対談シリーズ「医療保険の制度改革に向けて」
社会保険方式の原理原則から考える(中)― 給付と費用負担の在り方
給付の対価性と保障性
三原岳研究員(以下、三原): 次に、堤さんが書かれた『政策原理』(末尾を参照)は「給付の対価性と保障性」に言及しています。つまり、社会保険方式は国民に強制加入を課し、給付することを前提としているため、被保険者である国民は保険料の対価、つまり見返りとしての保険給付が保障されなければならないということですね。
堤修三さん(以下、堤): 厳密に言えば、保険料の「対価」としての保険給付は保険の考え方。一方、給付の「保障」は社会保障。だから対価性と保障性は両立しにくい面があります。例えば、社会保障の一環としての社会保険である以上、保険料の対価である保険給付が余りに低レベルでは社会保障として成り立たなくなります。
三原: 「給付の対価性」という点で分かりやすい事例は介護保険が挙げられるかもしれません。介護保険の第2号被保険者は40歳以上ですが、給付が受けられるのは16種類の特定疾病患者 [1] だけです。つまり、第2号被保険者の負担は限りなく租税に近いと言えます。
堤: 旧厚生省が公表した当初案は「保険料負担が20歳以上。若年者の給付はゼロ、要介護認定は65歳以上」でした。しかし、「それで保険料か?」という批判が出ました。
三原: つまり、「対価を期待できない点では税じゃないか?」という指摘ですね。40歳で区切った理由は何かあるのですか。
堤: 当時、老人保健法の健診が40歳以上で線引きしていた上、「40歳は加齢に伴って病気が増える。それが要介護の原因となる」という論理でした。それに着目して部分的に対価も付けました。今から考えると、当初案は酷かった(笑)。完全に税ですから。特定疾病を対象としたことで、保険としての側面を爪の皮1枚残した感じです。
三原: そうなると、本来は給付の対象を高齢者に限定せず、年齢に関係なく障害者総合支援法との併給を認める方が整合的になります。
堤: それは否定しませんが、制度の建て方として、僕は医療保険と介護保険は分けるべきじゃないと思っています。介護保険を作った国を見ると、ドイツは疾病金庫 [2] 、韓国は医療保険制度を運営する「国民健康保険公団」 [3] が一緒にやっています。僕は担当課長の頃、先程述べた「突き抜け方式」に医療保険を再編した上で、介護だけを市町村で給付する案を省の会議に出したことがあります。これに対して、「医療保険再編はすぐにできないから待ってくれ」と当時の保険局長に言われました。独立保険にしたのは当時、介護保険に要介護認定や区分支給限度基準額(以下、限度額)の制度 [4] を作る際、日本医師会に「医療保険も同じ仕組みになるのでは」と懸念させる危険性があったためです。
三原: なるほど、「給付管理などの仕組みを医療にも作るのでは」という懸念を生む可能性ですね。
堤: 一方、大蔵省(現財務省)は「給付を管理する仕掛けを入れないと絶対にダメ」という考えだった。そこで新しい仕組みは新しい革袋に入れるため、「新しい制度は独立型保険」という決着になったのです。確かに、介護保険の細かい設計は知恵を絞っていると思いますが、基本設計については問題がないわけではありません。例えば、医療の場合、「今年は病気だけど、来年は元気」という状況が考えられます。これに対し、介護リスクは不可逆性が強く、要介護状態にならなければサービスを使わないし、なってしまったら最期までサービスを使い続ける。一部には「要介護認定が広過ぎる」と言われていますが、もし認定の範囲を絞ると、国民が納得する社会保険にはならない。年金の場合、「保険料を40年間納めたら、こういう計算式で払います」という形で給付を保障します。しかし、介護保険の要介護認定率は20%未満で、要介護になったら通常は自立(非該当)に戻ることもなく、かつ年齢で偏りも大きい。こういう要介護リスクの特性を考えると、要介護の認定基準をグッと縮めたら、多くの人が給付を受けられず、掛捨てになる。具体的には、今は第1号被保険者の18%程度が要介護度認定を受けています。これを仮に5%に絞った場合はどうか。現状でも65~69歳の認定率は3%程度です。前期高齢者や第2号被保険者は後期高齢者になって要介護リスクが高くなった時に備えて保険料を払っているのです。それにもかかわらず、要介護認定率を今よりも絞ると、現在及び将来の保険料の掛け捨て感は著しく高くなるでしょう。つまり、介護保険は財政的には短期保険、つまり短期的に財政の帳尻を合わせる仕組みですが、年金保険と同様、一種の長期的な約束を内在している。
