中国が設立を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)をめぐる動向に注目が集まる中、同国が設定した創設メンバーとしての参加表明期限である3月31日を迎えた。そして、大方の予想通り、日本(及び米国)は創設メンバーとなる選択肢を選ばなかったが、この判断に対する賛否両論が今も日本国内で渦巻いている。
周知のとおり、AIIBが注目を浴びるのは、世界第二の経済大国が進めるこの政策がアジアの既存の政治経済秩序に変更を迫りうるからである。そして、それ以上に重要なのは、習近平の進めるグローバル規模での外交戦略において、AIIBがその金融的保障措置として位置付けられているからだ。この外交戦略とは「2つのシルクロード」戦略、すなわち、「シルクロード経済圏」と「21世紀海上シルクロード」(「一帯一路」)である。折しも、全人代期間中に開催された記者会見で、王毅・外交部長は、今年の中国外交の重点が「一帯一路」政策の全面的推進にあると明言している [i] 。
そこで、本論考では「一帯一路」政策におけるAIIBの位置付け、それを支える外交理念、日本にとって望ましい対応などについて考える。
1.「一帯一路」とAIIB
2012年11月の総書記就任以来、習近平は権力掌握プロセスで様々な政策や構想を打ち出してきた。「一帯一路」もその一つである。もっとも、この構想については複数の政策が五月雨式に出されてきたため、その全体像を正確につかむことは必ずしも容易ではなかった。しかし、さる3月28日に発表された一つの文書と習近平スピーチでそれが明らかになった [ii] 。
第一に、「一帯一路」に特化した政策文書「シルクロード経済帯と21世紀の海上シルクロード建設をともに推進することに対する期待と行動」(以下、「期待と行動」)が発表された。同文書によると、「一帯一路」の地理的対象は「アジア、ヨーロッパ及びアフリカ大陸と近隣海域」であり、協力分野はインフラ建設、貿易投資、金融、人的交流等あらゆる領域に及ぶ [iii] 。これは、「大ユーラシア経済統合構想」とも言うべき壮大な構想である。
第二に、ボーアオ・フォーラムで行ったスピーチで、習近平は、「『期待と行動』と題する文書が制定され、AIIBの準備作業が実質的歩みを始め、シルクロード基金の運用がすでに始まった」と、「一帯一路」、「AIIB」、そして「シルクロード基金」を一つのセットで論じた [iv] 。以下、それぞれを概観する。
まず、最上位に位置づけられる外交戦略としての「一帯一路」のうち陸のシルクロードを意味する「一帯」は、2013年9月7日、習近平がカザフスタンにおいて行った講演で提唱したものである [v] 。また、海のシルクロードを意味する「一路」も、やはり習自身が10月3日、今度はインドネシアの国会における演説で提起したものだ [vi] 。そして、11月12日の中国共産党第18期中央委員会第3回全体会議(18期3中全会)で採択された「改革の全面的深化をめぐる若干の重要問題に関する中共中央の決定」の中で、「一帯一路」という表現ではないが、「シルクロード経済帯と海上シルクロード建設を推進する」と、初めて二つが並記される。
「一帯一路」構想の金融的担保であるAIIBの設立に初めて言及したのも習近平だ。習は2013年10月2日、ユドヨノ・インドネシア大統領(当時)との会談で、「(アジア)地域における重層的ネットワーク建設と経済一体化の歩みを促進すべく、中国側はアジアインフラ建設投資銀行の設立を提唱し、ASEANを含む地域の発展途上国のインフラ建設に資金面での支援を提供したい」旨表明した [vii] 。今年中の設立を目指すAIIBの資本金は1000億ドルで、本部は北京に設けられる [viii] 。また、2014年11月4日の中央財経指導小組第8回会議で、習近平は第二の金融措置であるシルクロード基金に言及。それは早くも12月29日には正式運営(資本金400億ドル)を開始するのである [ix] 。
この二つに加え、BRICS銀行の存在についてしばしば言及される点も指摘しておきたい。2014年7月15日、第6回BRICS(新興五か国)首脳会議がブラジルのフォルタレザで開催された。そして、そこで採択された「フォルタレザ宣言」は、「BRICS、その他の新興市場及び発展途上国はインフラ施設の不足を解決し、持続的発展の需要を満足させる点において依然として融資面での深刻な困難を抱えている」として、対象をBRICSに限定しない開発銀行の設立に言及した。つまり、BRICS銀行も途上国のインフラ建設に関与するのであれば、ブラジルの加入により「一帯一路」の射程は将来的に南米にまで広がることにもなるのではないか。まさに世界秩序に地殻変動をもたらしうるスケールの構想だ。同行設立の提案は習近平によるものではなさそうだが、本部は上海に設けられることになった [x] 。
