グローバル時代にふさわしい土地制度の備えを
吉原祥子
外国資本が日本の森林を買っている――。2010年6月、北海道議会において全国で初めて外資による山林買収の実例が公表された。国際的な山林売買は実態把握が困難な状態が続いていたが、これを契機にマスコミが本格的にこの話題を取り上げ始め、ようやく現実のものとして社会に認識されるようになってきた。
北海道で外国資本が所有する森林は、少なくとも33ヵ所、計820ヘクタール(2010年11月現在)。所有企業、個人の所在地は香港が12社と最も多く、他に英領バージン諸島所在の1社も香港資本であった。
グローバル企業による山林などを含む用地買収の話は、五島列島、奄美大島、対馬、隠岐島など、国境離島でも聞かれる。直接的な山林売買だけでなく、リゾート会社買収など、企業のM&A(合併・買収)を通じた所有権移転のケースもあるが、土地売買の届出対象にはならないためさらに表面化しにくい。
グローバル化する山林所有と実態把握の困難さ。その根本にはどのような課題があるのだろうか。本稿では、増加する山林売買の根底にある本質的課題を整理し、自治体が取り組むべき対策について考えてみたい。
約4万ヘクタールが「不明資産」
国土交通省によると、山間部での土地取引総面積は過去10年で倍増している。増加する山林売買の背景には、採算の取れない山を手放すしかない所有者の苦渋の選択と、世界的な資源争奪戦の中、底値の山に様々な価値を見出した投資家の思惑がある。
人口減少・高齢化が特に著しい山間部では、地域社会や経済の縮小に歯止めがかからず、山林所有者が山を維持し続けることはますます困難になっている。日本は再生力に富んだ自然や豊かな水資源という意味では指折りの「資源国」でありながら、長引く林業低迷により林地価格は19年連続、木材価格は30年連続で下落が続いている。日本の山林の現状は、グローバルな投資家の目で見れば「買い」なのだ。
だが、売買実態の把握は難しい。北海道が独自の調査結果を公表するまでは、実際の成約事例はほとんど表面化しないままであった。
北海道では、森林を保有する企業2141社宛てに調査票を郵送したところ、全体の4割を超える913社分(計1・4万ヘクタール)が「宛先不明」で戻ってきた。他にも、かつて原野商法などで分譲された森林で、その後の転売や相続などにより所有者の特定が困難になっているものが少なくとも2・5万ヘクタールあると見られ、合計3・9万ヘクタールが、行政で所有者を掴めない「不明資産」になっていることも今回判明した。
外資による山林買収をきっかけに、国土の約4割を占める私有林について、そもそも行政が所有実態を正確に把握しきれていないという、制度上の課題が徐々に明らかになってきた。
原則フリーの森林売買と森林利用
実は、日本では国による地籍調査(土地の面積、所有者、境界等の把握)が未だ49%しか完了していない。中でも林地は約6割が地籍未確定で、不動産登記簿にも正確な情報が記載されていない。長引く林業不況で資産価値の下落した山林は、相続時の扱いも曖昧なまま放置されることも多く、名義変更漏れも珍しくない。
土地売買一般については、1ヘクタール以上(都市計画区域以外)の場合、国土利用計画法によって、都道府県または政令市への事後届出が義務付けられている。だが、登記簿は法務省、土地売買届出は国土交通省の所管で、両者の情報管理上の連携はない。違法ではあるが、無届出でも登記は可能だ。
その一方で、日本の制度は土地所有者に対し、極めて強い所有権を認めている。土地とは基本的には公共財であり、公益的な利用のためのルールが不可欠である。このため、例えば英国では土地所有権は利用権に近く、最終処分権は政府に帰属すると考えられている。しかし我が国では、地権者の合意が得られずいつまでも道路や空港が完成しない事例が多数あるように、所有権が行政の土地収用権に対抗しうるほどに強い。
土地の売買・利用面でも、水源地域の森林、国境離島や防衛施設周辺といった、重要な社会インフラや安全保障上重要な地域を含め、公益の観点から売買・利用を調整するルールが十分に整っていない。森林の場合、農地のような売買規制はなく、保安林(私有林の約22%)を除けば開発規制も緩い。1ヘクタール未満の開発であれば特段の規制はなく、保安林であっても、地下水や取水といった観点からの規制はない。
海外からの投資という点でも、欧米では、例えば米国の外国投資国家安全保障法など、国の重要なインフラや基幹産業に対する投資について、公共の利益の観点等から公的に介入できる法制度があるが、日本にはそうした包括的なルールも十分用意されているとは言い難い。
つまり、そもそも土地の公益性を担保するための制度が不十分なところに、問題の根本がある。
土地の公益性の担保を
地域経済を維持していくには、多様な人や投資を呼び込むことが欠かせないが、「短期で投資回収を目指すグローバル企業の思惑」と「地域の公益」が必ずしも一致しないことは、しばしば報告されている。上述のように、現行制度下における土地情報把握の困難さや、森林の売買・利用に関する規制の緩さを勘案すると、今後、グローバル企業を含む山林所有者の多様化は、地域にとって経済活性化の機会をもたらすと同時に、新たな課題を生む可能性も否定できない。
一つには、住民とのコミュニケーション上の問題があろう。米国のメイン州やミシガン州では、住民と水メジャー・ネスレの間での土地利用における調整の困難さが報告されている。生産、流通、販売の各工程が分業化・分社化されるグローバル企業は顔が見えにくく、地域社会はコミュニケーションをとることが難しくなる。企業活動がもたらす社会的・環境的な影響についても責任の帰属が曖昧になり、仮に問題が起きた場合、国内制度の不備ゆえに係争が長期化・複雑化する可能性は否めない。「土地持ちは常識外のことはしないだろう」といった倫理観だけでは地域関係者の調和を図ることが困難な時代になっている。
