鶴岡路人 研究員
過去10年あまりの間に、自衛隊の国際活動の文脈で日欧間のオペレーショナルな協力の経験が積み重ねられ、さらに安倍政権の「地球儀を俯瞰する外交」によって、価値を共有するパートナーとしての欧州への着目が高まっている。
これら、前回の (1) でみてきた状況に加え、具体的協力に関する新たな展開として注目されるのは、情報保護協定の締結と防衛装備品協力である。今回は、それらを概観したうえで、具体的な協力案件から一歩離れ、そもそも日本の視点で欧州との関係はどのように捉えられるのかという、知的な基盤を改めて検討してみることにしたい。
協力の潤滑油としての情報保護協定
日欧間の政治・安全保障協力を今後さらに進める上での体制づくりとして注目されるのが、情報保護協定である。日米間の軍事情報保護協定(GSOMIA)が2007年に締結されて以降、同種の協定は、豪州(2012年)以外は、NATO(2010年)、フランス(2011年)、英国(2013年)と欧州との締結が続いている。これに、イタリアとドイツが続くとみられている。EUとの間でも締結が議題にのぼっている。
日本にとって初めてのこの種の協定となった日米や、署名が複数回にわたって延期されている日韓についてはメディアの注目を浴びてきたが、NATOを含め、欧州との協定はこれまで一般にはあまり関心を持たれてこなかったのではないか。
情報保護協定は、必要な際に機密情報の交換を可能にする枠組みであり、これによって自動的に情報の共有が行われるわけではない。しかし、協定があることにより、文書での受け渡しといった、より正式な情報共有が可能になり、各種のやりとりがより容易になるという、潤滑油のような効果がある。また、例えばNATOとの情報保護協定に関しては、協定を有することが特別なわけではなく、他のパートナー諸国がNATOと当然に締結しているものを日本も締結することで、ようやく同じスタートラインに立つという側面もあった。
新たな可能性としての防衛装備品協力
もう一つの新たな展開は、防衛装備品に関する協力である。これは、2011年12月に、当時の野田佳彦政権の決定によって、武器輸出三原則等が事実上緩和されたことにより、大きなアジェンダになったものである。これにより、防衛装備品の国際的な共同開発・生産に日本が参加できるようになった。共同開発・生産は、それまでも日米間では行われてきたため、今回の三原則緩和が意味するのは、欧州諸国との新たな協力の可能性である。
日本政府は、「我が国との間で安全保障面の協力関係」がある諸国と協力するとしている。これにどの国が含まれるかは明示されていないものの、米国や豪州を除けば、その多くは欧州諸国(特にNATO諸国)であることは明らかである。実際、英国との間では、前回触れたとおり、2013年7月に装備品協力のための枠組み協定が締結され、さらに、化学・生物防護技術に関する共同研究が合意された。日本にとっては、共同開発の成果物の第三国移転の規制が焦点だったが、英国との間での枠組み合意は、今後、その他の諸国との協力のモデルになるものと見られている。
なお、装備品協力を進めるにあたっては、情報保護協定が(不可欠ではないものの、)必要となる場面が多く、この2つはパッケージと捉えることもできる。そのため、日本との装備品協力に関心を有する諸国は、情報保護協定の締結にも熱心だという基本的構図になっている。
防衛装備品協力は、今後日欧の安全保障関係の大きな柱に成長する可能性があるが、ほとんどゼロからの出発であり、少なくとも短期的に大きな成果を期待するのは現実的ではない。また、日英間においても、日仏間においても、装備品協力のみが突出することは、バランスの観点からも好ましくないだろう。実際、最初から野心的になるのではなく、まずは小さなプロジェクトから始めてみるというのが、日本側のアプローチである。戦略対話を含め、政治・安全保障面での相互理解と連携の度合いが全体として高まるなかで、装備品協力が進展するというのが自然な流れだといえる。