三原: ただ、介護保険給付費も増えており、制度の持続可能性を確保する上では、費用の節約が必要になります。給付の対価性を意識しつつ、どうやって節約するべきでしょうか。
堤: まず、今、言ったように認定基準を縮める選択肢は掛け捨て率が増えるので良くない。ただ、自己負担を1割から2割にすることは止むを得ない選択ですし、施設は2割、在宅は1割といった形で差を付けることも考えられます。それがダメだったら限度額を下げる。
三原: 医療保険と違い、介護保険はニーズに対して部分的に給付する仕組みです、このため、限度額を下げることと、自己負担を上げることは保険給付のカバーを小さくするという点では同じ効果を持ちます。つまり、介護保険財政が厳しくなっている中、給付を効率化するのであれば、限度額を下げることで薄く広く要介護者全員に負担を求めるか、高所得者に負担を求めるかという選択の問題と考えます。ただ、「医療保険の負担が3割だから、介護保険も2割」という今の見直し論議は如何にも安易と思います。
堤: 限度額はそれほど明確な根拠に基づいたものではありません。要介護区分によって限度額に対する利用割合にも差がある。一定の利用割合になるよう限度額を調整することはあり得ます。限度額に対する利用割合に差がある以上、限度額の調整と利用者負担の見直しは異なると思います。しかし、指摘されている通り、医療保険と介護保険の利用者負担を安易に比較することは問題です。病気は治る前提ですが、要介護状態は回復しない。この結果、介護保険の利用者負担は一生続くことになります。そういう違いは無視できない。それから、高額の保険料を払っている者の利用者負担を高くすることには反対です。誰も真面目に保険料を払う気がなくなってしまう。さらに、改正をする時、もう余計な美辞麗句を連ねないで欲しい。つまり、「今は財政的に厳しい。保険料も上がるけど、これには皆さん反対される。しかし、認定範囲を縮めると、約束違反になる。だから苦渋の選択として給付レベルの見直しを行う」といった形で、政策決定のプロセスで正直に説明するべきです。
三原: 「美辞麗句は不要」という点は全く同感です。介護保険では限度額を超えた部分は保険給付の対象でなくなるため、全額が自己負担になりますが、2015年度介護報酬改定では「全体を下げるけど、重点化する」という名目で、限度額を超えることを認める加算 [5] が創設されました。これを私は「枠外加算」と呼んでいるのですが、制度の逸脱に見えます。
堤: 要介護認定と限度額は制度の肝の部分ですから。安易に例外を設けるべきじゃないと思います。
三原: 認定の部分でも言いたいことがあります。今回の法改正で創設された「新しい総合事業」では、軽度者向け予防給付の訪問介護と通所介護を予防事業に移管しました。しかし、この仕組みでは要介護認定を受けている高齢者と、要介護・要支援認定を受けていないけど予防事業の対象となっている一般高齢者が同じサービスを受けることになります。この結果、要介護認定がグダグタになっています。先日、厚生労働省の担当者から話を聞く場に参加し、この点を質問したところ、2006年度に「地域支援事業」 [6] を創設した経緯から説明が始まりました。つまり、合理的な説明が難しい。そもそもの問題として地域支援事業だって元々、税財源を使った補助金は三位一体改革 [7] を含めて何かと廃止・縮減の対象になるので、介護保険に入れたわけですよね。どうも変な話が多過ぎる印象です。
