏というグローバルな共同体に属している。……わが党は、インドからアメリカ、ニュージーランド、カリブ海諸国に至るまで、アングロ圏との緊密な紐帯をさらに強化することを望む
——イギリス独立党(UKIP)マニフェスト(2015年)
この度は、コモンウェルスおよびアングロ圏諸国との強力な関係を取り戻す機会である。……我々は共通の歴史や文化、言語を持ち、家族の絆で結ばれ、さらには法制度まで似通っているのだ
——デイヴィッド・デイヴィス(2016年2月)
・はじめに ・「アングロ圏」とは何か ・アングロ圏の歴史的起源 ・欧州懐疑主義との連結 ・連合王国への視線 ・ポスト冷戦期におけるアングロ圏の浮上 ・帝国の長い影を追って |
はじめに
2016年6月23日のイギリス国民投票に向けて展開されたEU離脱派のキャンペーンは、現代におけるポピュリズムの代表例にしばしば数えられる。離脱派の議論はおおむね、EU加盟国からの移民がもたらす社会経済的な脅威に絞られていたが、実はそうした主張の中に、かつてのイギリス帝国を彷彿させる対外構想——「アングロ圏(the Anglosphere)」——が含まれていたことは、日本ではあまり知られていないのではないか。
ごく大まかに見ると、日本の政治学における2016年イギリス国民投票の分析では、主に3つの視角が用いられてきた。まず国民投票に至るイギリスのヨーロッパ政策の歴史的文脈を重視する〈外交〉の視角(たとえば細谷2016;池本 2016)、次に国民投票の実施をもたらした政党内もしくは政党間対立を重視する〈政治〉の視角(たとえば阪野 2016;今井 2020)、そして国民投票の主役というべきイギリス国民の分断を重視する〈社会〉の視角(たとえば若松 2018;浜井 2018)である(以上3つの視角を総合的に用いた分析として遠藤 2016を、国民投票後のイギリスおよびEUの交渉過程については庄司 2019や鶴岡 2020をそれぞれ参照)。
しかし当のイギリスではこうした分析視角のみならず、〈帝国(の残影)〉というキーワードからブレグジットを分析した研究もいくつか登場している。離脱派がEUに代わる選択肢として言及した、解体されて久しい帝国を想起させる「アングロ圏」構想に着目したものだ。
本稿で取り上げるのは、EU離脱の論理に映し出される帝国の残影を分析した次の2冊である。
Kenny, Michael and Nick Pearce (2018) Shadows of Empire: The Anglosphere in British Politics, Polity.
Wellings, Ben (2019) English Nationalism, Brexit and the Anglosphere: Wider Still and Wider, Manchester UP.
以下、文献の内容を大まかにたどりながら、アングロ圏構想の来歴とその現代における政治的効用について検討する。両者を合わせて読むと、戦後イギリス政治の中で帝国をめぐる言説がたどった軌跡に加え、イギリスにおけるポピュリズムの興隆にいわゆる歴史認識が果たした役割も浮き彫りとなるだろう。
「アングロ圏」とは何か
「アングロ圏」とは、イギリスおよび、元はイギリスの白人定住植民地であり後に高度な自治が与えられた旧ドミニオン(自治領)のカナダ・オーストラリア・ニュージーランドら、英語圏諸国の緊密な統合を志向する広域秩序構想である。しかしこれは最大公約数としての定義にすぎず、メンバーシップや統合の内容は語り手によって変化する(馬路 2019b)。
アングロ圏構想の大枠はイギリス帝国の歴史的な紐帯に基づく多国間枠組みであるが、そこに想定されるメンバー国は現存する国際機構のコモンウェルスよりもおおむね限定的である。コモンウェルスとは、イギリスの旧ドミニオンならびに植民地から独立した国家を中心に、自由な連合の象徴としてイギリスの君主を首長に戴くグローバルな国家連合である(小川 2012)。イギリス帝国の遺産という点で両者は共通する一方、アングロ圏というアイディアには、実在のコモンウェルスより小規模かつ精鋭ばかりを集めた別種の組織が観念されている。
現在コモンウェルスに加盟するのは人口や経済発展、エスニシティの異なる世界54カ国だが、アングロ圏構想では先に挙げたコモンウェルスの主要英語圏諸国を中核としつつ、自由・民主主義・法の支配といった価値を共有し、さらにはイギリスの有力な貿易相手もしくは投資先となる経済力を備えた国——たとえばインドやシンガポール、またコモンウェルス非加盟のアメリカやアイルランド——が挙がる場合もある。