この点と関連して指摘すべきは、欧州の防衛産業によるアジア市場への関心の増大である。欧州諸国の国防予算が削減されるなかで、成長を続けるアジア市場の重要性が高まっているのである。そうしたなかでは、日本も、共同研究・開発のパートナーであるとともに、欧州防衛産業によっては輸出市場との側面も強い。また、欧州からの武器輸出について、日本ではEUの対中武器禁輸措置の解除問題や、禁輸措置下での輸出事例が大きな関心を集めるが、戦略的にも意味を持ち始めているのは、東南アジア各国への武器輸出の拡大である。これに対しては、中国が懸念を表明しているとも伝えられている。
また、装備品に関しては、欧州において国境を越えた防衛産業の再編や、NATOにおけるスマート・ディフェンス構想、EUの「共有と共用(pooling and sharing)」等、多国間協力の側面が拡大している点にも注意が必要である。そのため、装備品協力も、将来的には、日英や日仏といった二国間の枠組みを超えて、多国間のものになる可能性が高い。その場合、標準化や相互運用性を含め、調達に関する多国間協力の枠組みを提供しているNATOや、EUにおいては欧州防衛調達庁(EDA)との協力を、今後はより正面に据える必要がでてくるのであろう。また、米国を含めた日米欧協力に発展することも考えられる。
米国の代替ではない欧州
多分野での協力の進展がありながら、しかし、外交・安保の専門家の間ですら日欧関係への関心がなかなか高まらないのも、また厳然とした事実である。そして日欧協力への懐疑的な見方が依然として根強い。そのため、以下では、日欧関係の意味するものを改めて検討したい。
日欧関係において日本が期待するもの、目指すものを整理することとは、「何を期待しないのか」、あるいは、「日欧協力は何でないのか」を明確にする作業でもある。というのも、日欧関係への懐疑論として必ずといってよいほど提起されるのが、「日本にとって最も重要なのは日米関係である」といった声や、「欧州はアジアに関係ないのでは」という疑問だからである。しかしこれらは、日欧関係を議論する出発点として適しているとはいえない。
まず、日米同盟が重要であることは論を俟たない。ここで重要なことは、日米関係と日欧関係は全く相反しないことである。相互に排他的なのではなく、相互に補強し合う関係にある。日本が関係を強化しようという欧州諸国の多くはNATOにおける米国の同盟国である。しかもそこには、米国と最も緊密な同盟国とされる英国も含まれている。さらに、例えば日NATO関係を最も強力に推進してきたのは米国である(なお、NATOは米国を中心とした同盟であり、NATOとの関係を対欧州関係の枠で捉えることの多い日本は、それだけでも特殊だといえる。米国以外のNATO加盟国にとってはもちろんのこと、他の多くの国にとっても、NATOとの関係は基本的に対米関係に位置付けられている)。日本にとって日米協力だった自衛隊のイラク派遣で、実際に現地で協力したのが英国軍やオランダ軍だった事実は、日米協力と日欧協力の相互補強的な関係を雄弁に語っている。
つまり、日欧協力の役割は日米同盟の代替ではなく、その補強ないし補完だといえる。そもそも代替でない以上、欧州に米国と同じ役割を期待する必要はなく、それが不可能だからといって欧州との協力の意味を否定することもないのである。今後とも、日本の安全保障にとって最も重要なのが米国との関係であり続けることは確実である。
しかし、そのことと、複雑化する世界の中で日本の国益を守るにあたり、より多くのパートナーを確保しようと考えることは、全く矛盾しない。日本の置かれた国際環境においては、米国との協力のみでは不十分、ないし米国との協力が困難という場面も存在する。その際に、価値を共有する欧州との協力が有力な選択肢になるわけだが、それを確実なものにするためには、日頃から欧州に関心を払い、相互の理解を高めておくことが必要である。
アジアにおける欧州の役割――リトマス試験?
