加藤和世 米国笹川平和財団(Sasakawa USA)教育事業、財務担当ディレクター
2016年の大統領選は、ワシントンのシンクタンクに代表される政策コミュニティにとって「まさか」の実現の連続だった。大統領就任式の間、市内では一部のデモが暴徒化し、主流シンクタンクの専門家は、「トランプ支持者にとっては最高の演説。その他にとっては地獄」などとツイッターで呟き合い、自国の大統領を激しく拒絶した。翌日のウィメンズ・マーチに参加することで「希望を持ち直した」人もいるが、従来の常識と人脈から逸脱したトランプ政権が発足し、ワシントンの政策コミュニティには停滞感が漂う。
これまでの常識では、回転ドア式に、シンクタンクから新政権へ、前政権からシンクタンクへと、人材が入れ替わるはずだった。しかし、「右か左か」というような、イデオロギーをめぐる選挙ではなかった今回は、民主党だけでなく共和党の専門家も動きがなく、回転ドアが行き詰った状況だ。昨年の共和党反トランプ公開書簡に署名していなかったり、対中強硬派とされる共和党のアジア専門家の政権入りが噂になる程度だ。 [1]
オバマ前政権を支えたアジア専門家の中には、新政権発足直前にバイデン前副大統領の国家安全保障担当副補佐官から外交政策評議会(CFR)の中国担当上級研究員に就任したイーライ・ラットナーのような成功例もある。しかし、皆がその経験に見合う転職先をみつけられるのか、アメリカ進歩センター(CAP)の若手専門家は懸念する。ブルッキングス研究所では、ヒラリー政権の高官職に就くとされていたストローブ・タルボット元国務副長官が先月今年10月に所長を辞任すると発表し、今後の体制変化の兆しがあるが、CAPなど、より若い世代が率いるシンクタンクは、ヒラリー政権を確信して計画していた人事と組織改革の機会を失い、既存の体制が続く見込みだ。この際、ワシントンの外で働く機会を模索する若手専門家も多い。
また、ワシントンのアジア専門家の間には超党派のネットワークが形成されていて、従来は政権とシンクタンクの壁を越えたアイディアの交流が盛んであった。ところが、トランプ政権とのチャネルを持つシンクタンクや専門家は限られ、その政策決定への影響が不透明だ。
多くのワシントンの専門家にとって、トランプ大統領の政策決定は「予測不可能」だが、政権移行チームのあるメンバーは、それは「大衆主義」、「現実主義」、「保守主義」を含む3つの要素に基づくと主張する。そして、トランプ大統領は、最終決定は自分が行うとの強い意志を持つものの、この三要素の均衡点となる政策決定については、重鎮の閣僚と側近に相当依存することになると予測する。ただ、その重鎮と則近が必ずしも一枚岩ではないことに留意が必要だろう。フリン前国家安全保障補佐官の突然の辞任のように、この種のサプライズが続く可能性はある。 [2]
当面、「現実主義」を牽引するのは、重鎮閣僚のジェームズ・マティス国防長官とレックス・ティラーソン国務長官だろう。日米同盟も、両長官のもと、「アジアで頼れる国は日本だけ」との現実路線が安定をもたらすことが期待されている。軍人のシビリアン組織トップ就任や、財界寄りの人事を懸念する声もあるが、ワシントンの政策コミュニティの重鎮と繋がっており、全体的に安心感を与えている。例えば、CAPにはマティス長官が上級軍事補佐官として仕えた ルディ・デリオン 元国防副長官が在籍し、戦略国際問題研究所(CSIS)は2005年からティラーソンを評議員に迎えている。また、マティス長官の背後では、 サリー・ドネリー (元マイク・マレン元米統合参謀本部議長特別補佐官)という米中央軍司令官時代の顧問がシンクタンク関係者から活発に情報収集し、トランプ政権閣僚初の外遊だった訪日の際にも彼女の人脈が動いた。このように、過去に蓄積された一つ一つの人間関係が、結局今の政権を支えているケースもある。
しかし、マティス、ティラーソン両長官との個人的な繋がりを除けば、トランプ政権とワシントンの大手シンクタンクの関係は脆弱との見方が一般的だ。トランプ政権にて影響力を持つとされる、娘婿のジャレッド・クシュナー上級顧問、スティーブ・バノン首席戦略官兼上級顧問、ラインス・プリーバス首席補佐官を含む3名の側近は、いずれもワシントンのシンクタンク業界を信頼せず、頼る姿勢も見せていないという。 [3]
かといって、ワシントンのシンクタンクが無意味となったわけではない。政権との繋がりが弱くても、米議会への発信、トランプ支持者を含む有権者に対する「完結で分かり易い」政策の説明、民間外交の促進など、多くのシンクタンクがその役割と戦略を見直している。専門家で溢れたヒラリー政権だった場合と比べ、これまで目立つことのなかった専門家の活躍の場が増える可能性を期待する声もある。特に、トランプ個人の言動にセンセーショナルに反応するばかりでは、米国民を疲弊させるだけとの意見もある中、シンクタンクの専門家には、トランプ政権の政策の合憲性や合理性、前政権との比較を冷静に検証する役割が求められている。 [4] 実際、ワシントンの専門家は、果たして「制度」である「大統領」を尊重してトランプ「大統領」と付き合っていくべきか、「大統領」の尊厳を損なう「病的虚言者」「米国の国益や価値観にとって危険な人物」として、トランプ個人の言動を批判するべきか、葛藤しているようでもある。
トランプ現象は、米国内の問題を浮き彫りにした。国内の分裂への対処も含め、米国は歴史的に見て「自浄能力」、「復元力」のある国だという自負がエリート層を中心に強く存在するが、今回その自負が試されている。その中で、世界の主要国でも最も政治的安定性が高いとみられる日本の役割に対する期待値は高い。日本の政策コミュニティとしても、トランプ政権との良好な二国間関係の構築とともに、急速に進む技術進歩に伴う貧富の格差の是正、移民等の人口移動の問題、継続する温暖化への対策など、トランプ政権を超えて存在する諸問題の解決に向け、超党派的にアメリカとのパートナーシップを強化すべき時だろう。
[1] プロジェクト2049研究所所長のランディ・シュライバー元国務次官補代理や、共和党アイダホ州委員長でハミルトン財団特別研究員のスティーブン・イエイツ元副大統領国家安全保障担当副補佐官などの政権入りが噂されたが、イエイツ氏は昨年のトランプの台湾の蔡英文総統との電話会談を評価し、シュライバー氏は今年1月の会議でトランプの対中評価に異論はないと述べている。しかし、いずれも政権移行チームのメンバーではない。
[2] マクマスター新国家安全保障補佐官についても、その軍事経験や頭脳が評価される一方、トランプ大統領本人やその側近と重鎮閣僚との関係がある中、その影響力は不透明だ。
[3] Josh Rogin, “Death of Think Tanks as we know it” , The Washington Post , January 15, 2017
[4] Tom Nichols, “Chill, America. Not Every Trump Outrage is Outrageous” , The Washington Post , February 2, 2017