静岡県立大学国際関係学部
教授 諏訪 一幸
2014年3月5日から13日まで、習近平体制下で初の全国人民代表大会(第12期全人代第2回会議)が開かれた。主要人事はすでに昨年の会議で終了していたため、注目度は比較的低かった。しかし、指導部の「国家」目標が明らかにされた点では、今後の動向を占ううえで重要な意味を持つイベントであったことは間違いない。ここでは、同月下旬に筆者が北京で行った聞き取り調査を踏まえ、全人代開催以降の中国情勢につき、外交に焦点を絞って考察する。
漂流する「平和的発展」外交
大会初日の5日、李克強総理は、政府活動報告中の外交部分で以下の通り述べた *1 。「今年(2014年)は平和共存5原則 *2 提起60周年にあたる。中国人民は平和を熱愛し、発展を渇望しており、わが国の近代化建設には長期にわたる安定した国際環境が必要だ。我々は平和、発展、協力、ウィンウィンの旗を引き続き高く掲げ、平和的発展の道を常に変わることなくあゆみ、相互利益によってウィンウィンとなる開放的戦略を常に変わることなく信奉する。国家の主権、安全及び発展がもたらす権益を断固守り、わが国公民と法人の海外における合法的権益をしっかり守る」。また、政策実施にあたってその責任の所在を明らかにした「『政府活動報告』中の重点工作部門の分担に関する国務院の報告」(以下、分担報告)では、今年の外交活動は「実務的かつ開放的に」行われるとされた *3 。
ベクトルが相反するように思われる「平和的発展」と「国家主権維持」の両立は、「韜光養晦」政策 *4 が形骸化する中、どのようにして確保されるのだろうか。筆者の投げかけたこの疑問に対し、北京の某大学で教鞭をとる若手の国際政治学者は、「自分は政策決定には参与していないので、あくまでも印象論だが」としつつも、以下のような見方を紹介してくれた。「平和的発展や韜光養晦という中国外交の主流をなした見解は、リーマンショック以降、主流ではなくなった。中国のような国であっても、外交分野に限らず、様々な見解が常に存在するが、以前であれば、政策決定者は『平和的発展』を盾に過激な主張を抑えることができた。しかし、今はそれができず、主流と言える考え方や方針がないのが中国外交の現状だ。こうした状況の下、経済力に頼れば何でもできるといった主張や『国民の半分が死んでも構わない』とする毛沢東流の主張が今は通りやすくなっている。中国ではパブリック・ディプロマシーという耳あたりのよい言葉が使われるようになっているが、それは、政策決定者や執行者が民意を恐れているからに他ならない」。
もしこれが中国外交の内実の正確な描写であるとすると、地域の平和と安定の実現を希求する我々としては、強い危機感をもって中国に対峙しなければならないだろう。
言行不一致の「周辺外交」政策
*5 政府活動報告(及び分担報告)では、重視すべき外交対象が周辺、途上国、大国、APEC、そしてマルチ(多国間)の順でランク付けされた。これは、昨年の「周辺外交工作座談会」(10月24日~25日)で示された新たな方針の具体化に他ならない。
「周辺外交」に焦点を絞った工作会議は、中華人民共和国の歴史において初めてのものだろう。同会議開催を伝える『人民日報』によると、「今後5年から10年間の周辺外交工作の戦略目標、基本方針、総合的アレンジを確定する」ために開催された。そして、会議を主宰者した習近平は、「中華民族の偉大な復興を実現すべく、“親、誠、恵、容”(親しみ、誠実、恩恵、寛容)の理念を強く押し出す」よう求めた。同紙は2本の解説記事を掲載しているが、外交部のシンクタンクである中国国際際問題研究所の曲星所長は、「大国―周辺―途上国―マルチという枠組の中で、周辺外交の重要性が高まっている」との認識を示している。また、同紙記者は、「周辺国の数は29、総人口は25億人」という数字をあげて「周辺外交」の重要性を指摘するのと同時に、重要な対象国および地域としてロシア、中央アジア、ASEAN、インド、パキスタン及び韓国をあげた *6 。