アジアにおいて欧州が果たせる役割についての懐疑論は、より慎重な検討が必要かもしれない。一部は無意識かもしれないが、欧州がアジアにおいて意味のあるパートナーか――「matter」するか――否かを判断するにあたって、日本人の多くは、(1)「欧州はアジアの政治・安保情勢を理解しているか」、(2)「武力紛争が勃発した際に欧州は(軍事的に)助けてくれるのか」というリトマス試験を課しているようにみえる。これらの問いへの答えは、おそらくいずれも「ノー」であろう。その結果、「だから欧州など重要でない」との結論になっているケースが多そうである。これら二つの問いへの答えが「ノー」であることは否定し得ない。しかし、そこから導き出す結論については再考が求められる。
上記(1)については、「ノー」だからこそ欧州と対話を深めることで認識共有のための努力をする必要がある。日本にとって、欧州との戦略・安保対話の重要な目的の一つは、まさにこれである。逆の視点で考えれば、日本は、欧州内部や欧州の周辺地域である中東やアフリカの情勢を、欧州ほどに理解していないケースが多いであろう。知識と認識にはギャップがあるのが当然であり、それゆえ対話が必要なのであって、ギャップがあるから対話ができないのでは自分の利益にもならない。日本が対話努力を放棄するのであれば、欧州へのインプットにおいて、その隙間を埋めるのは他国ということになろう。その国が、日本と同じ価値を有している保証はどこにもないのである。
また、上記(2)について、欧州がアジアの武力紛争に介入する意思を欠いているであろうことは、おそらく疑いない。しかし、日本はこの地域で武力紛争を現に戦っているわけではないし、何より日米同盟が存在する。そのため、欧州の軍事的支援に頼らなければならない状況にはないし、期待もしていない。それにもかかわらず、軍事支援が得られそうにないために欧州を軽視するというのは、あまり論理的ではない。事態の不測のエスカレーションによる局地的な武力衝突の可能性は常に存在するものの、東アジアを舞台に、しかし実際には世界規模で展開されているのは、国際世論をめぐる争いであり、外交戦である。
その際に、欧州諸国の影響力は依然として無視できない。欧州を拠点にする国際メディアの影響力もさることながら、安全保障の観点では、英国とフランスが国連安全保障理事会の常任理事国のポストを占めている点も意味を持つ(なお、非常任理事国に関しても、「西欧その他」の枠で2国、「東欧」で1国が確保されており、「東欧」についても、近年ではNATOやEUの加盟国が選出される比率が高まっている)。尖閣諸島を巡る問題でもその他の問題でも、欧州を味方につけておく、少なくとも日本と立場の異なる側に追いやらないことが日本の国益であろう。その際に欧州に期待するのは、政治的な理解や支援であり、軍事支援ではないのである。
欧州の側にとっても、EUが中国の最大の貿易相手になったことに象徴されるような、アジア太平洋地域における巨大な経済的プレゼンスとどのように向き合うかという課題がある。その基礎に存在するのは、それだけの規模の経済的プレゼンスには、意図するか否かにかかわらず、政治的インプリケーションが伴うという現実であり、それを意識するとともに、どのように建設的に活用できるかが課題となる。これまでのところ、それに成功していたとはいい難い。アジアにおける経済のみではない欧州の役割を、日本やその他の地域の諸国にどのよういアピールできるか、アジアが興隆するなかで、欧州にとっても正念場である。
欧州における中国への関心の拡大と日本
上述と関連して、もう一点検討が必要なのは、「欧州の関心は中国だ」、「日本への関心など低い」との、日本におけるシニカルな見方の台頭である。欧州に限らず、世界中で日本への関心が相対的に低下し、中国の比重が上昇していることは否定し得ない。これに日本人として危機感を持つことは、おそらく正しい反応だが、欧州の日本への無関心を、日本の欧州への無関心の「言い訳」に使うのは非建設的ではないか。日本が欧州に関心を払うのは、欧州のためではなく、日本のためだからである。
加えて、欧州において中国への関心が高まることは、日本にとってはチャンスでもある。その前提には、中国に関心を払うのは、「問題があるから」だという現実がある。つまり、中国が好きだから中国の議論をするのではなく、解決を要する問題があるから対応せざるを得ないのである。しかも、欧州の中国認識は、過去数年で大きく変化している。2004-05年にかけて、EU内で対中武器禁輸措置の解除に向けた動きが進んだ際は、経済的利益の拡大に目がくらんでいたというのがEUの姿であった。しかしその後、通商摩擦や知的所有権を巡る紛争を数多く経験し、経済面でもより現実的になってきた他、人権問題、チベット問題等の政治問題に加え、海洋進出に代表される安全保障問題でも、近年の中国の行動への違和感、さらには懸念が高まっている。価値を共有しない異質な大国を、等身大で見るようになったと言える。
それでも、中国との関係の蓄積という面では、欧州は後発であり、試行錯誤を繰り返しているのも現実である。そのようななかで、日本が、中国に関する「セカンド・オピニオン」を提供すると同時に、地域における価値を共有する信頼できるパートナーとして、欧州の対中関係を側面支援できるような役割を果たすことができれば、日本の価値は上昇し、それは、日本の視点のインプットという観点で日本にとっても有益である。
第二次世界大戦後の日本は、欧州において全般的にアジアへの関心が低いなかで自らをアピールしなければならなかった時代が長かった。今日では、たとえ中国が議題の中心であったとしても、欧州においてアジアへの関心が高まっている結果、日本からの発信への需要は高まっている。このチャンスをどう捕えられるか、日本にとっては大きな課題である。
これらを踏まえた上で、次の最終回、(3)では、再び日欧協力の具体論に戻り、今後の方向と可能性を検討することにしたい。
以下、 (3) に続く。