2.「一帯一路」を支える外交理念
筆者は、「一帯一路」というこの野心的な方針を支える外交理念は二つあると考える。
第一に、周辺国重視外交である。2013年10月24日と25日、建国後初の周辺外交工作座談会が開催された。その席上、習近平は、「中華民族の偉大な復興を実現すべく、“親、誠、恵、容”(親しみ、誠実、恩恵、寛容)の理念を強く押し出す」よう求めた [xi] 。ヘリポートの建設など、南シナ海での強引な既成事実づくりを進めている [xii] 姿を見るにつけ、中国がこの理念の実現を真剣に追求しているとは到底思えない。秩序の中心にあくまでも自分を置き、近隣を「周辺国」と呼ぶ発想を改めない限り、居丈高な姿勢は改まらないだろう。とはいえ、中国との間で主権をめぐって深刻な軋轢を抱えているのは南シナ海でのフィリピンとベトナム、東シナ海での日本、そして大陸部でのインドに限定されるのも事実である。また、こうした国々を含め、莫大なチャイナマネーが中国の近隣諸国に無視しえない恩恵をもたらすであろうことは想像に難くない。経済協力というアメと軍事的威嚇というムチを手にして対応を迫る中国外交の冷徹な一面が、近隣諸国に対する最近の振る舞いに現れている。
第二に、現時点で断定するのには多少の留保が必要かもしれないが、「和平崛起」(平和的台頭)論の復活である。この主張は、初期胡錦濤政権の外交政策ブレーン鄭必堅(中央党校元常務副校長)が2003年に提起したものだ。これは、「中国台頭というパワー・トランジッションを平和的に進めていくことを中国自身が世界に向けて発した」ものであった [xiii] 。しかし、その直後から「“崛起”の表現には人をして警戒心を起こさせる響きがある」、「その結果、“中国脅威論”が近隣諸国でしばしば主張される」との懸念が生まれ、間もなくして「平和的発展」に取って代わられた経緯がある。ところが、最近、「崛起」が肯定的な概念として復活する傾向がある。例えば、秦亜青・外交学院院長によると、「国際システムの中にある多くの国家は、中国とパートナーになることを望んでいる。それは、国際システムが直面しているのは中国の崛起だけでなく、多くの途上国や新興大国の集団的崛起だからである」 [xiv] 。また、「中国の和平崛起は21世紀における最も重要な歴史的現象であり、これはパワーの対比や国際秩序に対して全方位的かつ深遠な影響をもたらすであろう」との主張もある [xv] 。
こうした積極的或いは強硬な政策や主張を支えているのは、第一に、経済大国として深まる自信である。前述の第6回BRICS首脳会議における、「2013年、中国は世界128か国の最大の貿易パートナーとなった」との習近平の発言に、それが如実に示されている。 [xvi] 。ちなみに、外務省HPによると、2014年1月現在、国連加盟国数は193ヵ国となっているので、全国家中の約3分の2の国々は程度の差こそあれ、いわば中国に自国経済の首根っこを押さえつけられているのだ。第二に、中国は国際秩序を変革している、そして変革していくとの自己認識であり強い意志である。上述の秦は、「中国はすでに国際規則の制定に参与し、それをリードしている」と述べている。また、「中国は世界を必要とし、世界は中国を必要としている」という自信に満ちたフレーズは、現下の中国外交の常套句である。そして、第三に、とりわけ「崛起」については、昨今の強硬な国内世論への迎合である。このようなポピュリズムは、一歩処理を誤ると、国内では「軟弱な政府」批判に、国外では中国脅威論につながりかねないという意味で、両刃の剣である。
3.AIIB創設メンバーに名を連ねることを見送った日米
AIIBに積極的に関与していくとの姿勢を示したのは、2014年末までは主としてアジアの途上国だった [xvii] 。ところが、英国の参加表明以降(2015年3月12日)、独仏伊(17日)といった西側主要国、韓国(26日)やロシア(28日)といったユーラシア主要国、そしてブラジル(28日)といった域外国が雪崩を打ったように参加を表明した。31日晩には台湾も申請する旨発表している。その結果、中国が設定した、創設メンバーになる締切りである3月末時点での参加希望国・地域数は50前後に達することになった。