堤: 当時、法律根拠のない予算補助金は毎年1割カットというルールがありました。それを回避するため、地域支援事業を法律化したのでしょうが、そこに保険料財源まで入れることに問題はなかったか。加えて今回、予防給付の一部を予防事業に移行した結果、給付として保障されていた権利が予算枠による制約を受ける事業になった点で、保険の対価性を傷つけてしまいました。
保険料負担の在り方
三原: 社会保険方式の保険料を考える上では、能力に応じて所得比例で負担を求める応能負担と、受益に応じて定額で負担を求める応益負担のバランスも課題となります。ここの部分は提言で言及し切れなかったのですが、どうお考えですか。
堤: 定額保険料の応益負担は保険の原形には近くなります。しかし、それでは誰も払えなくなる。そこで所得比例の応能負担にすると、「同じ給付を受けるのに金持ちは月20万円の保険料、そうじゃない人は1万円の保険料」という状態になる。そうなると、高所得の人は我慢できなくなるかもしれない。だから現行制度では、標準報酬の上下限を付けている。つまり、「同じ連帯の仲間だから給料は応じて一律の負担を能力に応じて負担して下さい」としつつ、「給付との均衡を極端に欠く保険料負担では納得を得られないので、限界を設ける」という判断で、標準報酬の上下限が定めている。しかし、それでも完全に説明し切れない部分は残るので、その部分は「連帯」頼みになってしまう面はあります。国民がどこまで納得できるかという「納得の限界」が問われていると思います。
三原: 保険料の関係では事業主負担の取り扱いも重要です。私達の提言は地域一元化に際して事業主負担を廃止し、その分を給与で上乗せして「社会連帯税」(仮称)で徴収する考え方を採っています。事業主負担について、堤さんのお考えを聞かせて下さい。
堤: 事業主負担の根拠としては、労働の再生産など即物的な説明がいくつかありますが、「社会的な存在としての企業が人を雇うことに伴う責任」というシンプルな理由に求めるしかないと思います。社会保険方式を創始したドイツでさえ完全な説明は難しく、歴史的な説明しかできない。現に介護保険制度では65歳以上のサラリーマン本人、後期高齢者医療制度では75歳以上の社長は自分だけで保険料を負担しており、事業主負担はない。しかも、高齢者医療費に関して財政調整をやっており、事業主の払っている保険料の相当部分が被用者の保険給付以外に使われている。国が自ら事業主負担の説明が難しくなる制度を作っており、誰も自信を持って説明できなくなっている。逆に言えば、そこまで無理な財政調整など変なことはやらない方が良い。
三原: (上) で言及した市町村国保に非正規雇用が流入している点とも絡みますが、私達の提言では、事業主負担が一種の「雇用税」になっている面に着目しました。正規職員を雇った分だけ負担が増えるわけですから。その結果、非正規雇用が増えるインセンティブになっている。 堤: 雇用税だったら何故、いけないんですか。むしろ、それは非正規雇用を増やせるように労働法改正をしてしまったことの方が大きい。
三原: しかし、非正規雇用の規制を強化すると、会社は雇用の量か、賃金の水準をコントロールしますよね。
堤: それは保険制度から考えるのではなく、経済情勢や企業の競争力から考えるべきです。とはいえ、経済界は今後、「事業主負担が競争力を阻害している」という圧力を強める可能性はありますね。そういう状況であるにもかかわらず、財政調整を通じて無関係な所に保険料を回すとか、サラリーマンなのに事業主負担がないとか、国自らが変な制度を作っている。被用者保険では労働者本人を一番大事にしなきゃならないのに、子どもの負担だけ2割という仕組みも変です。何で家族よりも本人の自己負担が高いのか。それなりの論理で被用者保険はできあがっており、家族は被用者を中心にくっついている。そういう枠から出る制度改正をやったらいけない。それと、事業主の名前で保険料を出すことを通じて、診療団体や財政当局とのバランサーの役割も含めて、会社が医療保険制度でやれることは色々とある。やっぱり経済界のバックアップは大きい。一見すると、経済界の負担は軽くなるかもしれないが、医療費は簡単に減らないし、総合的に考える必要があると思います。
