静岡県立大学国際関係学部教授
諏訪 一幸
1 人事での勝利者は未定
昨年11月の第18回党大会で、習近平(総書記、党中央軍事委員会主席)、李克強、張徳江、兪正声、劉雲山(中央書記処筆頭書記)、王岐山(中央紀律検査委書記)及び張高麗の7名が最高指導部に選出された。そして、今年3月の「両会」(全人代と全国政協)で、習が国家主席と国家中央軍事委員会主席、李が総理、張徳江が全人代委員長、兪が全国政協主席に、そして、張高麗が筆頭副総理に選出され、党と国家の主要人事が終了した。
この人事結果については、「上海閥(江沢民派)が共青団グループ(胡錦濤派)と太子党(習近平派)に勝利した」との評価をよく耳にする。しかし、中国における人間関係の複雑さと長期的視野という変数に目を向けると、異なった結論を導き出すことが可能だ。
最大の懐刀だった令計画の失態は *1 、引退の花道を飾ろうとしていた胡錦濤にとって、確かに大きな誤算だった。しかし、仮にそうせざるを得なかったのが実情だとしても、中央軍事委員会主席の座をも含む完全引退で、胡錦濤は江沢民を道連れにし、習近平に恩を売ることができた。「第18回党大会以降、江沢民同志は、今後党や国家指導者の序列に言及するにあたっては、自分をその他の老同志と一緒に扱うよう中央に求めた」のである *2 。その結果、最新(2013年5月2日)の党内序列によると、江沢民は第8位となっている(胡錦濤は第9位)。また、胡錦濤が自らの影響力を残すことに執着しているとしたら、その真のチャンスは10年後に到来する。彼の意中の人物とされる党内ナンバーツーの李克強(1955年7月生)は習近平(1953年6月生)よりも2歳若い。もし、「7上8下」とされる年齢制限がその時も有効であれば *3 、李は2022年開催予定の第20回党大会で、一期限定ではあるものの、総書記を務めることができるのだ。
一方、習近平はいわゆる太子党の代表的人物であるが、第17回党大会前の「民主推薦」によって、李克強を抑えて後継者の地位に躍り出たのは、江沢民の根回しがあったからだと言われている。つまり、習近平は江沢民派でもあるのだ(当時、習は上海市党委書記だった)。また、習に最も近いと目される栗戦書(政治局委員、中央書記処書記、中央弁公庁主任)は共青団に一定の基盤を有している。さらに、習近平と李克強を除くと年齢的に次の5年がない5名の常務委員は、平穏な隠居生活を確保すべく、習に徐々になびいていくだろう。
それぞれの思惑を秘めつつも、最高指導部内の関係は団結基調で推移しよう。そして、党の団結を乱したと判断される非常事態が生まれた場合、指導部は、腐敗撲滅や紀律違反といった大衆受けする理由を根拠に反逆者を切り捨て、危機を乗り越えようとするだろう。
2 継続性と独自色
2002年に胡錦濤が総書記に選出された際、わが国では主として胡の「ソフトなイメージ」を理由に、日中関係の改善や政治的民主化に期待する声が少なくなかった。しかし、それは見事に裏切られた。個人独裁に対する反省を強く内包しつつ始まった改革開放期に、もはや第二の毛沢東は存在しないのである。
一党支配を続けているという点で共産党体制に変化はない。しかし、私営企業家の入党に道を拓いた「3つの代表」と称される考え方に象徴されるように、30年以上の改革開放政策によって、共産党自身が大きく変わってきていることを我々は認識すべきだ。これを指導部の交代という事象について当てはめると、我々が当面注視すべきは、まずは政策の継続性であり、そして、慎重な継続姿勢の中で次第に明らかになってくる最高指導者の個性である。かのトウ(登偏におおざと)小平ですら、こうした道を歩んできた。去りゆく者の遺言(第18回党大会における胡錦濤の政治報告)に従って、後継者(習近平)はその第一歩を踏み出す。21世紀初頭の中国共産党は実は極めてシステマティックな政党なのである。
胡錦濤が習近平に残した既定方針のうち、最も重要なものはやはり経済発展だ。内需拡大を強調しつつ、第12次5ヵ年計画や第18回党大会で示された目標(例えば、2011年~2015年のGDP年平均増加率7%。2020年の国内総生産と都市農村住民の一人当たり平均収入を2010年比で倍増)の実現が目指されることになる。次に、政治改革に目をやると、西側の政治制度は決して模倣しないこと、現有の社会主義的政治制度(人民代表制度、政治協商制度など)をより強化することが求められている。政治改革とは言うものの、総じて共産党統治の安定強化を図る行政改革的色彩の濃いものとなっている。
こうした既定方針の忠実な継承が求められている習近平ではあるが、既に独自色を出しつつある点は注目に値しよう。
それは、第一に、「中国の夢」というフレーズの提起である *4 。その後の党内及び主要メディアでの喧伝振りから判断すると、これは将来的には江沢民の「3つの代表」や胡錦濤の「科学的発展観」に続く、新たな理論的貢献と位置付けられる可能性を秘めるものである。機会の均等をはじめとする公平な社会実現のための具体的措置が講じられない現状では、「夢」の実現も画餅に過ぎないが、閉塞した社会に活力を注ぎ込もうという意気込みは感じられる。
第二の独自色は、「改革開放前と改革開放後の二つの歴史的時期は相互に関連している」との主張である *5 。これについては、進歩派の知識人を中心に、習は保守派であり、毛沢東を正当化しようとしているとの批判の声が上がっている。確かに、多少の違和感は否めないが、「貧しくとも平等だった」毛時代を懐かしむ声が一部で高まっている現実が存在する以上、最高指導者としてこれに対応する必要性はあろう。要は「肯定すべき改革開放前の経験とは何か」に尽きる。今後、この点が明らかにされていくだろうが、多少の幅をもたせた好意的な解釈をすれば、最高指導者として歩み始めたばかりの習近平は、権力基盤を強化すべく、左右両極間の最大公約数の取り込みに苦心しているとみることも可能である。
