特大のコーラやポップコーンを片手に映画や野球を見るのが一般的なアメリカ。日本人からすると「いかにもアメリカ」といったおなじみの光景が、ニューヨークでは見られなくなるかもしれない。ニューヨークのブルームバーグ市長はレストラン、ファーストフード店、映画館や野球場を対象に、炭酸飲料など砂糖が入った飲み物の容量を約470ミリリットル以下に規制するという条例案を打ち出した。市民(成人)の6割が太りすぎという現状を是正すべく、市長側が肥満の元凶の一つとみなす砂糖入り飲料の規制を通じ、肥満対策を強化しようという試みだ。映画館のコーラのLサイズは1.4リットル前後と巨大。カロリーは500を超え、大人が一日に必要とする量の約4分の1に値する。飲料メーカーは猛反発しているが、早ければ来年3月にも規制が導入される見通しだ。
今年6月に最高裁判決が出た後も、国論を二分し続けているオバマ政権の医療保険制度改革法。一身に注目を集めてきたのは国民に保険加入を義務付けた部分だが、全部で2000ページ強に及ぶこの法案には知られざる柱がいくつもある。肥満対策もその一つで、同法により、店舗数が20以上の外食チェーンは全商品のカロリーをメニューに表示することが義務づけられる *1 アメリカでは一品で1000カロリーを超えるメニューも珍しくない。カロリー表示が客の行動にどの程度影響するか、議論を呼んでいる。
このように、肥満防止に向けた方策が矢継ぎ早に登場するのは、長年にわたり肥満対策の重要性が認識されながら、状況が一向に改善しないという現実の裏返しだ。WHO(世界保健機関)の定義では、BMI *2 が25を超えると「太り過ぎ」、30を超えると「肥満」とされる。CDC(米疾病対策センター)によると、成人人口における肥満の人の割合は35.7% *3 。過去50年間で約3倍に増えた計算だ *4 。
他の先進国では、英国が23%、ドイツが15%、フランスが11%、日本が4%など(OECD調べ *5 )。アメリカの比率の高さが世界的にも特異であることが分かる。
今後の展望も明るいものではない。医療分野でアメリカ政府に助言している米医学研究所(IOM)は今年5月、2030年の肥満人口(BMI30以上)が2010年時点より3200万人増え、全体の42%に達するとの見通しを示した。更に、全体の6%だった「病的肥満(BMI40以上)」の人は11%まで増加するとした。肥満は心臓病、呼吸器疾患、糖尿病、高血圧、関節症など多くの病気にかかるリスクを高めるとされ、実際にアメリカでは肥満の影響で医療費が急拡大している。肥満と医療費の関係を調べた米コーネル大の研究 *6 では、アメリカの医療費の21%が肥満関連との結果が出た。これは、9%とされていた従来の試算の約2倍にあたる。肥満の人は肥満ではない人に比べ、年間の医療費が2741ドル多くかかっており(2005年)、これを全国レベルに換算すると約1900億ドル、医療費全体の20.6%を占めるというわけだ。
また、BMIが30以上(肥満)の場合、医療費は体重に比例し、BMIが1ポイント上がるごとに年間の医療費負担が8%増えるという調査結果もある(米マッキンゼー)。
前述のIOMの予測に基づくと、肥満人口が増加することにより、今後20年間で医療費は5500億ドル(約44兆円)も拡大する。アメリカの医療費支出は現時点の国際比較においても非常に高く、予測通りのペースで肥満が広がれば、今後アメリカ社会全体の大きな足かせとなりかねない。
さらに悪いことに、医療費は肥満問題が社会に強いるコストの一部にすぎず、間接的な負の影響も無視できない。まず、職場での生産性の低下。肥満の人は何らかの病気にかかる可能性が高く、通院などのため会社を休むことが多い(absenteeism:病気による欠勤)。ギャラップ社の調査では、肥満や太り過ぎで、かつ慢性疾患を抱える人が病気で欠勤した日を足すと、健康な人と比べ、年間4億5000万日も多く休んでいることが分かった *7 。また、出勤したとしても、肥満の社員は息切れや何らかの痛みなどで、全力で仕事ができる状態を維持できないことがある(presenteeism:病気をおして出社したものの生産性が上がらない状態)。これらの要因がアメリカの企業に与える負のコストは年間約730億ドルに達し(米デューク大調べ) *8 、産業界に大きな打撃を与えていることが分かる。
また、肥満が原油などのエネルギー消費に与える影響も大きい。一般的に、体重の重い人が自動車で移動する場合、より多くのガソリンが必要とされる。肥満や太りすぎの人が多いために、アメリカでは年間7.3億―11億ガロン(27.6億-41.6億リットル)分のガソリンが余計に消費されているという *9 。これはアメリカ人が年間に消費するガソリン全体の0.5-0.8%に値する。