統合の目指される領域も論者によって様々であり、モノ・カネ・ヒトの自由な往来から相互防衛、インテリジェンスをめぐる協力まで幅広い。イギリスでは1990年代からこうした種々のアングロ圏構想が、時に「帝国2.0」や「空虚な幻想」といった批判を浴びながらも、欧州統合の拡大・深化に反発する政治家や知識人によってたびたび提起されてきた。2016年の国民投票に際し、EUからの離脱を支持した強硬な欧州懐疑主義者——デイヴィッド・デイヴィス、ナイジェル・ファラージ、リアム・フォックス、マイケル・ゴーヴ、ダニエル・ハナン、ボリス・ジョンソンら——も例外ではない(Bell 2017; 馬路 2019b)。
アングロ圏の歴史的起源
2018年に出版されたShadows of Empire: The Anglosphere in British Politics(『帝国の影——イギリス政治におけるアングロ圏』、未邦訳)は、現代イギリス政治に見られる欧州懐疑主義とアングロ圏構想の結びつきに、長く複雑な歴史があることを教えてくれる。著者は政治イデオロギーとイギリスのネイション形成の連関に関する研究を数多く発表してきたマイケル・ケニー(ケンブリッジ大学)と、公共政策や政党政治の現状分析を広く手がけるニック・ピアース(バース大学)の二人である。
本書で彼らは、アングロ圏が19世紀から現在に至るまでイギリスの政治家や知識人によっていかに語られてきたか、その変容を時代背景と併せて詳しく跡づけている。ちなみに本書における「アングロ圏」は前述した定義よりも広く、イギリスの望ましい政策オプションとして語られる場合、現存するコモンウェルスもその中に含まれている。
ケニーとピアースによれば、アングロ圏構想の起源は帝国主義全盛の19世紀後半に遡る。1880年代はイギリス経済の不振が続く一方、アメリカとドイツが急速な工業化を遂げつつあり、ヨーロッパの外では植民地獲得競争が熾烈を極めていた。この時期、イギリスが世界大国の地位から転落することへの危機感から、ジョン・シーリーやエドワード・フリーマンといった歴史家が、「大ブリテン(Greater Britain)」の名のもとカナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ地域の白人定住植民地との政治統合を模索したのである(19世紀後半の「大不況」とイギリス経済の構造的変化については、秋田 2012: 134-39を参照)。
国家の衰退にまつわる恐怖を根底に宿し、アングロ=サクソンの血統を重んじた帝国再生の目論見は、その後も世紀転換期から第一次大戦後にかけてのイギリスで、関税同盟や時には超国家的な連邦政体という形で断続的に語られ続けた。ただしこの時期の帝国再編計画に、ヨーロッパへの反発あるいは大陸関与の代替的選択肢といった性格はあまり見られない。(Kenny and Pearce 2018: 10-37)。
欧州懐疑主義との連結
イギリス政治の中でアングロ圏構想と欧州懐疑主義の結びつきが明確に見出せるのは第二次大戦終結後のことだ、とケニーとピアースは論じる。長らく西洋の支配下にあった植民地が次々と独立を果たし、イギリス帝国も本格的解体の段階にあった1960年代、西ヨーロッパではフランスと西ドイツを中心に、市場統合ならびに経済政策の共通化が段階的に進んでいた。
イギリスは当初、帝国=コモンウェルスとの関係を重視して、こうした西欧の動きに加わっていなかった。ところが、1950年代を通じて西欧諸国の経済が軒並み成長するにつれ、イギリス政府はコモンウェルスよりも欧州経済共同体(EEC)に高い市場価値を見出すようになる。1961年、ハロルド・マクミラン保守党政権は最初のEEC加盟申請に踏み切った(Kenny and Pearce 2018: 65-74)。
このようにイギリスの対外政策における優先順位が変化したのを受けて、EEC(もしくは後のEC)加盟に反対する者は保守党でも労働党でも、(西)ヨーロッパへのアンチテーゼとしてコモンウェルスを引き合いに出すという構図が出来した。欧州懐疑主義とアングロ圏構想の結びつきは、イギリス政府が統合ヨーロッパへの参加を決断した1960年代初頭に始まったのである。