3 改善見通しがたたない日中関係
外交はトータルなもので、日中関係だけを中国外交全体から切り離して論じることはできない。昨年9月の尖閣「国有化」をきっかけに、国交正常化以降最悪の状態にある日中関係は、現下の中国外交の象徴であり縮図である。
近年の中国外交は、「平和的発展」を追求しているという彼らの言説とは裏腹に、ハードパワーの信奉と被害者意識を基礎としたものである。それは、以下のような認識によるのではなかろうか。「2008年、我々(中国)は北京五輪を成功裏に開催し、リーマンショックを巨額の資金投入で乗り切り、世界経済を救った。そして、上海万博が華々しく開催された2010年、我々は日本を抜いて世界第二の経済大国となった。ところが、ここで水を差されるような事態が起こった。中国封じ込めを狙った、アメリカのアジア回帰である。これにわが意を得たりと、日本が東シナ海で、ベトナムやフィリピンが南シナ海で我々の主権を侵害する行為を繰り返すようになった。そこで我々としては、防衛力をより強化するのと同時に、BRICSや上海協力機構といったマルチの枠組み、アフリカを中心とする途上国協力の枠組みなどでそれに対抗せざるを得ない」。
これが、習近平が継承することとなった中国外交の与件である。6.4天安門事件後の国際的孤立状況の中でトウ小平が打ち出した「韜光養晦」政策は、自身の大国化により、対米外交を除き、その役割をほぼ失った。
対中外交の展開に関し、確認しておくべき点が二つある。第一に、中国の強圧的外交は、習近平体制下で始まったものではないということだ。従って、現政権の強硬さをことさら攻撃するのは政策的に得策でないばかりか、時としてミスリードにつながる。例えば、中国海軍艦艇による海上自衛隊護衛艦への射撃用火器管制レーダー照射事件。本件が強い非難を受けるに値するものであることに疑問を挟む余地はないが、これを最高指導部の指示によるとみるのは的外れである。「日本に対しては何をしても容認される」土壌と、その結果としての現場裁量の過大さにこそ問題があるのではなかろうか。非難の次になすべきは、危機回避のための制度づくりである。第二に、中国の被害者意識を第三者が取り除くのはそれでもやはり容易ではないということだ。こうした歪んだ意識が強まった背景に、1990年代半ば以降の愛国主義教育があるとすれば、その標的になりやすい日本が被害者意識の除去という面で動ける余地は極めて限られたものとなろう。
防衛当局局長級協議や日中韓環境相会合(ただし、中国は次官)の開催は、深刻な対立状況にある日中両国にとり、久しぶりに明るい話題を提供した。しかし、参議院選挙後の政治動向を暫く観察した後に安倍政権の本質(「右翼か否か」)を判断しようとしている感のある中国側から、関係改善に向けた積極的動きが出る見込みは当面ない。それどころか、中国の大国外交から日本の存在が抜け落ちる可能性すら存在する *6 。これが日中関係の現実なのである。
習近平の10年は米中の経済規模逆転をも視野に入れた10年である。その意味で、中国の鼻息は荒い。しかし、外交の基礎となる国内情勢は、「6.4」時と比較してもはるかに不安定である。一方で、権力基盤の強化を最重要課題とする、誕生まもない中国指導部には、政策選択面で一定の柔軟性もうかがわれる。このような背景から、また、日本の国益を考えると、厳しい冬の時代にあっても、我々には関係改善に向けた強い信念と確固たる戦略(例えば、共生を目的とした多国間の協力枠組構築)、そして、「幼児期の大国」に接するに際しての慎重さ、温かさ、根気強さが求められているのではなかろうか。
*1 2012年3月、令計画の息子が飲酒運転で死亡。その処理を令がうやむやにしようとしたこと、運転していた高級車の購入費用の出所が不明確であることなどが問題視されたと言う。
*2 <江泽民同志向中央请求在党和国家领导人的礼宾排名顺序中将自己同其他老同志排在一起>、 http://www.cq.xinhuanet.com/2013-01/23/c_114463725.htm 、2013年1月23日。
*3 党の内規では、中央政治局常務委員就任時の年齢上限は67歳と定められていると言う。
*4 <习近平总书记深情阐述“中国梦”>、 http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2012-11/30/nw.D110000renmrb_20121130_1-01.htm?div=-1 、2012年11月30日。
*5 <毫不动摇坚持和发展中国特色社会主义在实践中不断有所发现有所创造有所前进>、 http://paper.people.com.cn/rmrb/html/2013-01/06/nw.D110000renmrb_20130106_2-01.htm?div=-1 、2013年1月6日。
*6 楊潔篪外交部長(当時)は2013年初、2012年の中国外交を回顧した論評を発表したが、同論評の「大国外交」の項には日本への言及がない。<稳中求进 开拓创新 ―― 国际风云激荡中的2012年中国外交>、 http://www.qstheory.cn/zxdk/2013/201301/201212/t20121227_202430.htm 、2013年1月20日。
【筆者略歴】
東京外国語大学(外国語学部中国語学科)、日本大学大学院(総合社会情報研究科。国際情報修士)卒。外務省、北海道大学を経て、2008年より静岡県立大学国際関係学部教授。専門は現代中国政治。主要論文に「中国共産党の幹部管理政策」、「中国共産党権力の根源」、「インドシナ三国における華僑華人社会の現状」(近刊)など。