グルジア紛争を振り返って
東京財団研究員
関山 健
8月、ユーラシア大陸の東端で北京五輪が世界の耳目を集めるなか、ユーラシア大陸のもう一端ヨーロッパとロシアに挟まれたグルジアでは国際社会に大きな不安を与える事件が起こっていた。グルジア紛争である。
8月7日にグルジア軍と南オセチア軍が衝突を始め、ロシアのプーチン首相が北京で華やかな五輪開幕式に出席していた翌8日には、ロシア軍が紛争に介入し、グルジア領内の軍事拠点への攻撃を開始した。
【グルジア紛争の経緯】
8月7日
グルジア軍が南オセチア自治州・州都ツヒンバリを砲爆
8月8日
ロシア軍がグルジア領内の軍事拠点を攻撃開始。 ⇒ ロシア・グルジア間の紛争勃発
8月12日
グルジアが独立国家共同体(CIS)からの脱退を宣言
8月16日
EU議長国フランスのサルコジ大統領の仲介により停戦合意
8月22日
ロシア政府がグルジアからの軍部隊の撤退を完了したと発表。しかし、ロシア軍は同国西部ポチなどに引き続き駐留
8月26日
ロシアのメドベージェフ大統領が、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州の独立を正式に承認
9月8日
ロシアのメドベージェフ大統領が、サルコジ大統領に対し、アブハジア自治共和国と南オセチア自治州を除くグルジア領内から軍部隊を1か月以内に全面撤退させることを確約
9月12日
ロシア軍がグルジア西部のポチなどから撤退、サルコジ大統領との撤退合意の第一段階を完了
パンドラの箱を開けたのは、国内の親ロシア派独立勢力たる南オセチア自治州とアブハジア自治共和国を武力で押さえ込もうとしたグルジアであるが、そこにロシアが軍事介入して両国の独立を承認する一方、北大西洋条約機構(NATO)がグルジアの支援に回ったことから、事態はロシアと欧米との対立の様相を呈した。
紛争開始から1ヵ月半経った現在情勢は落ち着きつつあるが、グルジアを巡ってロシアと欧米との間の緊張が高まった今回の一件は、さながら「新冷戦の幕開けだ」と見る向きすらあった。
確かに冷戦終結後にも、ボスニア・ヘルツエゴビナはじめ紛争は絶えることなく、アルカイダに代表される国際テロの脅威も強く意識されている。しかし、グルジア紛争に特徴的なことは、これが単なる地域紛争やテロなどの局地的な軍事紛争ではなく、ロシアとアメリカという大国同士の深刻な軍事対立に発展しかねない危険をはらんだ点にあった。
ここで注意を要するのは、日本では、ややもすれば欧米側の視点に立った情報に偏りがちな点である。しかし、現実の国際社会には、水戸黄門のような絶対懲悪の構図はほとんどなく、立場が変われば、善悪も入れ替わるものである。事件の本質を見極めるためには、あえてロシアや中東、さらにはユーラシアの周辺諸国の視点も踏まえてバランスの取れた分析を行うことが必要となろう。
東京財団では、こうしたグルジア紛争の重要性に鑑み、9月に複数の研究会でこの問題を取り上げた。
【ユーラシア情勢ネットワーク】
東京財団「ユーラシア情勢ネットワーク」は、中東、ロシア、中国、インド、アメリカなど、ユーラシアのキープレイヤーの情勢分析を普段から定期的に行い、発信している。
普段は各国・地域それぞれを担当する研究員が独立に分析レポートを執筆しているが、四半期に一度のペースで「オーバービュー・ミーティング」と称して各国・地域の担当研究員が集まりユーラシア全体の情勢について検討している。
去る9月6日に開催された「オーバービュー・ミーティング」では、中東専門の佐々木主任研究員、ロシア専門の畔蒜研究員、中国専門の田代研究員、南アジア・中央アジア専門の益田研究員の参加を得て、メディア関係者、関係官庁、企業関係者など外部関係者もオーディエンスに迎えて、「グルジア紛争が国際社会に及ぼす影響」についてディスカッションした。