たとえば、マクミラン政権の方針に反対していた労働党党首ヒュー・ゲイツケルは、1962年の党大会で次のように演説した。EEC加盟はイギリスにとって「1000年におよぶ歴史と……コモンウェルスの終焉を意味するのです」。わが国が「ヨーロッパの一地方になった場合(それが連邦の意味するところですが)、それでもイギリスが一連の独立諸国の母国として存在し続けられるなどと誰が考えるでしょう。全くのナンセンスです」(Kenny and Pearce 2018: 76-77)。
連合王国への視線
こうして1960年代初め、コモンウェルスはEEC加盟反対派によって(西)ヨーロッパと対置されるに至ったが、皮肉というべきか、イギリスの対コモンウェルス貿易は年ごとに縮小し、70年代末までにコモンウェルスは欧州共同体(EC)の代替的選択肢としての価値を失ってしまう。
1962年の段階でコモンウェルス諸国はイギリス輸出品の約3割を購入していたが、10年後にその割合は2割強へと落ち込み、1980年までにはイギリスの貿易相手国トップ10からカナダ・オーストラリア・ニュージーランドがすべて脱落する有様であった。この間、経済的に疲弊したイギリス政府は1968年1月にスエズ以東からの軍事撤退を発表している。イギリス帝国の解体はもはや不可逆的であった。そして1973年1月、イギリスはエドワード・ヒース保守党政権の下でついにEC加盟を果たす(Kenny and Pearce 2018: 78-84)。
1960年代から70年代にかけてのイギリス政治の中で、経済的魅力を急速に失いつつあったコモンウェルスに代わり、統合ヨーロッパへのアンチテーゼの役割を担ったのは、連合王国という一転してナショナルな政治空間であった。その旗振り役としてケニーとピアースが注目するのが、差別的な表現でアフリカやカリブ海からの非白人移民が増大している状況に警鐘を鳴らした「血の河」演説で知られる、保守党のイノック・パウエルである(ポピュリストとしてのパウエルについては、小堀 2013を参照)。
パウエルは連合王国の自立を最優先とする立場から、帝国にしろコモンウェルスにしろECにしろ、イギリスを取り巻く広域枠組みへの関与に否定的だった。中でもパウエルの重視したのが、イギリスの核心的価値と見られた議会主権——ウェストミンスタ議会の決定は、イギリス国内の他のいかなる機関も拒んだり覆したりすることができないこと(近藤 2017: 41)——である。
かかる国制はイングランド特有の伝統によって育まれた貴重な遺産だが、ヨーロッパの経済統合はいずれ政治領域に波及することでイギリスの議会主権を必ず脅かす、というのがECに反発するパウエルの論理であった。パウエルは、歴代指導者が世界大国の地位に固執するあまり軽んじてきた連合王国という単位に光を当て、そこへ議会主権の伝統を読み込むことで、イギリスそれ自体をコモンウェルスに代わる統合ヨーロッパのアンチテーゼとしたのだった(Kenny and Pearce 2018: 85-104)。
ポスト冷戦期におけるアングロ圏の浮上
その後、欧州統合に批判的なイギリスの知識人や政治家が、コモンウェルスと異なるアングロ圏構想を盛んに語り出すのは、トニー・ブレア労働党政権期の1990年代末から2000年代前半にかけてである。
すでに保守党の中にはマーガレット・サッチャーが首相を務めていた1980年代後半から、貿易のみならず通貨や社会政策をめぐって統合の度合いを強めようとするECを、イギリスの国家主権に対する脅威として敵視する、強硬な欧州懐疑派が登場していた。他方、冷戦終結後の1992年2月に調印されたマーストリヒト条約の下で欧州連合(EU)が発足し、1997年に成立したブレア政権は社会憲章の批准や欧州安全保障防衛政策(ESDP)の形成を通じ、統合ヨーロッパに積極的に関与していった(細谷 2009: 73-111; 鈴木 2009: 306-12)。
こうして欧州統合が本格的な拡大と深化の段階に入り、イギリス政府もEU重視の姿勢を鮮明に示す中、主権擁護の立場から欧州懐疑主義に与するイギリスのエリートは、EUよりもゆるやかに国家が結び合うアングロ圏構想の魅力を次々と訴えるようになるのである。
