畔蒜泰助
ロシアのプーチン首相が5月11~13日に来日。12日、麻生首相との首脳会談が行われた。日露関係にとって最大の懸案の北方領土問題について進展があったかどうかは定かではないが、一方で、この間、わが国のエネルギー戦略の根幹に位置付けられる原子力政策の今後の在り方を示唆する2つの発表がなされた。12日の原子力平和利用に関する政府間協定(日露原子力協定)の締結、そして、同日の東芝とロシア国営原子力会社アトムエネルゴプロムとの濃縮ウラン製品事業に関する事業化構想の具体的検討に関する覚書の発表である。
日露原子力協定とは、日本とロシアが、平和利用を前提として、核物質や核関連技術の移転その他の協力を行うための法的枠組みを定めたもの。わが国の原子力政策にとって、今回の一連の発表は一体、何を意味し、今後、どこへ向かっていくのか?
それを読み解くには、ここ数年の間に出現してきた次の二つのトレンドに注目する必要がある。
1. 世界的な原子力回帰を受けた、日本の原子力政策の国際化の動き
2. 核拡散問題の深刻化を受けた国際原子力機関(IAEA)+米露を中心とした新たな核不拡散体制(=核燃料サイクル技術の国際管理体制)構築の動き
まずは、1. の「世界的な原子力回帰を受けた、日本の原子力政策の国際化の動き」から見ていこう。
東芝による米ウェスティングハウス(WH)の買収
86年に勃発したチェルノブイリ原発事故以降、世界は「原子力・冬の時代」に突入した。ところが、中国やインドといった新興国の経済成長に伴う化石燃料の中長期的な安定供給への不安、そして、地球温暖化問題への関心の高まりを背景に、数年前から、世界各国で原子力発電に対する見直しの機運が高まっている。
原子力発電所の稼働台数でいえば、アメリカ・フランスに次ぐ世界第二位のわが国も05年10月、『原子力政策大綱』を発表して、新時代に向けた原子力政策の再構築に着手。そして、06年8月、『原子力立国計画』報告書を発表した。
そんな最中の06年2月、従来、米GEと提携関係にあった東芝が、米ウェスティングハウス(WH)を買収するという、驚きのニュースが世界を駆け巡った。当時、米WHを傘下に収めていた英国核燃料公社(BNFL)から、米WHと長年の提携関係にあった三菱重工や、米GEと争った末の買収劇だった。
東芝をはじめとする日本の原子力プラントメーカーの強みは、過去30年間、「原子力・冬の時代」でも途切れずに、原子力発電所を建設し続けてきたことで蓄積された、予定工期通りに予算内で建設を完了する工程管理のノウハウにあるといわれている。そのノウハウに、米WHが持つ最新の原子炉技術を組み合わせることで、東芝が、一躍、世界の原子力プラント市場のメインプレーヤーに躍り出たのだ。
日本の弱点は核燃料サイクル分野
そんな東芝を擁する我が国の原子力産業だが、今後、発展途上国を含む世界的な原発建設ラッシュが始まるなかで、プラントビジネスへの受注合戦に本格参戦するには、どうしても不可欠なある戦略ツールを欠いている。核燃料サイクル分野では、フロントエンド・バックエンドともに、国際競争力を持ち合わせていないのだ。
ここで核燃料サイクルについて簡単に解説しておく必要があろう。これは、核燃料の製造から使用済み核燃料の再処理・再利用までの一連のサイクルをいい、ウラン鉱石の採掘や天然ウランの濃縮、核燃料の成型・加工といった核燃料製造にかかわる部分をフロントエンドと呼ぶ。また、再処理以降をバックエンドと呼ぶ。
ここで、我が国の核燃料サイクル能力の現状を確認しよう。まず、フロントエンドであるが、現在、我が国の天然ウランの年間需要量は約8,000トン。その94%は海外からの輸入に依存している。また、核燃料製造に関する一連のプロセスの中で、技術的に最も習得が難しいウラン濃縮の国内の年間需要量は5,000t SWUだが、現在、日本原燃のウラン濃縮能力は国内需要の約10%に止まっており、将来的にも1,500t SWUとその30%を満たすに過ぎずない。
また、バックエンド部分についても、現在、日本原燃が、仏アレバからの技術協力を受けて、青森県六ケ所村に使用済み核燃料再処理施設の建設を進めているが、当初、07年11月に設定されていた本格稼動予定は、技術上のトラブルから大幅に遅れている。また、仮に早期に本格稼働し始めたとしても、同施設だけでは、日本国内に貯まった使用済み核燃料の全量を賄うことさえできない。
世界の原子力ビジネスは核燃料サイクルを含む一括契約が主流へ
ところが、将来的な核燃料需給ひっ迫化の可能性の他、後述する核不拡散問題への対処の必要性から、現在、世界の原子力ビジネスの潮流は、単に原子力プラントを受注・建設するだけではなく、核燃料サイクルのうち、核燃料の製造・供給(フロントエンド)と使用済み核燃料の再処理・再利用(バックエンド部分)を含んだ一括契約へと移行しつつある。
今日現在、西側先進国の原子力プラントメーカーの内、原子力プラント建設と共に、核燃料製造・供給(フロントエンド)と使用済み核燃料の再処理・MOX燃料の製造(バックエンド)を含むフルサービスを提供する体制が整っているのは仏アレバだけ。このままでは、東芝は、世界の原子力プラントビジネスの争奪戦で、仏アレバと対等に渡り合うことはできない。ではどうすべきか?
