抜け落ちた「土地所有者」の観点
吉原 祥子
去る3月27日、水循環基本法が衆議院本会議で全会一致により可決、成立した(参院は3月20日の本会議で先議)。
本法律は、健全な水循環の維持・回復のための政策を包括的に推進すること等を目的とするもので、同法の成立により、地下水を含む水が「国民共有の貴重な財産であり、公共性の高いもの」(第3条の2)と初めて法的に位置付けられることになった。
具体的には、内閣への「水循環政策本部」の設置(本部長=首相)や、政府による5年ごとの「水循環基本計画」の策定等が義務付けられたほか、毎年8月1日を新たに「水の日」とし、健全な水循環の重要性について国民の理解と関心を深めることも定められた。
基本法制定の経緯と意義
あまり知られていないが、我が国にはこれまで地下水を含む水政策について、土台となる理念や方向性を定める法律は存在しなかった。河川全般は国土交通省、工業用水は経済産業省、農業用水は農林水産省と所管は分化され、水循環の統合的な管理や、流域単位・地域主導の水資源保全を行うための体制や計画も十分な状況にあるとはいいがたいものであった。
世界的な水不足の懸念など水問題への社会的関心が高まる中、2008年6月、学識者、市民、超党派の議員等により設立された「水制度改革国民会議」は、こうした縦割り行政の弊害を問題提起し、水行政の統合的な推進とそのための基本法制定を訴えた。同会議は引き続き、自民・民主・公明党など超党派の「水制度改革議員連盟」を中心に検討を進めていった。一方、自民党の特命委員会「水の安全保障研究会」は2008年「産官学の知恵と経験を活用する総合連携構築」が必要であることなどを最終報告書としてまとめ上げ、その後「水の安全保障戦略機構」等として活動してきている。
こうした経過を踏んで、昨年6月、基本法案が提出されたが、参院で首相問責決議案が可決された影響で審議未了となり、廃案になっていた。今回、改めて同法案が提出され、6年越しでようやく法案成立に至った。
法案成立に至るこの4年の間に、北海道はじめ各地で水源地域に該当する土地(森林)のグローバルな売買の動きや土地所有者の不明化問題等が顕在化してきたことで、水循環基本法成立への期待はさらに高まった *1 。危機感をもつ自治体では、国に先行して独自に「水源地域保全条例」(都道府県レベル)や「地下水保全条例」(市町村レベル)を制定する動きも進んでいった。
基本法に基づく具体的な施策が成果を見せるまでには時間を要するとはいえ、今回、地下水を含む水政策の法的根拠ができたことは、これまで法律のない中で規制のあり方を模索してきた自治体にとって大きな後押しとなろう。各地域の特性に応じた水資源保全の取り組みがさらに活発になることが期待される。
土地所有者にかかる議論
その一方で、水循環基本法に土地所有者の責務についての規定が盛り込まれなかったことは、水政策議論における今後の大きな課題だろう。
国土の構成要素たる土地と水は、極めて密接なかかわりをもつ。民法は「土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ。」(第207条)と定めており、地下水は土地所有者に帰属する。そのため、水循環の適切な管理のためには、森林をはじめとする土地の所有者についても、その責務を明確にすることが不可欠と言える。
各地で制定された水源地域保全条例(水資源保全条例)は、水源地域の土地売買における事前届出等を義務付けるもので、2012年3月から2年間で全国15道県で成立しているが(さらに3県が検討中)、そのすべてが条文の中で、(1)「自治体」、(2)「事業者」、(3)「県民(道民)」の責務に加え、(4)「土地所有者等」の責務を規定している。
つまり、県民か否かを問わず、県内に土地を所有する個人(県外・海外居住の不在地主や外国人含む)であれば誰でも等しく土地所有者としての責務を負うことを規定しているのである。中には以下のように、明確で具体的な規定もある。
土地所有者等 ( 土地の所有者、管理者又は占有者 をいう。以下同じ。)は、基本原則にのっとり、 水資源の保全のための適正な土地利用に配慮する とともに、 水資源の保全に支障を及ぼすおそれのある行為をしないように努めなければならない 。
(長野県「豊かな水資源の保全に関する条例」第4条)
土地所有者等は、 当該土地所有権等に係る森林の適正な管理経営を行う ことにより、 当該森林の有する水源涵養機能の維持増進に努めなければならない 。