医療費拡大の影響は一般家庭や企業にとどまらない。公的医療保険(メディケア:高齢者向け、メディケイド:貧困層向け)では肥満関連の医療費が急速に膨らんでおり、連邦政府や地方自治体の財政悪化の一因となっているほか、税金や保険料の引き上げなどの形で、肥満ではない人にも多大な負担を強いている。肥満女性は、肥満ではない人が払うコストを年間3220ドル、肥満男性は同967ドル引き上げているという統計もある *10 。 このほか、肥満人口が増えれば、地下鉄や野球場、映画館などの座席を広く改良する必要が生じたり、食費や衣料品への支出が増えたりなど、肥満による間接的なコストは多岐にわたる。マッキンゼーはこれらの間接コストをすべて合計すると、肥満関連の医療費の約3倍に及ぶと試算した *11 。
肥満はしばしばタバコと比較される。タバコも受動喫煙という形で、自分自身が喫煙しない人にも悪影響をもたらす。一方、肥満は第三者に対して、健康被害を与えるわけではないが、多大な経済的負担を強いることになり、社会全体にかかる負荷としてはタバコ以上との見方もある。一刻も早く対処する必要があるのは明らかだが、肥満はアメリカが抱えるもう一つの根深い社会問題、貧困と密接に結びついているという事実が一段と解決を困難にしている。
首都ワシントンDC、国会議事堂(キャピタル・ヒル)から車でわずか10分ほどの第7地区(Ward7)。人口約7万人のこの地域で目立つのはマクドナルド、ウェンディーズ、ピザハットといったファーストフード店。一方、スーパーはわずか2店しかないうえ、両方とも区の端にあるため、バスを2時間も乗らないと最寄りのスーパーにたどりつけない人もいる。食品を扱う小さな商店はあるが、通常置いてあるのは缶詰やスナック菓子などが中心、野菜や果物を手に入れるのは至難の業だ。アメリカではこのような地区を「食の砂漠(food desert)」と呼ぶ。食べ物が全く手に入らないというわけではないが、新鮮で栄養価の高い食品を手に入れるのは非常に難しい。
生鮮食品を買えるスーパーが少ないことだけが問題なのではない。いくつかの野菜を買って料理するほうが、ハンバーガーや缶詰の食品を買うよりはるかにお金がかかる。例えば、3ドルあれば、ファーストフード店でハンバーガーとポテト、コーラを食べることが可能だが、同じ値段で買える野菜や果物は一食分としては物足りない量にしかならない。ワシントンでも有数の貧困地域である第7区の住民の食事は、自然と高カロリーのファーストフードや缶詰などに偏ってしまう。さらに、犯罪率が高いため、ジョギングなど外で体を動かすこともままならず、運動不足になりやすい。複合的な悪循環が、肥満人口比率約40%という数字に表れている(ワシントンDC全体では約22%)。
健康問題であるだけでなく、経済、社会問題にも発展したと言える肥満。ここまで問題が重層化し、深刻になったからには、政府、自治体などの強いイニシアチブが必要だろう。だが、「ソーダ禁止令」を提案したブルームバーグ市長が「個人の自由を侵害するな」といった批判を受けていることが示すように、「公」による国民の生活への介入を徹底的に嫌うお国柄。小さな政府を志向するティーパーティー(茶会党)の登場以来、その傾向は強まるばかり。問題解決の糸口は全く見えない状況だ。
*1 : http://www.fda.gov/food/labelingnutrition/ucm217762.htm
*2 :Body Mass Indexの略で、肥満の度合いを示す国際指標。体重(?)÷{身長(?)×身長(?)}で算出できる。
*3 : http://www.cdc.gov/nchs/data/databriefs/db82.htm
*4 : http://obesitycampaign.org/research.asp
*5 : http://www.oecd.org/dataoecd/1/61/49716427.pdf
*6 : http://www.news.cornell.edu/stories/April12/ObesityCosts.html
*7 : http://www.gallup.com/poll/150026/unhealthy-workers-absenteeism-costs-153-billion.aspx
*8 : http://today.duke.edu/2010/10/workobese.html
*9 : http://www.informs.org/Connect-with-People/Speakers-Program/Search-for-a-Speaker/Search-by-Name/Jacobson-Sheldon-H.-University-of-Illinois-at-Urbana-Champaign
*10 : http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0167629611001366
*11 : http:www.kickthecan.info/document/262