「日ロ交渉」交渉大詰め、領土問題難航 ロシアのプーチン大統領(右)と会談する安倍首相(19日、リマ)
写真提供:Kyodonews
研究員
畔蒜泰助
2016年12月15~16日のウラジミール・プーチン露大統領の訪日が目前に迫っている。わが国ではウラジオストックでの日露首脳会談が行われた9月初旬から10月後半まで、マスメディアを中心に北方領土問題の具体的な解決策を含む日露間の平和条約締結への期待感が大きく高まった。ところが、去る11月19日(日本時間で20日)、ペルーの首都リマでプーチン大統領と会談した安倍晋三首相が会談後の記者会見で「平和条約は70年間できなかったわけで、そう簡単な課題ではない。一歩一歩進んでいかなければならない」と述べたこともあり、現在ではマスメディアの論調も大きくトーンダウンしている。
一部には11月9日に判明した米大統領選挙の結果、ドナルド・トランプ共和党候補が勝利を収めたことが、この間の大きな変化に影響を与えているとの説がある。その論拠はおおよそ以下の2つだ。
- かねてよりロシアとの関係改善を主張しているトランプが米新大統領になれば、米露関係が大きく改善するので、ウクライナ危機後の米露関係の悪化を背景に、米国への揺さぶりの一環として米国の同盟国である日本との接近を図っていたプーチン政権にとって、対日外交の優先順位は大きく低下する。
- 実際にここに来て、プーチン大統領の北方領土問題をめぐる発言が厳しさを増している。
さて、理由は後述するが、筆者はこれらの説には懐疑的だ。では、この僅かの期間での大きな変化をどう理解したらよいのか。
今回のプーチン訪日の起点はどこか
この疑問に答えるためにも、まずは今回のプーチン訪日の起点がどこにあるかを確認しておきたい。筆者の見立てでは、これは少なくとも2012年3月、大統領職に復帰直前のプーチン首相(当時)による「(北方領土問題の解決は)引き分けで」発言にある。これ以降、同年7月のプーチン大統領による異例の玄葉光一郎外相(当時)表敬訪問受け入れ、9月のアジア太平洋経済協力(APEC)サミット、10月のニコライ・パトルシェフ露安全保障会議書記の初来日と、一連の積極的なロシア東方外交が続いた。その背景には、2008年秋のリーマンショック後の欧州経済の停滞と中国を筆頭とするアジア経済の急速な回復を目の当たりにしたプーチン・ロシアによる東方リバランス政策があった。プーチン大統領が「21世紀のロシアの発展のベクトルは東方の開発にある」と訴えて、同政策を正式に打ち出したのは、同年12月の年次教書演説でのことである。
もちろん、ロシアにとって東方リバランス政策の最重要の対象国が世界第二位の経済大国で長い国境線を接する中国であることは言うまでもない。だが、中国への過度の傾斜はそれ自体、将来的なリスクをはらむとの考えから、その東方外交政策の多角化を企図している。その最有力候補が日本なのである。
実は筆者はパトルシェフ書記が初来日したその日、露ヴァルダイ会議に出席中で、モスクワでセルゲイ・イヴァノフ露大統領府長官(当時)に直接質問する機会があった。この時、筆者は「パトルシェフ書記を日本に派遣した狙いは何か」という質問をした。「対中国戦略だ」という回答を期待しつつ、そのような言葉が返ってこないこともわかっていた。そんな筆者の質問に対して、イヴァノフ長官はおもむろに、「やっと日本の銀行が極東シベリアへの投資に関心を示し始めた」と話し始めた。筆者はその示唆するところを次のように理解した。要は「極東シベリア開発に日本の資金や技術を呼び込むことはロシアの国家安全保障戦略と密接にリンクしている」のだと。
ちなみに、パトルシェフ書記は訪日後、ベトナムに立ち寄っている。ロシアは09年末、南シナ海において中国と領土問題を抱えているベトナムにキロ級潜水艦6隻の売却契約を締結。これに対して、12年当時、中国政府は様々なルートを通じてロシアに不満の意を伝えていたと言われる。そんな中でのパトルシェフ書記の日本、ベトナムへの連続訪問は、それ自体、「ロシアは中国の圧力には屈しない。あくまでの戦略的中立を維持する」との中国政府へのシグナルであったとみる。
そして、12年12月末に安倍晋三・自民党政権が誕生すると日露間の首脳外交は一挙に加速化する。13年4月、安倍首相はモスクワを公式訪問し、プーチン大統領と首脳会談を行った。 安倍首相は14年2月にもソチで開催された冬季オリンピック開会式に出席するため、再び訪ロし、プーチン大統領と首脳会談を行った。これは前年4月の首脳会談から数えて、実に5度目の首脳会談となった。この場で両首脳は同年秋のプーチン大統領の訪日を実施することで一致していた。
