「強欲は正しい」「強欲は善だ」。1987年に公開された映画「ウォール街」に登場するカリスマ投資銀行家、ゴードン・ゲッコー(Gordon Gekko)のセリフ。利益至上主義の冷血な人間として描かれたゲッコーを象徴する言葉として有名になり、リーマンショックの際にはウォール街的な資本主義の功罪を議論する際にたびたび引き合いに出された。
今回の大統領選。最初から最後までロムニーを最も苦しめたのがこの「ゲッコー」のイメージだった。投資ファンドの経営者として巨額の富をなしたロムニー氏。インターネットで「Romney Gekko」を検索すると表示されるサイトの多さは、政敵らによるロムニーとゲッコーを結びつける動きがいかに活発だったかを物語る。それは本選挙に突入する何か月も前から始まっていた。
「庶民の苦しみに乗じて利益を生み出す『ハゲタカ』がいるーミット・ロムニーもその一人だ」今年1月、サウスカロライナ州での共和党予備選に向けてギングリッチ陣営が流した中傷CM。「ファンドの利益を上げるためなら投資先企業に厳しいリストラを求める血も涙もない経営者」というレッテルを貼られたロムニー氏は、不景気にあえぐ同州の有権者の支持を失い、この予備選に惨敗。「投資ファンドの経営者」「大富豪」としての自らをいかに有権者に説明するかという課題が突き付けられた。しかし、これ以降の予備選では、ロムニー陣営が「資本主義のもとでの成功を否定するのか」と反撃。共和党は自由主義経済を標榜しているだけに、反ロムニー勢力も真正面から反論できず、ロムニー氏の“ハゲタカ”ぶりを批判する動きはやがて沈静化。宿題への答えを出さないまま、本選挙に突入することとなった。
一方、当初からロムニー氏が共和党の候補になると予測したうえで作戦を練っていたオバマ陣営。ロムニー氏の経営者時代の実績を徹底的に攻撃する戦略を早々に決めたという。4月半ば、共和党の予備選が事実上終わるやいなや、中傷CMを開始。ロムニー氏が率いるファンドに買収された製鉄工場に長年勤めていたという中高年労働者が次々と登場し「ロムニー氏のファンドは工場をつぶして大儲けしたが、我々の生活は破壊された」と痛烈に批判した。これ以降もオバマ陣営は「スイスの銀行に巨額の資産を持っている」「インドや中国に雇用を流出させた」などロムニー氏の富やビジネス経験を容赦なく攻撃するCMを流し続けた。有権者がロムニー氏のことをまだよく知らない選挙戦初期に、激戦州で集中的に流されたこれらの中傷CMはオバマ陣営が想定した通り、もしくはそれ以上の効果があったとされる。投票日の出口調査によると、候補者の重要な資質として「自分のような人のことを考えている」を挙げた人の82%がオバマ大統領に投票、ロムニー氏を選んだ人はわずか17%だった。
中傷CMの洪水にさらされている間、ロムニー陣営の反応は奇妙なほど鈍かった。なぜか。答えは泥仕合の末に決着した予備選にある。次から次と先頭ランナーが入れ替わる長丁場の予備選を経て、ロムニー陣営の資金は枯渇。指名を固めた4月半ば時点で「破たん状態」(ワシントンポスト)にあったという。それまでに集めた約1億ドルのほとんどを使い果たしたうえ、本選挙用の資金は8月末の党大会で正式に党の指名を受けるまでは使えない。ロムニー氏のファンドによる投資の恩恵を受けた企業の経営者らを集めて作成したPR映像をネットで閲覧できるようにしたものの、肝心のテレビCMとして流す資金はなく、メッセージは浸透しなかった。4月半ばから8月末にかけて、オバマ陣営がCMに使った資金は1億7300万ドル、ロムニー陣営は7500万ドル(キャンペーン・メディア・アナリシス・グループ)。激戦州の有権者がどちらの陣営の主張に触れる機会が多かったかは明らかだ。
資金不足に加え「本当の勝負は党大会以降」とにらみ、中傷CMに迅速に対抗するのを見送ったロムニー陣営の戦略ミスも災いした。アン夫人らはロムニー氏の人間性がオバマ陣営によって歪曲して描かれていることに危機感を覚え、対抗策を講じるよう主張したが聞き入れられなかったという。
資金不足は激戦州を集中的に回る、大統領選の「王道」を極めることも難しくした。予備選後、かなりの時間を資金調達に費やさざるを得なかったロムニー氏は、ニューヨーク、テキサス、カリフォルニアなど選挙活動の上では重要性が低い州をたびたび訪れ、その分、激戦州の有権者に自らの人間性や考えを直接訴える時間が犠牲になった。オバマ陣営からの攻撃に対する効果的な防御ができないまま、有権者に直接訴えることもままならぬまま、時間ばかりが過ぎていき、ロムニー氏の好感度は低空飛行を続けた。「国民の47%は政府に依存していて自立する気がない」などの失言のほか、納税記録の提出を拒んだり、アン夫人とジェットスキーに興じる映像を撮られたりとロムニー氏自身の言動が「庶民の気持ちが分からない大富豪」のイメージを助長した面もある。好感度は10月の第1回テレビ討論会を機に上昇したものの、それまでの負のイメージがあまりに大きく挽回しきれなかった。
長期にわたる予備選は資金不足以外にも、ロムニー氏に致命傷を残した。不法移民や人口妊娠中絶など、予備選中に保守派の支持を得ようとかなり右寄りの立場をとったせいで、本選挙に入っても中道に回帰することが難しくなってしまったのだ。なかでも足かせとなったのが移民問題で「不法にアメリカに滞在している者は自ら国外に出る選択(self-deportation)をするべきだ」と発言したことだ。一定の条件を満たした不法移民を国外退去の対象外とする方針を発表したオバマ大統領とは対照的に、ロムニー氏の主張は不法移民が市民権や合法的に滞在する権利を得る扉を閉ざすことを意味した。選挙が近づくにつれてトーンを弱めたものの、一度離れたヒスパニックの支持が戻ることはなかった。ロムニー氏が得たヒスパニック票は27%。4年前のマケイン氏を4ポイント下回り、1996年のボブ・ドール候補以来の低水準だった。
ロムニー氏は予備選で人工妊娠中絶などの社会問題に対しても硬直的な態度を示し、女性票を巡る争いにも大敗した。もともと誰もが保守と疑わないような候補なら予備選での「過度の」右旋回は必要なく、本選挙で中道にシフトしやすかったとみられる。保守派に「マサチューセッツ州のリベラル」と揶揄され、「本当に保守なのか」と疑われ続けたロムニー氏だったからこそ、批判をかわすため、自らを「厳格な保守主義者(severely conservative)」と称し、ライバルたち以上に保守強硬派のような発言を繰り返した。予備選を勝利に導いたこの戦略こそが本選挙での敗北の種をまいたと言えるだろう。