ディスカッションに使用した各研究員のレジュメは以下のページに掲載しているので、ぜひ参照願いたい。
<オーバービュー・ミーティング「グルジア紛争が国際社会に及ぼす影響」>
【国連研究会】
また、9月22日には、北岡主任研究員の主宰する「国連研究会」においてもグルジア問題を取り上げ、外務省欧州局参事官の兼原信克氏よりグルジア問題の最新情勢について報告をいただいた。
振り返れば、ロシアのプーチン首相が「孤立を恐れない」と発言する一方、アメリカのライス国務長官は「自ら招いた孤立の代償はとても大きい」と応じるなど、舌戦こそ激しかったものの、アメリカとの衝突へ本気で突入していく覚悟がロシアにあったとは考えにくい。
ロシアが求めているのは、かつての冷戦のように世界を2つのグループに分けて欧米との決定的に対立するような状況ではなく、冷戦終了後に米国一極主導で進められてきた国際秩序を修正して国際社会を多極化し、そこへロシアが重要なプレーヤーとして参加することにある。メドベージェフ大統領が提案している新欧州安保条約は、そうしたロシアの国際戦略の表れと言えよう。
確かにロシアからしてみれば、1999年のNATOによるユーゴ空爆以来、3次にわたるNATOの東方拡大、イラク戦争、米ミサイル防衛施設の東欧配備計画、コソボ独立承認まで、一貫して自国の勢力圏の縮小と安全保障環境の悪化を欧米に強いられてきた形である。
かつて旧ソ連の勢力圏であった東欧がNATOに加盟し、米国ミサイル防衛施設のポーランド配備が現実味を帯び、さらに旧ソ連を構成していたウクライナやグルジアまでも欧米の仲間入りをしようとしているなか、そのグルジアによる親ロシア派独立勢力の南オセチア攻撃に際して、ロシアとしては断固たる措置を採らざるをえない状況に追い込まれていた。
しかしロシアとしても、欧米と本気で軍事衝突するだけの力もなければ、そのリスクを負って得られる利益もない。
あくまで国際秩序形成におけるロシアの重要性について世界に再認識を迫り、世界の一極として国際社会へ復帰することがロシアの思惑と解釈すれば、グルジア紛争をめぐる欧米との対立は1ヵ月間という限定的な軍事介入と激しい舌戦で効果は十分であり、EU議長国フランスのサルコジ大統領が仲介の労をとってロシアの顔を立てた以上、手のひらを返したように協調的な姿勢を見せるメドベージェフ大統領やプーチン首相の言動も理解ができる。
ブッシュ米大統領の「ロシアとの関係を見直す」との発言は、ロシアからすれば思惑どおりに事が進んだことを意味するものであったろう。さらに、「ロシアは対立と孤立を恐れない」というイメージを国際社会に与えることに成功したとすれば、WTO加盟交渉をはじめとする今後の国際交渉条件は多少なりともロシアに有利になったとも評価しえる。
ただし、今回の一件を巡るロシアの行動において、欧米との緊張が当初当事者すら意図しなかった衝突へと偶発的に転じる危険性があったことを、我々は忘れてはならない。
そもそもロシアが表面上にせよ孤立を恐れない態度を取ることができたのは、既存の国際的な相互依存関係にロシアを十分取り込んでこなかったためである。したがって、些細な緊張が偶発的な衝突へとエスカレートすることのないようにするためには、ロシアが「孤立を恐れる状況」を作り出して、危険な賭けにはでないように思いとどまらせる国際環境作りが肝要である。
また、欧米側が自由主義や民主主義というイデオロギーを強調したグルーピングで台頭するロシアを今後封じ込めようとすれば、まさに冷戦の再燃となる可能性を否定できない。
もはや既存の国際秩序の修正と少しでも有利な形での国際社会への復帰を強く意識するようになったロシアとの交渉は相対的に厳しさをましているが、それでもロシアのWTO加盟、経済改革の支援、貿易投資の促進などに日米欧が足並みそろえて取り組み、1日も早く、また少しでも深く、ロシアを国際相互依存の網に取り込んでいくことを強く期待する。