共和党の予備選挙戦でこれまでドナルド・トランプが首位を走りつづけ
てこられたのには、失言も多いが歯に衣を着せぬ彼の物言いが、現状の政治に不満を持つ人々の心に響いていることが背景にあるといえる。しかし、選挙戦が進むにつれ、トランプの政策の具体的な中身が問われるようになってきた。
その中でも、医療制度改革に対してトランプがどのような姿勢をとるのかが注目された。前回のコラムでも書いたように、トランプは過去に皆保険を積極的に支持する態度を明確に示したことがあり、シングル・ペイヤー制を採用するカナダを模範にした改革を訴えたこともある。
その他の共和党候補者たちは、皆保険の実現を明確には主張しないし、ましてやシングル・ペイヤー制を採用しようなどとは絶対に言わない。オバマケアが成立した後は、それを破棄し、医療における市場メカニズムをより強化しようと主張することで共和党はまとまってきたといえる。
したがって、共和党の予備選挙で勝つためには、候補者はこの路線に沿った改革案を提示する必要があるのは当然だと見られてきた。そこで、医療政策については民主党に近いとも言える政策スタンスをこれまでとってきたトランプが、医療政策についての具体案を示す際にどの程度これまでの共和党の主張にすり寄るのかが注目されたのである。
3月2日、トランプが「7ポイントプラン [1] 」と呼ぶ医療保険改革案がウェブサイト上で示された。このコラムでは、その概要を示しながら、それに対して共和党内部からどのような反応があったのか、そしてそれは何を示しているのかについて考えていきたい。
「トランプケア」の内容
「トランプケア」とも呼ばれる、トランプの「7ポイントプラン」は以下のようなものである。1)個人への保険加入義務付けの廃止、2)保険者が州を超えてプランを提供することへの許可、3)個人の保険料に対する税控除の完全実施、4)医療貯蓄口座の拡大、5)医療サービス提供者に対する透明性の確保、6)メディケイド(低所得者・障害者向け公的医療保険)の包括補助金化、7)海外からの輸入を認める医薬品市場のさらなる自由化による価格抑制。
挙げられた7つの項目の中で注目すべきは、1)の個人に対する保険加入の義務付けを否定した点である。2月のCNNのタウンホールミーティングでは「私は(個人への)義務付けという考えは好ましいと思う」と発言しており、明らかに方針を変更している。この点だけ見れば、トランプはより“共和党らしい”候補者になったと言える。
しかし、総論の部分はそうとも言えない。彼はこれまで、もし大統領になったら「医療サービスが高いという理由では誰も死なせない」と繰り返し言ってきている。今回の「7ポイントプラン」でも「医療サービスが全てのアメリカ人の手に届くように医療の価格を下げ、質を高める」と太文字で記している。他の多くの共和党候補者は、「全てのアメリカ人」という言葉を使うことを避ける。なぜならばこれが連邦政府の役割強化につながり、皆保険につながり、そして医療の社会主義化につながると考えるからである。
共和党からの反発
トランプが改革案を発表すると、共和党系の医療政策専門家からすぐに批判がなされた [2] 。
まずは内容の稚拙さが指摘された。ミット・ロムニーを含む候補者をサポートしてきたアヴィック・ロイは「陣笠議員のために、22歳のスタッフがウィキペディアをざっと見て書いたような物」であるとこき下ろした。ジョン・マケインをサポートしたこともある、アメリカン・エンタープライズ研究所のトマス・ミラーも「一夜漬け」のような物であると評している。
次に批判されたのは、トランプがこれまで主張してきたことと今回の改革案が相反する点が多いことである。個人に対する保険加入の義務付けを撤回しながら、既往症を持つ人々への保険を保障するという従来の主張をどのように実現するのかについての案が示されていないというような点である。またこのような批判の背景にあるのは、トランプが本気でオバマケアを破棄しようとしているのかということに対する疑念である。
共和党の行き詰まり感とトランプ
2016年1月13日から19日にかけて行われた有権者登録を行った者に次回の大統領選挙での重要争点を聞いた世論調査では、「医療保険・医療サービスの価格」と答えた者が28%で、「テロリズム」(38%)、「経済と雇用」(34%)に続いて3番目になっている。これは次回の大統領選挙において医療政策が依然重要な争点であることを示している [3] 。
共和党候補者の共通のスローガンは「オバマケア破棄」である。しかし、問題は破棄してどのような代替案を示すのか、より具体的には、オバマケアを破棄することで保険を失う者をどのように救済するかを示すことである。
共和党はこれまでこの救済案についてまとまることができなかった。なぜならば、全ての人々を救済しようとすると皆保険を認めることになるからである。
そこに現れたのがトランプである。彼が示した改革案には多くの説明不足や矛盾が含まれるとはいえ、全てのアメリカ人に対する医療保障を何らかの形で実現することに未だ含みを持たせている。これは、既存のイデオロギーを重視した共和党政治家にとっては脅威に映る。他方、ブルーカラー労働者などにとっては大きな安心に映るといえる。
トランプは今後より具体的な改革案を示していかなければいけないが、このように、彼の主張が新たな支持者を掘り起こし、オバマケアをめぐる共和党内の行き詰まった議論を打開させる可能性を持つといえる。しばしば否定的に捉えられるトランプ現象ではあるが、医療政策をめぐる政治的争いに注目すると、生産的議論を生み出しているともいえるのである。
山岸 敬和 南山大学外国語学部教授