日中産学官交流機構特別研究員
田中 修
このシリーズでは、中国の経済情況を踏まえながら、党中央や国務院の公表資料をもとに、習近平指導部がどのような経済政策、経済改革を行おうとしているかを考察していく。
1.足元の経済動向
国家統計局等が発表した、最近の主要経済指標の動向は次のようになっている。
この数字を見ると、工業生産、消費および投資はいずれも足踏み状態であり、輸出は水増し統計を当局が精査したこともあって、5月の伸びが大きく落ち込んでいる。これに比べ、分譲住宅の販売額が異常に伸びており、これをマネーサプライの比較的高い伸びが支えている構図である。2月、温家宝前総理は任期最後の国務院常務会議で、不動産市場コントロールの強化策を打ち出したが、これが逆に住宅の駆け込み売買を加速させるという皮肉な結果となった。
このように、中国経済の回復の足取りは当初予想された以上に重い。中国社会科学院は2013年のGDP成長率見込みを、昨年秋には8.2%と予想していたが、今年の春季報告では8%に修正し、最近は7.5-8.0%とさらに下方修正している。また、IMFのデビッド・リプトン筆頭専務理事も、5月29日北京において、2013年の中国のGDP成長率見込みを7.75%と発表した。
筆者は最近、中国の四半期のGDP成長率の動向を、日本や欧米と同様に前期比でみた方がいいのではないかと考えている。
中国の四半期GDP成長率は前年同期比で算定されており * 、これでみると昨年以来四半期ごとの成長率は、2012年1-3月期8.1%、4-6月期7.6%、7-9月期7.4%、10-12月期7.9%となり、2012年は秋口まで経済が減速傾向にあり、10-12月期に急回復したように見える。
しかし、日本や欧米で採用されている前期比でみると、四半期成長率は1-3月期1.6%、4-6月期1.9%、7-9月期2.1%、10-12月期2.0%であり、むしろ10-12月期から回復の足取りが停滞していることになる。
これは2013年1-3月期についてもいえることであり、前年同期比では7.7%であるが、前期比では1.6%(年率換算では6.4%)と数値はかなり異なっている。前年同期比でみると、1-3月期に経済が突然停滞したかに見えるが、経済のトレンドとして見るかぎり、むしろ前期比の方が流れは自然であり、経済成長率の動向も前期比を参考にした方がよいと思われる。
ただ、国家統計局も認めているように、前期比はあくまでも試算であり、GDP成長率は3ヵ月ごとに数値がさかのぼって改定されている。したがって、数字を鵜呑みにはできないが、中国経済は昨年10-12月期から回復が停滞傾向にあり、本年1-3月期の成長率は実際には7%を切っていると見た方がよいのではないか。李克強総理が比較的信用しているといわれる電力使用量統計が、前年同期比で1-2月5.5%、3月2.0%と大きく停滞していたことからしても、6%台の成長率の方が整合的である。
2.景気刺激策について
2008年11月、中国はリーマン・ショックに対応するため、4兆元の投資追加、構造的減税、および大幅な金融緩和等を内容とする大規模な景気対策を発動した。この結果、経済成長率が上向き雇用が改善され、世界経済における中国の地位が大きく向上したことは確かである。だが、景気対策はその副作用として、住宅価格の高騰、インフレ、生産能力の過剰、地方政府の債務増大をもたらした。現在、中国経済は大きな潜在リスクを抱えており、ここで無理な景気刺激策を発動すれば、リスクが顕在化するおそれがある。
しかし、4月17日に国務院常務会議が開催され、1-3月期の経済情勢を分析し、当面マクロ経済政策に方針変更がないことを確認したにもかかわらず、そのわずか8日後の4月25日に共産党中央政治局常務委員会が開催され、共産党トップ7人が再びマクロ政策に変更がない旨を確認している。