たとえばソ連史を専門とするイギリスの歴史学者ロバート・コンクエストは、国家の主権と伝統を重んじる英米の思考様式が、超国家的な連邦制を追求する大陸の思考様式と根本的に相容れないために、イギリスはアメリカやカナダといった歴史・文化を共有するアングロ圏諸国との関係強化に舵を切るべきである、と2001年刊行の著書で論じた。
このようなコンクエストの考えは、すでに政治の第一線から退いていたサッチャーをはじめ、デイヴィス・フォックス・ハナンといった保守党の欧州懐疑派によって支持された。彼らの発言のための舞台を提供したのは、アメリカのハドソン研究所やヘリテージ財団、イギリスの経済問題研究所やアダム・スミス研究所といった、保守系シンクタンクの主催する公式・非公式の会合であった(Kenny and Pearce 2018: 125-28)。
さらにケニーとピアースによれば、21世紀に入ると、欧州懐疑派のアングロ圏構想は経済をめぐる新自由主義の色彩を放つようになり、この特徴は少なくともリーマン・ショックまで優勢だった。イギリス経済の将来は官僚的規制の下で硬直したEUなどではなく、グローバル市場で飛躍的な成長を遂げつつあるインドやシンガポール、香港といったアジア諸地域との連携にある、との論理であった。
1970年代から始まっていた金融のグローバル化、また80年代にサッチャーの牽引した規制緩和の恩恵を受けて、かつてイギリスの植民地であったアジアの新興国地域が世界経済の中心に躍り出た現実は、2000年代の欧州懐疑派が提出するアングロ圏構想に一定の説得力を与えることとなったのである(Kenny and Pearce 2018: 146-48, 171-72)。
帝国の長い影を追って
欧州懐疑主義とアングロ圏構想の結びつきを歴史的に追跡した本書第一の特長は、すでに解体されて久しく、一般には過去の事実ないし現象と理解されている帝国をめぐる言説が、現代のイギリス政治に依然として長い影を落としていることを、ごく平易な言葉で明らかにした点だろう(類似の視座に基づく研究として、木畑・後藤 2010や納家・永野 2017を参照)。
一瞥しただけなら、EU離脱派が国民投票キャンペーンで言及したアングロ圏構想は、その場限りの他愛ないレトリックのようにも思われる。しかし本書でケニーとピアースが明らかにした通り、アングロ圏には長い歴史があった。その原型は19世紀後半の帝国再編構想に見出せる一方、ヨーロッパのアンチテーゼとしてのアングロ圏(もしくはコモンウェルス)は1960年代初め、イギリスのEEC加盟をめぐる政策論争の中で創造され、その後も欧州統合の拡大・深化に呼応しつつ、欧州懐疑派の政治家やジャーナリストによって断続的に語り継がれてきたのだった。
本書がひも解いたアングロ圏構想の来歴には、一筋縄ではいかないイギリスとヨーロッパの緊迫した関係が刻まれている。ブレグジットの歴史的背景に触れたい一般読者のみならず、近現代イギリスの政治史や外交史、帝国史を学ぶ者にとっても実り多き一冊となるだろう。
より学術的な観点に立てば、アングロ圏の歴史を19世紀に遡って論じた本書は、イギリス帝国を範型とする国際・地域秩序構想を、その語り手の思想や同時代のグローバルな文脈に位置づけて分析した、一連のインテレクチュアル・ヒストリー研究に続くものと評価することもできる(たとえばBell 2007; Mazower 2009; Rosenboim 2017; 馬路 2019a)。
これらの研究に共通するのは、イギリス帝国の思想的系譜というテーマだけではない。第二次大戦の前と後に見られる知的な連続性や、帝国が存在していた過去のアクチュアリティを剔抉するという問題意識が、それぞれの研究には通底している。この点でケニーとピアースの著書は、イギリス帝国が戦後の解体過程を経てもなお、現代の欧州懐疑派やEU離脱派の語りの中でしぶとく甦るさまを活写し、上述の諸研究に連なる一冊となっている。
【参考文献】(前・後編に共通)
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Bell, Duncan (2017) “The Anglosphere: New Enthusiasm for an Old Dream,” Prospect, Jan. 19, 2017, https://www.prospectmagazine.co.uk/magazine/anglosphere-old-dream-brexit-role-in-the-world [accessed Jan. 23, 2021].