東芝がまず定めたのは、核燃料製造・供給にかかわるフロントエンド部分の補強だ。日本国内で賄えない以上、ウラン資源国や核燃料サイクル推進国との国際提携によってこれを補くしかない。ここで浮上したのが、中央アジアのカザフスタン、そしてロシアの存在である。
現在、核燃料製造にかかわるフロントエンド・ビジネスの中核ともいうべきウラン濃縮サービスを世界規模で提供している企業は4社しかない。英・蘭・独が共同出資する「ウレンコ」、仏アレバ社の100%子会社「ユーロディフ」、米濃縮会社(USEC)、そして露国営原子力企業アトムエネルゴプロム傘下のウラン燃料会社テクスナブエクスポルト(通称テネックス)である。なかでも、露テネックスは、約20,000t SWU/年という世界最大のウラン濃縮サービスの供給能力を有する。これは、全世界のウラン濃縮能力の40~50%に相当する。しかも、ロシアの真下には、オーストラリアに次ぐ世界第二位のウラン埋蔵量を有し、政治経済的にもロシアと近いカザフスタンがある。
カザフ・ロシアでの原子力外交
05年、資源エネルギー庁の主導の下、カザフでのウラン獲得外交が開始される。その結果、06年以降、日本政府の全面的な支援の下、日本の商社や電力各社が相次いで、ウラン鉱山の開発権益を獲得したが、その中に、原子力プラントメーカーで唯一東芝が含まれた。なお、東芝は、ウラン鉱山の採掘権獲得の見返りとして、カザフスタンの原子力国営企業カザトムプロムに米WHの株式10%を譲渡するという、これまでの日本企業には考えられなかった離れ業を演じて見せた。東芝が米WHの買収を経て、日本企業からグローバル企業へと脱皮しつつあることをあらためて内外に印象付ける出来事だった。
そして、07年2月、日本政府がロシア政府との間で、原子力協定締結交渉の開始で合意する。カザフのウラン獲得外交を主導した資源エネルギー庁は、当初から、カザフで確保した天然ウランの濃縮サービスは、ロシアから調達するシナリオを描いていた模様だ。
すると翌08年3月、東芝が、国営原子力企業アトムエネルゴプロムと、「ロシアの新規原子力発電所建設エンジニアリングの関する協力」、「大型機器製造および保守に関する協力」、「フロントエンド・ビジネスに関する協力」の3つの分野について、戦略的、かつ相互補完的なパートナーシップの構築を目指すと発表した。東芝の最大の狙いが3つ目の「フロントエンド・ビジネスに関する協力」にあったのは言うまでもない。
そして今回、日露原子力協定締結を受けて、ロシア国営原子力会社アトムエネルゴプロムとの濃縮ウラン製品事業に関する事業化構想の具体的検討に関する覚書への調印を発表した。そこには、濃縮ウラン備蓄拠点の共同建設とウラン濃縮工場の共同建設(こちらはまだ実現可能性調査の段階)が含まれる模様だ。