わが国の対ロシア戦略の狙いは2013年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」に明示されている。
東アジア地域の安全保障環境が一層厳しさを増す中、 安全保障及びエネルギー分野を始めあらゆる分野でロシアとの協力を進め、日露関係を全体として高めていくことは、我が国の安全保障を確保する上で極めて重要である。このような認識の下、アジア太平洋地域の平和と安定に向けて連携していくとともに、最大の懸案である北方領土問題については、北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結するとの一貫した方針の下、精力的に交渉を行っていく。(下線筆者)
この下線部分が2011年あたりから顕著になった中国の東シナ海や南シナ海での拡張主義的な活動を意味するのは間違いないだろう。中国側が余程、ロシアとの関係を悪化させない限り、ロシアが対中国の文脈で日米同盟の側に加担することはありえない。それを大前提としつつ、わが国としては対中国でのロシアの戦略的中立化を最大限促すべく、中長期の視野でロシアとの戦略的関係の積み上げを行う。日露間の長年の懸案である北方領土問題については、その延長線上で解決を目指すということだ。
だが、そんな矢先にウクライナ危機が勃発する。これを契機にロシアと米欧諸国の関係は急速に悪化し、相互に経済制裁を課すという展開になった。わが国もG7諸国の連帯を尊重する立場から米欧と比較するとソフトな内容ながら対ロシア経済制裁に参加。これを受けて、14年秋のプーチン大統領の訪日も事実上の延期を余儀なくされた。すると、ロシアは中国との関係を急接近させていったのである。
しかし、15年2月、ウクライナ東部での内戦の停戦と政治的解決のロードマップを示したミンスク2合意が締結されると、安倍政権もプーチン大統領の訪日プロセスを再開する意向を米オバマ政権に伝えた。同政権は「まだロシアと通常のビジネスに戻るタイミングではない」として、これに否定的な反応を示したが、安倍政権はこれを押し切る形で、同年9月、岸田文雄外相をモスクワに派遣した。さらに2016年5月には安倍首相自らがソチを訪問し、プーチン大統領と首脳会談を行い、いわゆる8項目の経済協力プランを提案。そのフォローアップとして同年9月、ウラジオストックで開催された東方経済フォーラムに参加すべく安倍首相が再び訪ロし、再度プーチン大統領と首脳会談を行い、この場で同年12月15日のプーチン大統領の訪日が正式発表されたのである。
以上から1. の論拠が崩れる。そもそも今回のプーチン訪日はウクライナ後の米露関係の悪化よりずっと前から始まっていた日露接近のプロセスの延長線上のことであり、米大統領選挙でのトランプ当選とは無関係なのである。
露ヴァルダイ会議でのプーチン発言の真意
では、2. の論拠はどうか。これに対する反証として、去る10月27日にロシア黒海沿岸のリゾート地、ソチで開催された毎年恒例の露ヴァルダイ会議に参加した際の筆者とプーチン大統領とのやりとりを紹介したい。この時のプーチン大統領の発言については、翌日以降、多くの日本のマスメディアで報じられたが、その全てがプーチン発言の一部を報じたのみだからだ。
畔蒜 遂に大統領の訪日日程が12月15日と決まりました。大統領の訪日は日露関係の強化に大きな刺激を与えると確信しています。ところで、ウラジオストックでの安倍首相との会談の前日、日露には平和条約を締結するに十分な環境がまだないと言われました。その評価はまだ変わっていないでしょうか。だとすると、近い将来、つまり2~4年の間に日露が平和条約を締結しうる環境を整えることができると期待するのは、どれほど現実的でしょうか。