一般に党中央政治局常務委員会の開催時期や議事内容は公表されない。しかも、この間の4月19日党中央政治局会議が開催されており、このときの議題は「党の大衆路線教育」とされている。同日午後の政治局集団学習会では「中国の反腐敗、廉潔提唱の歴史」を学習しており、経済が当面の課題となっていなかったことがうかがえる。にもかかわらず、25日に政治局常務委員会が開催され、経済政策の方針が改めて議論され、しかもそれがわざわざ公表された背景には、4月20日に発生した四川蘆山地震とH7N9型鳥インフルエンザの拡大があろう。政治局常務委員会は、4月23日にも開催され、四川廬山地震の災害救済対策が議論されたことが分かっている。そのわずか2日後に再び政治局常務委員会が開催されたのは、経済政策の方針を再検討する必要に迫られたからと想像される。
2003年前半に新型肺炎SARSが急拡大したときには、消費と第3次産業にかなりのダメージが見込まれたため、温家宝総理は5月から6月にかけて数次にわたり国務院常務会議およびその全体会議を開催し、投資拡大を中心とした緊急経済テコ入れ策を打ち出した。その結果としてSARS終息後、中国経済には猛烈な投資過熱が発生した。
2008年5月の四川大地震のときも状況は似ている。2007年に証券市場と不動産市場にバブル傾向が現れたことを受け、2008年のマクロ経済政策は引締め気味に運営されていた。しかし、サブプライムローン危機の発生により世界経済は後退し始めており、中国の輸出に陰りが出ていた。そこに5月、四川大地震が発生したため、6月に中央及び地方責任者会議が緊急招集され、マクロ経済政策の再検討とその修正が行われた。さらに11月には前述の大型景気刺激策が発動されたのである。
古くは1998年、朱鎔基総理が誕生したときも、それ以前のマクロ経済政策はインフレ対策のため引締め気味であった。しかし1998年前半にはアジア通貨危機の影響でアジア向けの輸出が大きく落ち込み、景気に陰りが出ていた。そこに夏場、長江流域と東北地方で大洪水が発生したため、8月に至り朱鎔基総理は財政拡張と金融緩和に方針転換したのである。
こうしてみると、中国では総理選出の年には、ここのところ必ず大きな災害が発生しており、その度にマクロ経済政策に対して地方から圧力が高まり、財政拡張と金融緩和に方針転換を余儀なくされていることが分かる。
今回も、当初政府は1-3月期の経済が伸び悩んでも、経済構造調整を重視し、マクロ経済政策を転換するつもりはなかった。これに対して、投資拡大を目論む地方政府は不満を抱いていたのであろう。それが、鳥インフルエンザの拡大と四川地震の発生を契機に、景気テコ入れ要求として噴き出てきたのではないか。このため、政治局常務委員会がトップダウンの形で、マクロ経済政策を変更しない旨の決定を下さざるを得なかったのであろう。
李克強総理も、5月13日の国務院のテレビ会議において、「今年の発展の予期目標を実現するには、刺激政策や政府の直接投資に頼っても、その余地は既に大きくない。もし政府主導の政策による牽引に過度に依存して成長を刺激するならば、それは継続し難いばかりか、はなはだしきは新たな矛盾やリスクを生み出すことになる」と述べ、2009-2010年のときのような大型景気刺激策の発動を明確に否定している。
しかし、6月末から7月にかけて、例年であれば指導部の地方視察が頻繁に行われ、北京でも総理主催の経済情勢分析座談会が何度か開催される。4-6月期のGDP成長率が発表されると、国務院常務会議、党外人士座談会、党中央政治局会議が相次いで開催され、年後半のマクロ経済政策が議論されることになる。もし、4-6月期の経済が引き続き足踏み状態であれば、地方の景気拡大要求は更に強まり、指導部は調整に苦しむことになろう。
* 欧米、日本の統計方法では、例えば1-3月の成長率は、前年の10-12月からの伸びで計算され、それを4倍して年率を計算している。しかし、中国では1-3月の成長率は前年の1-3月からの伸びで計算しているため、直近の経済動向が把握できず、日本や欧米と全く比較ができない。
【筆者略歴】
1982年東京大学法学部卒業、大蔵省入省。1996年から2000年まで在中国日本国大使館経済部に勤務。帰国後、財務省主計局主計官、信州大学経済学部教授、内閣府参事官、東京大学客員教授、東京大学EMP講師を歴任。学術博士(東京大学)。近著は『2011~2015年の中国経済 ―第12次5ヵ年計画を読む―』(蒼蒼社)、『中国は、いま』(共著、岩波新書)。