中国の対日外交は2008年の胡錦濤訪日直後から不安定化し、次第に強硬になってきた。昨今の中国は、来年を「反ファシズム戦争勝利70周年」と位置づけ、「主要敵」日本に対する国際共闘を呼びかけている。したがって、「周辺外交」強化の方針にもかかわらず、関係を強化すべき対象国の中に日本が入っていないのは、残念ではあるが、これも尖閣「国有化」以降の既定方針であろう。政府活動報告(及び分担報告)における「第二次世界大戦の成果と戦後の国際秩序を守り、歴史の流れを逆行することを決して許さない」との批判の矛先が日本に向けられたものであることも間違いない。全人代期間中(3月8日)の記者会見での「歴史と領土という二つの原則問題については、妥協の余地がない」という王毅外交部長発言からも *7 、日中関係改善の道が平坦でなく、道のりも長いことが予想される。「中国公船による尖閣周辺海域への侵入が今後なくなる理由や可能性は、残念ながらない。それは、法律ができ、体制が整い、設備も拡充されてきている以上、それを放っておくというオプションはないからだ」という、北京で聞いた日本政府関係者の話にも一定の説得力があると思った次第である。
しかし、一方で、関係改善に向けた動きが見えるのも確かである。4月に入ると、胡徳平全国政協前常務委員(故胡耀邦総書記の子息)が外務省の招待を「受け入れて」来日し、安倍首相らと面会した *8 。これは、中国指導部に対日関係改善の意向があることを意味しているのかもしれない。中旬になると、汪洋副首相が河野洋平会長(元衆議院議長)を団長とする日本国際貿易促進協会代表団と会見し *9 、下旬には舛添東京都知事が北京を訪問した。同市の招待を受けて都知事が訪問するのは実に18年ぶりである *10 。
現下の厳しい状況にあっても、「経済発展に貢献する外交」を掲げる中国にとって、大国であり隣国である日本は現実的、客観的判断に基づけば、間違いなく重要な存在である。その意味で、日中関係の動向は「平和的発展」を掲げる中国外交の今後の実践を評価する重要な試金石である。
試される「平和共存5原則」の有用性
2月下旬に始まるウクライナ情勢の混迷が、建国以来の中国外交の伝統的柱である平和共存5原則の有用性に疑問を投げかけている。
親ロシア派政権崩壊と親欧米派政権誕生を受け、クリミア自治共和国がウクライナからの「独立」を宣言し、プーチンのロシアはこれを「編入」した。この過程で、G7はロシアを非難する首脳声明を発表したが、それによっても事態は何ら好転せず、「編入」は既成事実化した。それ以降も、親ロシア派の武装勢力による行政庁舎などの占拠で緊迫するウクライナ東部の安定化を目指し、米、露、EUを交えた協議が続けられているが、事態はさらなる混迷に向かっている。
「現地住民の多くが希望している」ことを大義名分としたロシアによるクリミア「編入」は、民族問題や台湾問題を抱える中国にとって、平和共存5原則の核心である内政不干渉政策に明らかに反するものである。したがって、この原則をあくまでも貫くのであれば、中国はロシアを厳しく非難すべきであろう。しかし、「歴史上最も良好な状況にある」とされる現下の中露関係であるためか *11 、それもできかねるのだろう。以下の外交部報道官談話(3月2日)に象徴されるように、ウクライナ情勢をめぐる中国の対応は一貫して歯切れが悪く、八方美人的なものとなっている。「中国側はウクライナ情勢を注視している。(中略)中国側は、一貫して内政不干渉の原則を堅持しており、ウクライナの独立、主権、領土保全を尊重している。ウクライナ情勢が今日の状況に至ったのには理由がある。中国側は、国際法と国際関係の準則を尊重したうえで、関係方面が対話と協議を通じ、政治的に相違を解決する途を探求し、地域の平和と安定を守るよう呼びかける」 *12 。こうしたスタンスは、実際の行動にも反映されている。3月15日、国連安保理は、クリミア自治共和国で16日に行われるロシア編入の是非を問う住民投票を無効とする決議案を採決したが、中国は棄権した(同決議案は、ロシアが拒否権を行使したため否決) *13 。
上述のように、筆者は中国の対応を批判的にとらえているが、中国の国内世論は異なっているようだ。その典型は、「ロシアとウクライナは共に中国に感謝している」という主張である。いわく、「3月18日、ロシア議会において、プーチン大統領は愛国的情熱にあふれるスピーチを行ったが、同大統領はその最後において、『我々は、クリミアにおける我々の行動に理解を示している人々に感謝する。我々は中国の対応に感激している。中国の指導者は、歴史的及び政治的視点から、クリミア情勢を全面的に分析している』旨表明した」。「3月21日午前、在中国ウクライナ大使館はウクライナ情勢とウクライナ―中国経済貿易協力の現状と見通しについて記者会見を行い、また、ウクライナ大使は国内外の記者と会見し、質問を受け付けた。目下のウクライナ情勢の変化に対する中国側の立場と対応について述べた際、同大使は、一連の状況に対する中国政府の冷静な対応に感謝する旨強調した」 *14 。
