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【書評】季武嘉也『選挙違反の歴史 ウラからみた日本の100年』(吉川弘文館、2007年)

August 8, 2007

評者:黒澤良(学習院大学法学部兼任講師)

目次

・ウラからみた近代―プロローグ ・選挙の理想と現実
・ムラの騒擾と団結 激動の明治中期
・名望家と公民と国民 日露戦後から昭和初期の政党化
・官僚たちの挑戦 選挙粛正と翼賛選挙
・「ぐるみ」選挙と保革対決 独立~安保闘争
・イメージ選挙と違反の減少 高度成長期から現在へ
・鏡としての選挙違反―エピローグ

日本では政治改革の実現を選挙法改正に期待する傾向がある。大正期の普選運動には、男子普選導入に加えて、政治腐敗一掃という目的があった。有権者の飛躍的増大によって買収が不可能になれば、選挙資金を調達する必要性が減じ、結果として政治と金の問題も解消すると考えたからであった。普通選挙は万能であり、すべての政治問題は一挙に解決すると考えられていた。

同様の傾向は、現在の小選挙区比例代表並立制を導入した1994年の衆議院議員選挙法改正にも認められる。リクルート事件など一連の不祥事で高まった政治改革圧力は、腐敗行為防止法をともなわない選挙法改正のみに集約されてしまった。選挙制度、すなわち議員の選び方を改善することで、政治も改善されるという発想であろう。その背景には選挙の実態を問題視する意識がある。

本書では、衆議院議員選挙を対象に、違反者数の時期的、地域的差異に着目して、それぞれを比較検討することから選挙違反の持った意味が探られている。本書によれば、近代日本は、選挙違反の多さも、選挙違反を嫌う心も前近代の土壌から引き継いだという。選挙浄化や腐敗防止をめざした動きは、大正期の「政治の倫理化」運動、昭和戦前期の「選挙粛正」運動、そして戦後の「公明選挙」運動へと引き継がれてきた。選挙というオモテの制度はウラにある選挙違反のありように規定されてきた側面をもつ。

先の参院選での自民党惨敗の原因の一つに政治と金の問題があげられている。本書は、近年では選挙期間に費やされる選挙費用が減少する一方で、個人後援会を中心とした日常の地盤培養活動のための政治資金が従来以上に必要となっていることを指摘している。選挙違反というウラ側からのぞくことによって、日本の近代社会や政治のもつ歪みが浮き彫りになる。

    • 学習院大学法学部兼任講師
    • 黒澤 良
    • 黒澤 良

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