また、所有者が海外も含む遠方に所在することによる、課税と森林管理上の課題もあろう。今後、香港やバージン諸島等のペーパーカンパニーを相手に、徴税や森林管理について、市町村長が指導、勧告を行ったり、森林組合が施行相談を持ちかけたりするケースも想定される。投資家の間で山林の転売が繰り返されていけば、所有者を追跡する行政コストは増大する。そうした土地はやがて所有者が特定できない「不明資産」となり、行政が容易に関与できない土地になる恐れもある。
経済のグローバル化が当たり前になった今、土地の公共財としての側面を保全するにはどのようなルール整備が必要か。今の時代にふさわしい備えとして、現行制度の課題を直視し、公益的観点から国土を守る対策を、国、自治体、住民それぞれが考え実行すべきときが来ている。
動き出した自治体と国
国際的な山林売買がマスコミで話題となり社会的に認識され始めたことを受け、各地で対応に乗り出す動きが広がっている。都道府県では北海道、新潟県、長野県、静岡県、福井県、鳥取県、大分県、熊本県などで情報収集組織の設置や議会での決議等の動きがある。市町村では北海道のニセコ町、乙部町、梼原町(高知県)などで条例案の検討や水道水源林の公有林化が進められている。東京都水道局も、奥多摩水源林(東京都及び山梨県)の都有林化を開始した。
特に、北海道では、全ての山林売買について新たに「事前届出」を求める独自の条例を2011年度中に制定する方針である。ニセコ町では、水源保全等を目的とする条例(水道水源保護条例と地下水保全条例)を2011年3月までに制定する予定であり、これによって地下水取水に届出義務を課し、大量の取水は許可制とする方針だ。また、町内にある五つの水道水源地(企業と個人の所有)の公有化も進めている。梼原町は、不在地主対策として、今年度中に山林売買に関する新たな方策を検討する方針である。
国も検討を開始した。民主党は2010年12月、グローバル化する土地所有に関して政策調査会にプロジェクトチームを設置し、検討を重ねている。
国会では、2010年11月、自民党より、すべての山林売買について事後届出を義務付けること等を規定した「森林法の一部を改正する法律案」と、「地下水の利用の規制に関する緊急措置法案」が提出された。同党内では、自衛隊基地周辺、島嶼部、港湾など安全保障上重要な地域について、土地売買を制限するための法整備の検討も行われている。
農林水産省では、所有者不明森林における施業代行制度を含む一部改正案の検討も進めている。法案成立に向けた与野党調整が強く期待される * 。
「不明資産化」を未然に防ぐ対策を
こうした条例制定や公有林化に加え、自治体においては、森林の「不明資産化」の防止対策が急務であると考える。山林の6割が未だ地籍未確定の中、所有者の高齢化による相続や売買増加等に伴い、今後、行政で所有者を特定できない森林が増えていく可能性が高い。全国ベースでは、同一市町村内に住所をもたない山林所有者(不在山林地主)は、すでに私有林全体の4分の1を占める。「山林所有者=在村地主=管理者」という図式に加え、「山林所有者=海外など遠隔地に在住≠管理者」という図式が一般化しつつある。
こうした状況を踏まえ、自治体には、「林地売買相談窓口」や「相続安心バンク」といった相談機能をもつ組織を創設し、山林所有者が売買や相続について常に相談や情報交換できる場を提供することが求められよう。自治体が、地元の森林組合や地方銀行等とも連携しながら、そうした機能を果たすことで、山林の適切な所有・管理を促進し、「不明資産化」を予防する方策の一つとなると考える。
現在、47都道府県中、30県で森林環境税が導入されているが、これらの自治体にあっては、所有者が特定できている森林の間伐のみならず、こうした「不明資産化」の防止対策にも税収を活用することが必要だろう。
先述した国土利用計画法に基づく土地売買届出は、従来、個人情報保護の観点から担当部局以外が閲覧することは制限されていたが、昨年10月、国交省からの通知により、届出に係る土地情報を自治体の事務に必要な限度で利用することが可能となった(国土利用第52号平成22年10月7日通知)。そうした情報の活用がさらに一般化していくことも求められる。
繰り返し言うが、問題の根本は土地に関するルールが未整備であることだ。TPPなど市場開放の流れが加速する中で、その前提として、「守るべきところ」(売買規制)と「守るべきこと」(利用規制)をしっかりルール化していくことは不可欠である。ニセコ町在住で同町の観光振興に尽力しているロス・フィンドレー氏も、次のように言う。
「より良い地域にするため、自分たちが大切だと思う場所、例えば水源地の売買や開発を禁止するなど、最低限のルールはつくるべきです(『北海道新聞』朝刊、2010年12月10日付)」
住民が「山を手放したくない」「地元を離れたくない」と思える地域づくりを進めるためにも、まずは各自治体が土地情報の現状把握に着手し、公益の観点から、森林をはじめとする土地の売買、利用にかかるルールを整備することが急務である。
【参考文献】東京財団 『グローバル化時代にふさわしい土地制度の改革を』 (2011年1月)
* 「森林法の一部を改正する法律案」は2011年4月15日の参議院本会議で全会一致で可決、成立しました。詳しくはこちらをご覧ください。