プーチン大統領 この場合、期限を設けることはできないし、むしろ有害でさえある。例えば、中国人民共和国とは国境での領土問題交渉を40年間行った。そして、われわれは最終的に相応の合意文書に調印することに合意した。それが可能となった何よりの理由は、われわれが中国との間で前例のないレベルでの協力関係、われわれはそれを戦略的パートナーシップ以上の関係、特権的戦略関係(привилегированное стратегическое партнерство)と呼ばれる関係を構築している。もちろん、残念ながら日本とはそのような質の関係には達していない。しかし、だからと言ってそれができないという意味ではない。さらに言えば、日露双方とも全ての問題を最終解決することに関心があると私は思っている。というのも、そうすることがわれわれの相互の国益に適うからだ。われわれはそれを望むし、そのために努力もするが、それがいつできるか、どのようにできるか、そもそもできるのかできないのか、現時点で答えることはできない。これはわれわれが過去に合意に達した事柄に立脚しつつ、主に未来志向で共に解決すべき問題である。われわれの外務省や専門家がそのために相応の貢献をし、それに立脚できるように期待している。
さて、筆者がこの質問を行った意図を説明しよう。
9月2日にウラジオストックで行われた日露首脳会談終了後、安倍首相が「(北方領土問題の解決を含む平和条約)交渉を具体的に進めていく道筋が見えてくるような手応えを感じた」との発言以降、9月27日付「読売新聞」で「二島先行返還の可能性」が報じられ、また、10月17日には「日本経済新聞」が「日本政府は北方領土問題の打開策として日露両国による共同統治を検討」と報じるなど、マスメディアを中心に12月のプーチン大統領の訪日時にこの問題が大きな進展を見せるのではないか、との期待感が高まっていた。
ところが、ウラジオでの日露首脳会談前日の9月1日、プーチン大統領は通信社ブルームバーグのインタビューに答え、「日露が平和条約を締結する環境はまだ整っていない」と発言している。このプーチン大統領の評価は、筆者のそれ以前の日露関係への評価と違和感がないものだった。そこで、「9月以降、12月のプーチン訪日の際の平和条約交渉の見通しをめぐって、日露間の評価に乖離が生まれているのではないか」との仮説を検証するために、上記のような質問をプーチン大統領に行ったのである。
その結果は、その仮説をほぼ裏付ける内容のものだった。ここで注目すべきは、この発言がトランプ当選前の10月27日に行われたものである点だ。つまり、北方領土問題の解決を含む平和条約締結をめぐるロシア側の厳しめの見通しは、トランプ当選のいかんにかかわらず、一貫したものなのだ。
なお、筆者の考えでは、プーチン大統領の発言の中で最も重要なポイントは、日本の多くのマスメディアが引用した「期限を設けることはできないし、むしろ有害でさえある」という部分ではない。そこではなく、「(中国との領土問題解決の前提条件として)われわれは中国との間で前例のないレベルでの協力関係を構築した。残念ながら日本とはそのような質の関係には達していない。だからと言ってそれができないという意味ではない」という部分である。つまり、「ロシアとしては、中長期の視野で日本との経済・安全保障両面での戦略的関係の積み上げを望んでいる。北方領土問題の解決を含む平和条約締結はその延長線上のことであり、まだその機は熟していない」ということなのだ。
日露間に存在する時間軸の違い
実は、安倍政権もその「国家安全保障戦略」の中で、中長期的な視野でのロシアとの戦略的関係の積み上げの重要性を指摘しており、戦略レベルでは日露間に大きな齟齬はない。ところが、わが国はその対ロシア外交において、より短期的な時間軸で解決が求められる北方領土問題という重要課題とも向き合わざるをえない。しかも、元島民の方々の年齢を考えると、その時間軸は年々短くなっていくという非常に厳しい現実がある。この点にこそ、現在のわが国の対ロシア外交の最大の難しさがあるといってよい。
そこに政局を巡る思惑も絡み、わが国の側がこの9~10月にかけて、12月のプーチン訪日時での北方領土問題の解決を含む平和条約交渉をめぐる大きな成果への期待感を必要以上に高めてしまったというのが実態ではないだろうか。
残念ながら、今回のプーチン大統領の訪日では、これに関して大きな進展はないだろう。18年にロシア大統領選が予定されていることを含めて考えると、プーチン大統領の側にこれを急ぐ理由が見当たらないからだ。
逆に18年にプーチン大統領の再選が決まれば、再びチャンスが訪れるだろう。その場合、プーチン大統領の任期は24年までであり、他方、3月に自民党党大会で総裁任期の3年延長が決まれば、不測の事態が起きない限り、安倍首相の首相任期も21年まで延長される。この18~21年の3年間が本当の勝負のタイミングとなる。したがって、今回のプーチン訪日時の結果に一喜一憂することなく、中長期の視野でロシアとの経済・安全保障両面での戦略的関係の積み上げを図っていくべきだろう。