山岸敬和 南山大学外国語学部教授
過去二度の大統領討論会でかなりの時間が人種問題(特に白人と黒人との関係性)に割かれた。クリントン候補は主に刑法や警察の改革、そして黒人と警察の関係性の改善、そしてより厳格な銃規制を主張した。他方、トランプ候補は「法と秩序」の維持を強調し警察による治安維持の強化を訴えた。
第一回の討論会に人種問題が含まれるだろうということは事前に予想されていた。なぜならば、オバマ政権第二期になって人種問題が再燃し始め、討論会直前にもオクラホマ州タルサ市やノースキャロライナ州シャーロット市で黒人(武器を所持していなかったと主張している)が警察官によって撃たれるという出来事が起こっていたからである。
このコラムでは、対黒人の政策の発展を簡単に振り返りながら、現在の黒人がどのような政治的な立ち位置に置かれているか、そして人種問題は行き詰まりの状態にあり、それが両候補にどのような意味を持つのかを論じたい。
黒人の政治的・経済的平等
アメリカは先進国で「最も早く民主化を始めた国だが、最も遅く民主化を完了した国でもある」と言われる。なぜならば、他のヨーロッパ諸国に先がけて普通選挙(白人男性)は1830年代にほぼ実現したが、事実上南部の州で多くの黒人への投票権は剥奪されており、投票権法が成立した1965年まで待たなければならなかったからである。
1960年代以降、黒人を主な対象とした政策が実施された。黒人を始めマイノリティグループ向けのアファーマティブ・アクションはその代表的なものの一つであるし、また黒人が多い都市部における住宅の整備や、黒人貧困コミュニティを活性化させるようなプログラムなどもジョンソン大統領の「貧困との戦い」の一部として実施された。
しかし1980年代に入り保守化の流れが鮮明になってくると、黒人のシングルマザーが福祉依存に陥っているというイメージが広まり、それが福祉削減への動きを後押しした。また、アファーマティブ・アクションについて白人は、マイノリティを優遇するがゆえに自分たちが不利益を被っているという主張を強めていった。すなわちこれが「逆差別」の問題である。
バラク・オバマの登場
2008年の選挙で史上初めて黒人の大統領が誕生して人々が熱狂したことは記憶に新しい。多くの黒人はオバマ政権の誕生によって、彼らの地位が向上することを期待した。
しかし、黒人大統領の誕生はすでに保守化が進んでいた白人を刺激した。さらに問題を複雑化させたのは、オバマの当選は、黒人には「ガラスの天井」はもはや存在しない、黒人に対する特別な政治的配慮はもはや必要ないというメッセージを送ることになったということである。
オバマ自身は人種問題に慎重な立場を保った。黒人である彼が黒人を対象とした優遇政策をとると白人からの反発を被るという予測があったからである [1] 。オバマ政権発足後しばらくは目立った人種間問題がなかったこともオバマにとっては追い風となった。
2009年1月に人種関係が「とてもよい/よい」と答えた人は1994年9月以降最高の77%にのぼり、2011年11月でも71%という数字を維持した。しかしその数字は急激に低下し始め、2015年のボルティモアでの騒動やその他の出来事があり、2016年7月には今度はそれが最低の24%となった [2] 。
残る人種差別・人種間不平等
ジョンズ・ホプキンス大学で教えていた頃、秀才の黒人学生が私にこのようなことを言った。「夜街にでかけると、白人の友達は絶対に呼び止められないのに、いつも僕だけが警察に呼び止められる。身体検査もよくされる。日本人のあなたには少しは僕の気持ちがわかるでしょう」。
第一回目の討論会で出てきた「stop and frisk」問題である。このような警察による人種プロファイリングは黒人社会から大きな反発を生み出しており、最近の警察の発砲事件後の騒動もこのような問題の延長線上にある。
人種問題はそれ以外にも様々な、しばしば非公式な形で存在する。企業の採用でも様々な障害があるし、最近では、民泊の経営者が、申込者が黒人だとわかると宿泊を拒否するという問題も話題となった。
そして、歴然とした経済的格差も未だ存在する。国勢調査によると、2015年の白人(ヒスパニックを除く)の平均所得は62,950ドルで、他方黒人は36,898ドルとなっている。また、白人の中で貧困者は9.1%であるのに対して、黒人では24.1%である [3] 。
政治勢力としての黒人
「黒人はアメリカの人口の何%ぐらいですか?」という質問をジョンズ・ホプキンス大学の社会学の講義で教授がして、正しく答えられた学生が10%ぐらいしかいなかったのに驚いた経験がある。実は日本で同じ質問をしても同様な答えが返ってくるのだが、多くの人が30~50%と答えた。10%ちょっと(2010年国際調査では12.6%))というのが正しい答えである。
政治勢力として黒人を考えた時に、圧倒的に民主党に投票するということに注目しなければならない。2008年選挙では黒人の95%がオバマに投票した [4] 。最近の他の選挙でも90%前後は民主党に投票しており、民主党にとって黒人グループは大票田となる。
しかし、前述したように黒人は人口の10%程度で、黒人票だけではもちろん当選できない。また、選挙で毎回固定的に民主党に投票するため、民主党内に黒人に対して特別な政治的配慮をしようとするインセンティブが欠けがちになってしまうという指摘もある。さらに、黒人優遇政策を行うと保守化が進む白人労働者層が民主党から距離を置いてしまう。その結果、黒人は政治的に「ほっとかれる」グループとなっているのである。
しかし、今回の選挙における激戦州のフロリダ州やオハイオ州では、黒人票がどのように動くかが結果に大きく影響すると言われている。クリントンは、黒人を動員するために今回の討論会などでも黒人コミュニティの文化に賛辞を送るなどした。しかし、黒人へアピールしすぎると白人票が減るため微妙なさじ加減が必要となる。
他方、トランプはマイク・タイソンの支持を得るなど空中戦をやってはいるが黒人内の支持は広がっていない。ただ彼は、民主党や既存の政治家に期待しても無駄だ、というメッセージを送りながら、少なくとも黒人が選挙を棄権するような雰囲気作りを行っていると言える。
今後両候補が人種問題に対してどのようなレトリックを使ってどのような政策を訴えていくかが注目される。
[1] オバマ政権期の人種政策については以下を参照。荒木圭子「人種政策―初の黒人大統領としての責務?」山岸敬和、西川賢『ポスト・オバマのアメリカ』(大学教育出版、2016年)。
[2] NBC News/Wall Street Journal July National Poll, https://ja.scribd.com/document/318518107/NBC-News-Wall-Street-Journal-July-National-Poll.
[3] U.S. Census Bureau, Income and Poverty in the United States: 2015 , http://www.census.gov/library/publications/2016/demo/p60-256.html .
[4] Porter Center for Public Opinion Research, How Groups Voted in 2008 , http://ropercenter.cornell.edu/polls/us-elections/how-groups-voted/how-groups-voted-2008/ .