昨年の18期3中全会で設置が決まった中国共産党中央国家安全委員会の第1回会議が4月15日に開催された *15 。同委員会は国内外のあらゆる領域の安全問題を扱う組織と位置づけられ、しかも、常勤ポスト(常務委員)設けられていることから、党最高位の総合政策調整決定組織として、今後の外交政策にも決定的な影響を与えることが予想される。その初回会議で示されたのが「平和、協力、ウィンウィンを求め、調和のとれた世界を構築する」という外交方針である。
先般の日米首脳会談の結果(とりわけ、「日米安保は尖閣諸島にも適用される」とのオバマ発言)を「日米による対中圧力強化」とみなす中国は、今後ますます反発を強めるのだろうか。それとも、慎重かつ徐々に協調路線に舵を切るのだろうか。また、全局的観点から言えば、「責任ある大国」たらんと公言する中国の外交に、「平和的発展」と「主権維持」という2つの要素を止揚する新たな地平は開かれるのだろうか。
現在の中国外交は国際協調と大国主義のジレンマに陥っているとの見方があるが *16 、筆者は、中国はすでにこのジレンマを脱し、大国主義の道(覇道)に足を踏み入れてしまったのではないかとの危惧を持ちつつある。もしこの判断が正しいのであれば、今我々がなすべきは、我々自身の国際協調路線を以って、中国をして我々と同じ国際協調という輪の中に導きいれることである。
*1 「政府工作報告」『人民日報』2014年3月15日。
*2 領土および主権の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉、平等互恵、平和共存。
*3 「国務院関于落実《政府工作報告》重点工作部門分工的意見」、http://news.xinhuanet.com/politics/2014-04/17/c_1110289335.htm、2014年4月18日。
*4 「自らに有利な時が来るまで、人知れず力を蓄え、時が来たら主導権を発揮する」といった意味で、1989年の6.4天安門事件を受けた国際的孤立の中、鄧小平の下で徐々に明確化していった外交原則。
*5 「周辺外交」は「近隣外交」に他ならない。しかし、現在の中国外交で使用される「周辺」概念には、自らを世界秩序の中心に置くという考え方(いわゆる「中華思想」)が看取されることから、本論考ではあえてそのまま「周辺」を使用する。
*6 「習近平在周辺外交工作座談会上発表重要講話強調,為我国発展争取良好周辺環境,推動我国発展更多恵及周辺国家」、「昇級 提速 加力」、「親仁善隣 共同発展」『人民日報』2013年10月26日。
*7 「王毅在十二届全国人大二次会議挙行的記者会上,就中国外交政策和対外関係答中外記者問」『人民日報』2014年3月9日。
*8 「胡耀邦の息子 徳平氏 安倍首相とも極秘面会」『朝日新聞』2014年4月15日。
*9 「汪洋会見日本国際貿易促進協会訪華団」『人民日報』2014年4月16日。
*10 「都知事、24日から訪中」『朝日新聞』2014年4月16日。
*11 「習近平会見俄羅斯外長拉夫羅夫」『人民日報』2014年4月16日。
*12 3月2日、外交部報道官談話。「外交部発言人秦剛就当前烏克蘭局勢答記者問」、http://www.fmprc.gov.cn/mfa_chn/fyrbt_602243/dhdw_602249/t1133396.shtml、2014年3月3日。
*13 こうした傾向は、直近においても変化がない。4月17日、米、露、EU、ウクライナの4者外相は非合法組織の武装解除、不法に占拠された建物や公共施設の明け渡しなどを求めた「ジュネーブ声明」を発表した。これを受け、中国外交部報道官は18日の定例記者会見で、会談開催を歓迎するとともに、「中国側はウクライナ危機を政治的に解決するというスタンスを終始堅持し、各方面の利益バランス確保に留意している」と述べた(「2014年4月18日外交部発言人華春瑩主持例行記者会」、http://www.fmprc.gov.cn/mfa_chn/fyrbt_602243/jzhsl_602247/t1148378.shtml、2014年4月19日。
*14 {為何俄国和烏克蘭都要感謝中国」、http://junshi.xilu.com/20140324/1000010000417439.html、2014年4月18日。
*15 「習近平主持召開中央国家安全委員会第一次会議強調,堅持総体国家安全観,走中国特色国家安全道路」『人民日報』2014年4月16日。
*16 天児慧「日中関係の前途―習近平政権の対外戦略から見る―」『東亜』2014年4月号。