Mazower, Mark (2009) No Enchanted Palace: The End of Empire and the Ideological Origins of the United Nations, Princeton UP.
Mayall, James (2016) “Some Reflections on Brexit and Its Aftermath,” The Round Table, 105(5): 573-74.
Murphy, Philip (2018) The Empire’s New Clothes: The Myth of the Commonwealth, Oxford UP.
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Rosenboim, Or (2017) The Emergence of Globalism: Visions of World Order in Britain and the United States, 1939-1950, Princeton UP.
Wyn Jones, Richard, Guy Lodge, Charlie Jeffery, Glenn Gottfried, Roger Scully, Alisa Henderson and Daniel Wincott (2013) England and Its Two Unions: The Anatomy of a Nation and Its Discontents, Institute for Public Policy Research, https://www.ippr.org/publications/england-and-its-two-unions-the-anatomy-of-a-nation-and-its-discontents [accessed Jan. 27, 2021].
秋田茂(2012)『イギリス帝国の歴史——アジアから考える』中公新書。
池本大輔(2016)「EU離脱を決めたイギリス——帝国へのノスタルジアかリトル・イングランドか」『アステイオン』第85号。
今井貴子(2020)「遅れてきたポピュリズムの衝撃——政党政治のポピュリズム抑制機能とその瓦解?」水島治郎編『ポピュリズムという挑戦——岐路に立つ現代デモクラシー』岩波書店。
遠藤乾(2016)『欧州複合危機——苦悶するEU、揺れる世界』中公新書。
小川浩之(2012)『英連邦——王冠への忠誠と自由な連合』中公叢書。
木畑洋一(2008)『イギリス帝国と帝国主義——比較と関係の視座』有志舎。
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木畑洋一・後藤春美編著(2010)『帝国の長い影——20世紀国際秩序の変容』ミネルヴァ書房。
君塚直隆(2015a)『物語 イギリスの歴史(上)——古代ブリテン島からエリザベス1世まで』中公新書。
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近藤康史(2017)『分解するイギリス——民主主義モデルの漂流』ちくま新書。
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浜井祐三子(2018)「排外主義とメディア——イギリスのEU残留・離脱国民投票から考える」宮島喬・木畑洋一・小川有美編『ヨーロッパ・デモクラシー——危機と転換』岩波書店。
細谷雄一(2009)『倫理的な戦争——トニー・ブレアの栄光と挫折』慶應義塾大学出版会。
細谷雄一(2016)『迷走するイギリス——EU離脱と欧州の危機』慶應義塾大学出版会。
水島治郎(2016)『ポピュリズムとは何か——民主主義の敵か、改革の希望か』中公新書。
C.ミュデ,C.R.カルトワッセル(2018)『ポピュリズム——デモクラシーの友と敵』永井大輔・髙山裕二訳、白水社。
力久昌幸(2019)「EU離脱とイングランド——イングランドにおけるナショナリズムの台頭は何をもたらすのか」『同志社法学』第71巻5号。
若松邦弘(2018)「『普通の人』の政治と疎外——EU問題をめぐるイギリス政党政治の困難」宮島喬・木畑洋一・小川有美編『ヨーロッパ・デモクラシー——危機と転換』岩波書店。