去る2008年1月21日、安田喜憲主任研究員(国際日本文化研究センター教授)は、カンボジア・プンスナイ遺跡にて、カンボジア最古の「水の祭壇」を発見したとする現地記者発表を行いました。当日の記者発表の模様と発掘現場の様子をレポートします。
記者発表開催ポート
安田主任研究員と調査団は、文部科学省科学研究費、東京財団 「文明と環境プロジェクト」 、および経団連自然保護基金の支援により、昨年12月から今年1月にかけてカンボジア・プンスナイ遺跡にて第2回目の発掘調査を実施しました(※)。その結果、アンコール王朝(紀元9~15世紀初頭)が栄える遥か以前の紀元1世紀につくられたと考えられる、漆喰を全面に塗った直径15メートルの祭壇が新たに発見されました。(※第1回目の発掘結果に関する記者発表レポートは こちら )
今回の記者発表は、この祭壇の発見と文明論的意味について実際の発掘現場から発表することを目的とし、当日は気温30度を超える中、発掘された祭壇を前に、日本の報道各社のバンコク支局やハノイ支局から集まった特派員へ詳細な説明が行われました。
今回発見された祭壇は最上部に巨石が置かれており、その間には水を流すための漆喰でできた水路と、四方には水を貯める小さな池があります。記者発表では、調査団の宮塚義人氏(宮塚文化財研究所所長)が実際にこの祭壇に水を流し、当時行われていたと考えられる水を祭る儀礼を再現しました。
安田主任研究員は、こうした水を祭る思想はインドからの伝播である可能性が高いこと、またプンスナイ遺跡からはインド人と見られる人骨やインド産のビーズも出土していることなどから、インドの思想がすでに紀元1世紀にカンボジアに伝播していたのではないかとし、従来の文明史が書き換えられる可能性があることを示唆しました。そして、灌漑による水の循環で知られるアンコールワットの発展の起源には、紀元1世紀にはじまるプンスナイ遺跡の水の文明の伝統があったのではないかと言い、水の危機に直面しつつある21世紀の人類にとって、プンスナイからアンコールワットまで1200年の水の文明の伝統を今後さらに解明し、現在の環境問題解決のための知恵を学ぶことが必要だと指摘しました。(今回の調査では、祭壇の発見のほか、さらに深い階層に大型の墓が存在する可能性も認められ、今後さらに調査が続けられる予定です。)
この記者発表の内容は翌22日のNHKニュースや新聞各紙で報道されたほか、共同通信を通じて日英両語で配信されました。
発掘現場の様子
今回の記者発表が行われたプンスナイ村は、カンボジア北部の都市シェムリアップから国道6号線を北西に車で約2時間半走ったところにあります。シェムリアップ付近ではきれいに舗装されている道路も、街から離れるにつれ赤土がむきだしの土煙の舞う道に変わり、車は激しいでこぼこ道をひた走って村に到着します。
安田主任研究員をはじめとする調査団の一行は毎朝6時前に宿泊先のゲストハウスを車で出発します。途中、遺跡付近の食堂でカンボジア式の温かい麺の朝食をとり、遺跡へ移動。すでに到着しているプンスナイ村の人々とともに7時から発掘作業を開始します。午前中は11時まで作業を行い、その後、午後2時までの一番暑い時間帯は休憩。午後2時から4時まで再び地道な発掘作業が続きます。今回の発掘では、毎日数十名の村人が炎天下のもと、連日作業を行っていました。調査団メンバーの指示のもと、まず小さなシャベルで丁寧に遺跡の土を掘り返していきます。掘った土はすべてかごに入れて地上へ渡し(同中央)、ざるの中で水で洗って漉し、ビーズや米粒などの細かな出土品が含まれていないかを調べます。
こうした一連の作業はまさに調査団と地元の人々との共同作業であり、地元の人々の理解と協力なしには成り立たないものです。調査団の先生方は村長の娘の結婚式に招かれるなど、村の人々と信頼関係を築いており、村の人々がとても楽しげに発掘作業に協力しているのがなによりも印象的でした。
今回の発掘現場からは、1970年代にポル・ポトによって虐殺された人たちの遺体が10体ほど見つかっており、そこには土を被せて水とタバコが供えられています。カンボジアではポル・ポトによる大虐殺によって多くの知識人が虐殺され、教育制度も壊滅的な打撃を受けました。今回の発掘調査では、そうした背景も勘案し、プノンペンから学生数名を研修生として招いて発掘調査に参加させるなど、人材育成や調査技術の伝播も行っています。日本政府はカンボジアに対しこれまで多額のODAを提供してきていますが(2007年度無償資金協力約52億円、有償資金協力10億円)、こうした発掘調査のような息の長い学術協力も、彼らの文明史を明らかにし蓄積していくという点で、カンボジアの人々にとって極めて大きな意味があると思われました。
安田主任研究員は、「環境考古学とは過去から現在を見通し、未来を予測するもの」であると言います。そして、その基盤となるフィールド調査の現場は、自然の中で丁寧に土を掘りおこす、まさに千里の道を一歩ずつ、過去の叡智を求めて進んで行くものでした。現代のわずか1世紀にも満たない大量生産・大量消費型の生活の結果、地球環境問題が急速に深刻化している現在、こうした長い時間軸で今を捉え今後を考えていく視点は、日々の政策議論の根幹として忘れてはならないものであると思われました。
<報告:政策研究部 吉原祥子>