三原: ただ、雇用が流動化したり、女性の社会進出が進んだりする中で、男性の正規雇用を中心とする社会保険方式が揺らいでいる面もあると思います。社会保険システムがグローバル経済に対応し切れていないと言い換えても良いかもしれません。私達の提言では働き方に中立的な仕組みとして、事業主負担を廃止するとともに、フランスのCSG(一般社会税)を一つのモデルとし、事業主負担の租税化を訴えています。社会保険料を税制と一体的に改革する考え方です。
堤: あれはまず、現実的に無理です。廃止した際、その時点で税率、税額を決めたとしても、その次の年はどうするのか。適用事業所になったりならなかったり、給料が上がったり下がったりするのをどうやってフォローして計算するか、現実的に無理じゃないですか。それと所得税に上乗せして徴収すると言いますが、適用事業所の被用者とそれ以外の者で税率が異なるのは、法の下の平等に反する可能性があります。事業主負担を本人の給与に上乗せし、本人が保険料で払う格好にする場合、会社が賃上げしなければ事業主負担が事実上ゼロになる危険性があるので労働組合は反対すると思いますが、制度的には体系を保てます。しかし、ここの部分を税金にするのは法の下の平等に反します。
社会保険方式と公費(税金)の関係性
三原: かなり議論が分かれていますが、公費(税金)に関しては如何でしょうか。政策提言では全国平均を一つの基準とし、そこまでは平等部分として国の公費(税金)で負担し、医療の利用で増える部分については、被保険者である住民が保険料または自己負担で支払うことで、医療費の規模や保険料の水準を考えてもらうとしています。社会保険方式と公費(税金)の関係はどうお考えですか。
堤: 社会保険に税金を投入する根拠は2つあります。まず、制度が分立している状況であれば、極端な保険料格差を生じさせないという機能があります。しかし、一元化された制度であれば本来、税金を入れる必要はありません。一元化された仕組みで保険者が複数ある場合、公費負担により保険者の所得水準による保険料の差を調整することは有り得ますが、素直に保険の理屈で言えば、提言のように給付の一定割合を一律に税金で賄う理屈はない。
三原: しかし、現状の介護保険、後期高齢者医療は給付費の一定割合を公費(税金)で対応していますよね。
堤: それは独立方式というリスクの塊だけの制度を作ったために必要となったにすぎません。「保険料で全部取れない。税金を突っ込むことで、財源を多層化するしかない」という考えです。表向き、大きな顔で言える論理じゃないですが…。
三原: なるほど、『政策原理』で言っている「老人医療費無料化以来の高齢者医療を巡る失敗の上書き保存」ですか(笑)。
堤: 情けない話だけどね(苦笑)。でも、東京財団の提言は違いますよね。一元化するのに何故、税金を一定割合で入れる必要があるのか。実際の運用も難しいと思います。保険者は「実際にこれだけ医療費かかったから、その分を請求する」という医療機関にその額を支払わなければならない。しかし、国から保険者には全国平均ベースでしか国庫負担は行われない。保険者が、医療費を完全に国庫負担金ベースの枠内に収めるようとするのであれば、医療費を完全に予算統制しなければならない。しかし、それは実際には難しいから、例えば、ある県が国庫負担を100億円と思っていたら、実際には120億円も必要だった場合、保険者は上振れした部分まで医療機関に支払わなければならなくなる。そんな危険な財政運営を強いられる保険者を誰が引き受けるだろうか。
