加藤和世
米国笹川平和財団(Sasakawa USA)教育事業、財務担当ディレクター
アメリカNBCの由緒あるコメディバラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」は、トランプ共和党、クリントン民主党両大統領候補を選択肢とする今回の大統領選について、「深夜に冷蔵庫を開けても何も食べたいものがなく、30分後にまた見に行っても同じ状況の時と似ている」、「iPhone7を買うのは、大した変化もないのに強要されている様で気が進まないが、Samsung Galaxyも突然発火しそうで躊躇する感じ」、と揶揄した。 [1] 党派に限らず、米国人有権者の多くはこのような心境で本選を迎えるのだろう。7月の世論調査では、大半の米国人有権者が、一方の候補を支持する理由として、他方の候補の当選阻止という消極的な理由を挙げている。
特に、共和党の外交・安全保障専門家は積極的にアンチ・トランプであり、反対党のクリントン候補に投票する意向の人も多い、異例の状況だ。8月には、クリントンへの不信感を肯定しつつも、共和党政権の要職経験者を含む同党の外交・安全保障専門家計50名が一致団結し、「トランプはアメリカの歴史上最も向こう見ずな大統領になる」との確信のもと、不支持を表明した。 [2] トランプは、共和党指導者こそが「世界を危険にした当事者」であるとし、88名の司令官・将軍経験者の退役軍人がトランプ支持を表明したことを誇示しているが、ワシントンで活躍する元軍司令官は、その中で共に戦いたい人物はいないと述べる。
第1、2回のテレビ討論会後、アンチ・トランプの確信は固まるのみだったろう。トランプは、核先制不使用政策の可否について「先制攻撃はしない」が「全ての選択肢を検討する」と矛盾した発言などで不勉強を露呈し、過去に元ミス・ユニバースを「ミス子豚」「ミス家事手伝い」と侮辱したことが指摘され、大統領に適切な資質を欠くとの世論も強まった。相手候補を「牢屋に入れる」と脅した前代未聞の発言も、メディアの期待を裏切らなかった。
第2回テレビ討論会直前には、トランプの2005年の女性に対する卑猥発言が流出し、同候補に対する逆風が急に加速し、連邦議会選挙を計算にトランプを許容してきた共和党議員も不支持を表明した。過去の暴言と比べても、女性への性的暴行を示唆した発言は、近年米国のレイプ・カルチャーが重大な社会問題となっている中、保守も含め多くの米国人の許容範囲を超え、トランプ・バッシングのチャンスとなった。 [3] 白人労働層を中心とするトランプの支持基盤を揺るがしたとは言えないが、大卒の白人を含む浮動票がトランプに流れる可能性は防げたかもしれない。
トランプが当選した場合、ワシントンの専門家に頼らざるを得ない状況になると考えられている中、トランプ政権を支える可能性に悩んできた共和党専門家達も、この展開に多少救われたかもしれない。今回の大統領選で、ワシントンのシンクタンク専門家は、日米関係の専門家を含め、自党候補の発言の虚偽解明という珍しい取り組みを強いられてきた。 [4] ワシントンの外で日米関係の便益について発信する努力にも拍車がかかった。 [5] 海外の反応も意識されており、トランプの当選可能性は米国のリーダーシップと信頼に関わる重大な問題として、ワシントンの専門家も深刻に受け止めている。テロ、核問題、中国やロシアとの関係に限らず、同盟のパーセプションへの影響も懸念されている。ある専門家は、日本の一部の有識者の間で、トランプの当選が日本の外交・安全保障にとってある種の機会となる可能性が語られていることを指摘した。
しかし、ワシントンの専門家の声がトランプの支持基盤に影響を与えることは期待できない。トランプ現象は、トランプ自身が何か重要なメッセージやアイディアを持っていることを意味せず、米国内の既存の不安と不満がトランプに投影されたある種「幻影」的な存在との見方がある。それ故に、通常であれば、致命傷となる幾多の発言を批判されても、トランプの場合、批判の弾が幻影を素通りしてしまう。むしろ、トランプを批判すればするほど、ワシントンのエリート層を敵化するトランプの主張が正当化されてしまう。
また、卑猥発言後のトランプ・バッシングの嵐にも拘らず、クリントンの「圧勝」を未だ予測できない現状は、アンチ・クリントンの根強さも示している。共和党大会の代議員を務めたことのある外交・安全保障専門家は、どちらの候補が当選しても、圧勝すれば共和党を奮い立たせる動機となりうるが、接戦となるのが一番悩ましいと指摘し、クリントンの不人気を問題視した。民主・共和両党候補の不支持層から、リバタリアン党のゲーリー・ジョンソン候補が「取るに足らないとは言えない(not insignificant)」数の票を得る可能性は、彼の外交・安全保障能力を評価せずとも、ワシントンの外交・安全保障専門家も意識している。
本選の結末は、世論が実際の投票結果や投票率に如何に結びつくかにも起因する。しかし、いずれの候補が選ばれても、むこう4年間、前例のない困難な状況が生ずるわけであり、「ただ現状を嘆いているだけでは無責任、新しい外交・安全保障戦略の構築に早速取り組むべき」との気運も共和党有識者の間では高まっている。その背景には、トランプ現象という、根っ子にある不安と不満を解消せねば解決しない国内問題に直面し、今回の大統領選で本来最優先事項となるべきだった外交・安全保障の本質を議論する機会が失われたことに対する焦りもある。人口、経済、軍事力、イノベーションなど、どの尺度をとっても、米国の基礎・ファンダメンタルズが強固であることに変わりないことが、逆に不満層を含む国民的心理に影響し、大統領選の「悲喜劇」を招いているとのシニカルな見方をする者もある。いずれにしても前代未聞の状況だと言えよう。
[1] 2016年10月1日放映。
[2] “A Letter From G.O.P. National Security Officials Opposing Donald Trump,” August 8, 2016 ( http://www.nytimes.com/interactive/2016/08/08/us/politics/national-security-letter-trump.html )
[3] 今年の夏には、2015年にスタンフォード大学の有望な水泳選手が起こした女子学生レイプ犯罪に対する軽い判決が物議を醸した。コメディアンのビル・コズビーの過去のレイプ犯罪も大きく報道されている。
[4] Hornung and Harris, “Trump Shouldn’t Bash Japan,” February 15, 2016, National Interest ( http://nationalinterest.org/feature/trump-shouldnt-bash-japan-15328?page=show) は、日本が米国の雇用を略奪しているとの主張や、日米同盟にただ乗りしているとの指摘について、反論している。
[5] ピーターソン国際経済研究所、イースト・ウェストセンター、米国笹川平和財団は、地元の団体と協力し、 ペンシルバニア州 と オハイオ州 でアジアや日本の重要性に関する一般向けの討論会を共催予定だ。