これに対し、日米は既存の国際金融機関との相違や協力のあり方、融資基準や意思決定システムの不透明性などを理由に、参加には一貫して消極的だった。「少なくとも中に入って、どういう(出資)割合にしていくかを協議する可能性はある」(3月20日、麻生財務大臣)、「既存の国際金融機関を補完し、多国間の決定による高度な融資基準を共有するなら、歓迎する用意がある」(31日、ルー米財務長官)などと中国の対応変更を迫ったが、結局創設メンバーに名を連ねなかった。
確かに、「期待と行動」には「国連憲章の主旨と原則は遵守する」、「既存の多国間協力枠組みを強化する」との言及はあるものの、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)や世界銀行(WB)への言及はなかった。これは、「先進国のルールが最良とは思わない」と楼継偉・中国財務部長が明確に述べているように [xviii] 、世界第二の経済大国にふさわしい役割の発揮を許さない既存の国際金融秩序、なかんずく米国への反発とも解せよう。
「融資基準などについての質問に対する中国からの返事は来ていない」(麻生財務大臣)のも、その通りだろう。ただ、これは「来ていない」のではなく、「できない」可能性のほうが高いのではないか。というのも、日本に見られない意思決定の速さを特徴とする中国の場合、何事につけしっかり詰めることなく、とりあえず大きな花火を打ち上げ、実践過程で軌道修正するのが常だからだ。すなわち、質問に答えるにあたって参考になるようなロードマップはないと理解したほうが実態により近いように思われる。この「柔軟性」こそが中国大国化の原動力なのだ。また、「一帯一路」にせよ、AIIBにせよ、これらは習近平個人のプロジェクトとも言えるので、彼以外に発言権を有する者はいないのである。
4.AIIB参加で日本外交にもたらされるメリット
創設メンバーへの参加が見送られた理由が、官邸は参加しない前提で情報を分析していたから、外務省、財務省ともに当初から不参加で足並みをそろえていたから [xix] 、というのであれば間違いなく外交的大失態である。前述のとおり、既存組織との協調性や組織運営の不透明さなど解決すべき問題もあるが、AIIB参加は様々な点で日本外交にメリットをもたらすものと筆者は考える。
第一に、日中関係改善の大きなきっかけとなるだろう。首脳会談や与党代表団訪中などが実現したものの、政権中枢での交流が持続的に行われ、着実なレベルアップにつながる兆候はいまだうかがえない。しかし、地方間交流や人的往来に目を向けると、異なった光景も目に入るようになってきた。「爆買い」が話題になった直後の3月末、北京を訪れた筆者に対し、現地に在住する複数の知人は、中国の草の根レベルでの訪日熱の高さを大いに語ってくれた。また、邦字紙特派員によると、全人代期間中、日本大使館は中国内陸部の複数の省指導者と会合をもった。AIIB加入は、関係改善のこうした動きを後押しするだろう。そして、このような新たな動きが起きれば、日本政府は、「抗日戦争70周年」記念行事をできる限りトーンダウンさせるよう、中国政府に働きかけることも可能となろう。
第二に、大ユーラシア地域、さらには世界的規模で、日中協力の範を示すことができる。これは、間違いなく我が国のプレゼンス拡大と経済利益獲得にもつながるものだ。英仏独などG7構成国の参加により、中国の独善的運営への危惧が低下した。創設メンバーではないことから、意思決定の方法や融資の基準など組織のルール作りに直接関与ができないとしても、これらの国々と意思疎通を図ることで、日本として一定の影響力行使はできるだろう。一方、改革開放の中で比較的遅れていた国際金融分野への本格的参入は、さらなる大国化を目指す中国にとって失敗は許されない、一つの試練である。痛い意見にも耳を傾けるだろう。ここに、外交的妥協の余地がある。外野で批判するよりも、今回は中国の政策に賛同し、組織の中で日本の国益に資する方向に政策や路線を修正していくほうがはるかに建設的だ。ADBを前面に押し出し、アジアにおいてAIIBとの間で勢力争いをするなどは愚の骨頂であり、また、勝ち目もないだろう。筆者は、ここ数年行っているインドシナ半島での現地調査を通じ、多少のトラブルは抱えつつも他国の追随を許さない中国の進出ぶりを目の当たりにしている。
そして、第三に、韓国との関係改善にもつながる。AIIB参加の決定は米国との緊密な事前協議抜きには考えられない。その点、すでに参加を表明した韓国は日本同様、米国とは同盟関係にあることから、AIIBをめぐる対中外交を効果的に推進するには日米韓三か国による政策調整と協調が是非とも求められる。周知のとおり、慰安婦問題を理由に、現在の日韓関係は日中関係以上に深刻な状況にある。日本の参加をめぐる三カ国協議は、このような日韓関係を改善に向かわせる梃子としての役割を果たすだろう。