三原: 提言では、全国平均を一つの基準とする税の部分については、「国民全体の社会連帯を示す費用」と位置付けています。それと、財政運営が不安定になるリスクについては、指摘されている通り、実給付額が増えたとか、保険料の収入が減ったとか、どうしても穴が出ると思います。そこで提言では5年程度の医療計画を策定し、保険料と給付をリンク付けするとともに、不足額が発生した場合に対応する「財政安定化基金」で対応すると言っています。実際、介護保険では都道府県単位に設置された財政安定化基金を通じて、不足額の半分を無利子で貸し付ける一方、半分を交付しています。それで貸し付けた分は次の計画で回収する仕組みになっています。これが保険者財政の自立性を確保しているのではないでしょうか。提言では介護保険の考え方を参考にしています。
堤: 介護保険の財政安定化基金は第1号保険料分のみが対象で、国庫負担などは実給付費ベースで交付されます。しかし、提言では国庫負担は全国平均ベースでしか来ないわけでしょう。そうすると上乗せ分は全額が保険者の負担になります。その場合、総額予算制で予算を完全に管理しないと不可能です。例えば、120億円の請求が来ても、国庫負担が100億円しか来ない場合、常にイコールにするようにコントロールするには、年度の当初は1点10円で払っていたけど、年度の終わりの1~3月は8円にするような形で帳尻を絶対合わせる仕組みが必要になってしまいます。そこまで保険者に引き受けさせるのであれば、保険者は「病床数の統制権限も含めて、医療供給に関する権限を寄こせ」と言い始めるでしょう。そこまでセットで提案しないと不十分だし、病床数の統制を徹底することは自由開業制の否定、さらには患者のフリーアクセスの否定にも繋がります。社会主義医療と言われかねません。
三原: 私達は保険者への権限移譲に言及しています。しかし、提供者との関係は今後の課題としています。その中でも私達は「医療費を増やしている可能性がある病床を何とかしたい」と思っていますが、医療機関開設の自由まで否定しているつもりはありません。
堤: 実質的に同じではないでしょうか。病床の制限は病院の開設を制限することになります。現実的にそこまで含めてコントロールできるのでしょうか。政策は今、明らかに規制強化に向っています。病床再編を進めるための「地域医療構想」 [8] では都道府県による勧告とか、協力の義務を入れていますが、上手く機能しなければ規制は強くなる一方でしょう。本当は余計なことをやらず、できるだけ自由にした方がいい。明治期以降、自由開業制、フリーアクセスでやってきたわけですし。
三原: しかし、患者と医師の情報格差が大きい医療に「市場」は機能しにくいですからね。医療制度における「自由」はどこまで認められるべきか議論の余地があるし、フリーアクセスに関しては、イギリスのような登録制も一つの選択肢として有り得ると思っています。
堤: しかし、フリーアクセスは国民に定着していますからね。お金で自己負担を高くするとか、初診料を高くする形であれば有り得ると思いますが、受診できないようにするのは抵抗が強いと思います。イギリスを引き合いに出されているけど、戦後にスタートしたNHS(国民保健サービス)は労働党政権、しかも党内最左派の保健大臣が病院の国営化とセットで進めた政策です。つまり、社会主義的な側面が強い。僕は自由主義者なので、フリーアクセスを否定すべきはないと思っています。
三原: しかし、フリーアクセスとか登録制は程度の問題じゃないでしょうか。イギリスのように診療所を選べるけど登録を義務付ける仕組みもあれば、フランスのような任意なやり方もあるのでは。
堤: 中途半端な登録制なんて意味があるのでしょうか。しかも行政の規制を入れると、行政手続が複雑になる。ものすごく細かい行政ルールができてしまい、地方に行けば細かいローカルルールまで生まれて、訳が分からないことになり、結果的に役人の権限と汚職が増えるということになりかねない。
三原: 「簡素な行政手続きが良い」という指摘には賛成します。しかし、このままで医療費を節約できますか。
堤: その前にやることは多くありますよ、薬価制度、医薬品流通の在り方を見直して薬価差益が出ない仕組みに改めるだけでも随分と節約できます。その次は医療材料の差益や医療機器による検査料の差益もある。