(石川県「水資源の供給源としての森林の保全に関する条例」第5条)
土地所有者等は、基本理念にのっとり、 森林の適正な整備に努める とともに、県が実施する水源地域の保全に関する施策に協力するよう努めるものとする。
(山梨県「地下水及び水源地域の保全に関する条例」第6条の2)
だが、今回成立した水循環基本法は、(1)「国」(4条)、(2)「地方自治体」(5条)、(3)「事業者」(6条)、(4)「国民」(7条)の責務は規定しているものの、「土地所有者」の責務については何らふれていない。「国民は、水の利用に当たっては、健全な水循環への配慮に努めるとともに、国又は地方公共団体が実施する水循環に関する施策に協力するよう努めなければならない。」(第7条)としているが、「国民」=「土地所有者」ではない。
地域の人口減少と経済活動のグローバル化が進む中、森林面積のうち25%は不在地主が所有する。政府公表では現在、外国人・外国資本(住所・所在地が海外)が日本国内に所有する森林は801ヘクタールである。日本法人を通じて土地取得を行った場合や、原野・雑種地等の他の地目や届出対象面積以下の土地売買などを勘案すれば、実際にはその数倍以上の面積になろう *2 。所有者不明化も大きな課題で、北海道では水資源保全条例を周知する過程で、水源地域の土地所有者のうち46%が所在不明になっていることが判明している *3 。
水循環の維持における土地利用のあり方の重要性に鑑みれば、今回の基本法においても、国土所有のグローバル化や不明化の実態を踏まえて、土地所有者に関する規定が盛り込まれるべきであった。
実は、バブル期の最中の1989年、都市部の地価高騰問題を背景に制定された土地基本法においても、土地所有者の責務は規定されていない。「国及び地方公共団体」、「事業者」、「国民」の責務規定があるだけだ。経済活動がグローバル化し外国人が日本の土地を取得するケースが増えることや、土地所有者の不明化が問題となっていくことを想定していなかったのだろうか。
国土交通省は2013年8月、「不動産市場における国際展開戦略」を公表し、我が国の持続的な成長のために、海外投資家による投資を進め、不動産市場を活性化させていく方針を打ち出している。今後は、水源地などの保全に配慮しつつ、国内外から多様な投資を呼び込み、土地利用や不動産市場を活性化していくことが重要となっていく。そのためにも、多様化する土地所有のあり方を見据えて、内外差別のない土地所有・利用ルールを法的に確立していくことが不可欠だろう。
これからの課題
水循環基本法の成立を受け、今後、政府は5年ごとの「水循環基本計画」を定めていくことになる。とくに、地下水については、これまで地盤沈下防止を主目的とした工業用水法やビル用水法といった限定的なエリアの規制しか存在せず、今後、国として具体的にどのような施策を講じていくのか、実効性ある計画の策定が行われることが望まれる。
以前に自民党が成立を目指した「地下水の利用の規制に関する緊急措置法」では、「地下水利用規制区域の指定」「測量等のための土地の立入り」のほか、重要な土地の土地占有者等にかかる管理・規制事項などが規定されていた(第176回国会、衆法176回17号)。こうした法案や土地の所有・利用に係る最新動向も踏まえながら、健全な水循環の構築・管理に係る諸課題を整理し、施策を講じていくことが第一歩となろう。
このほか、道県の水源地域保全条例の普及や地下水の計画的揚水、小水力発電と水循環保全のあり方など、課題は数多い。さらに人口減少に伴い、各地で土地の管理放棄・権利放置が進む一方、再生可能エネルギー分野において農林地の転用需要が増加するなど、課題は各分野に及んでいる。
安全保障を含めたより高いレベルでの国土環境の保全策について、幅広い観点から検討していくことが急務であろう。水循環基本法が、地域の期待に応え、真に機能する法律となるよう、これからが本当のスタートである。
*1 水資源の保全や土地売買に関する国の法整備を求める自治体からの要望は、2010年6月以降、100件を超える。
*2 詳しくは国土資源保全プロジェクトの報告書 『国土の不明化・死蔵化の危機~失われる国土III~』 (2014年3月)をご参照ください。
*3 詳しくは論考 「国は『所有者不明化』の実態と土地制度の不備を直視すべき~なぜ11道県は水源地域保全条例を制定したか?~」 (2013年4月)をご参照ください。