三原: 医療機器の問題は結局、開業の自由と繋がりませんか。設備投資をやるかやらないか、どんな投資を行うかは民間の判断。しかし、医療の場合は情報格差が大きいため、投資した費用や維持管理費を診療行為で回収しようとするため、どうしても投資が医療費を増やす面があります。それは病床に限らず、医療機器の問題も同じではないでしょうか。
堤: 差益が発生する仕組みの是正が必要という意味であり、医療機器の設置をコントロールすべきという趣旨ではありません。医療機器が増えることは全否定すべきでしょうか。今はどこでもCTやMRIがあるので、値段が下がりました。しかも検査の精度が上がると無駄な治療しないで済むなど、結果的に医療費を節約できるかもしれない。それ以上に、超高額な医療費の問題が大きい。近年、月額1億円を超えるレセプト(診療報酬明細書)が出てきた。しかし、これは医療界の内部ルールとして、「こういう場合、この程度の治療をする」というガイドラインを学会が作るのが本筋です。
三原: そこは同感です。学会や診療団体が専門家としての専門性と自治を発揮してもらってガイドラインを作成し、国が診療報酬に入れるかどうか判断する形が良いと思っています。しかし、個別性が大きい医療はエビデンスだけで厳格にできないため、標準から外れた例外的なケアをやった場合、医師に説明責任が求め、それで合理性があれば保険診療として認める幅は必要と思います。
堤: 同様の観点から、ジェネリック(後発医薬品)の利用を促進するため、ジェネリックがあるにもかかわらず、先発品を使った場合、ジェネリック価格との差額は自己負担とする対応があっても良いと思います。つまり、ジェネリックがある場合、保険償還はジェネリックの一般名収載価格までとし、どうしても先発品を使う場合、医師に医学的根拠についての説明責任を求める。薬剤は改革の余地が大きいし、医療供給の統制に手を付ける前に、色々とやることはたくさんあると思います。
三原: ここでも意見が割れる部分、一致する部分があり、堤さんが私達の提言を「社会主義的」と批判される理由も明らかになりました。もう少し議論を進めたいと思います。
社会保険方式の原理原則から考える (下) -自治・参加、簡素化の必要性はこちら
(この対談は2015年11月6日、東京財団会議室で行われました)
[1] 特定疾病と呼ばれる。がん末期など16疾病が指定されている。
[2] 疾病金庫は日本の健康保険組合に相当する制度。
[3] 韓国は日本と同様、被用者保険と地域保険に分立していたが、2000年から国民健康保険公団に一元化した。
[4] 介護保険制度では要介護5段階、要支援2段階の区分が定められており、それぞれに限度額が設定されている。限度額の範囲内であれば90%(高所得者は80%)の給付を受けられるが、それを超えると全額が自己負担となる。
[5] 訪問サービスを対象とした「訪問体制強化加算」「訪問看護体制強化加算」、小規模多機能型居宅介護などを対象とした「総合マネジメント体制強化加算」が該当する。詳細は三原岳(2015) 「報酬改定に見る介護保険の課題~制度複雑化の過程と弊害~」 を参照。
[6] 地域支援事業とは要支援・要介護状態になる前から予防を推進するのが目的。予防事業や地域包括支援センターの相談事業などが含まれる。介護保険の保険料を使用しているが、要支援・要介護認定を受けていない高齢者も対象となる。
[7] 三位一体改革は?国の補助金を廃止・縮減、?その浮いた国税を地方に移譲、?地方交付税の改革―の3つを同時に進める改革。介護関係でも補助金が廃止・縮減される一方、介護保険の枠内で「地域支援事業」が創設された。
[8] 地域医療構想(地域医療ビジョン)は病床再編が目的。膨れ上がった急性期を圧縮するため、医療機関が「高度急性期」「急性期」「回復期」「慢性期」の4つを選択し、これを都道府県が集計する。その際、都道府県は医療機関を財政支援するとともに、医療機関との協議が進まなかった場合、稼働していない病床の削減を要請できるなどとしている。