[特別投稿]長尾 賢氏/東京財団アソシエイト
インドが変わり始めている。5月の政権交代以来、経済は好調で、国防費も12.5%増えることが決まった。ナレンドラ・モディ新首相の下、様々な改革が進んでいる。いい傾向だ。
だが、気になることもある。政権与党となったBJPが選挙期間中に発表した公約には、核ドクトリンの変更が明記されている。インドは、敵が核攻撃をしてこない限り、インドは核攻撃しない、という先制不使用を掲げてきた。そこを変えるかどうか、注目を集めた。
実際には、報道が出た直後、BJP党首が、先制不使用を変えないことを明言している。では他にどこが変わるのだろうか。そもそもなぜ変えるのだろうか。本稿は、インドの核戦略が直面する問題を整理することにした(注1)。
(注1)本稿における「核戦略」とは、核ドクトリンを含む核兵器関連の運用全般を広く指す言葉として用いる。
1.2003年ドクトリン
インドの現在の核ドクトリンは2003年1月に発表されたもので、だいたい次のような内容である(注2)。
- 1. 必要最小限の核抑止を目指したものであること
- 2. 領土ないし軍が核攻撃を受けない限り、使用しないこと(先制不使用)
- 3. もし核攻撃を受けたら、大量の核兵器で報復すること
- 4. 核司令部を通じて、文民の指導のもとで運用すること
- 5. 非核保有国へは使用しないこと
- 6. 化学・生物兵器による攻撃に対しては、核兵器で報復する可能性があること
- 7. 核兵器を拡散させないよう厳しく管理し、核物質管理の交渉に参加し、核実験を凍結(核モラトリアム)すること
- 8. 核廃絶に努力すること
(注2)インド政府のプレスリリース(2003年1月4日)(http://pib.nic.in/archieve/lreleng/lyr2003/rjan2003/04012003/r040120033.html )
2.9つの問題点
しかし、インドの核戦略には、少なくとも9つの問題がある。1つ目は、中国に対して十分な抑止力を発揮できるか、という問題だ。中国は通常戦力(核兵器、生物兵器、化学兵器以外の戦車や軍艦、飛行機などを指す)ではインドを上回っている。だから中国が攻めてくることを想定したら、インドは負けてしまうかもしれない状況だ。これでは中国が「勝てる」と思ってしまい、十分な抑止力にならない。だから、インドは通常戦力で負けそうになったら核攻撃するぞ、と脅しておきたい。ところが、これは現在の核ドクトリンと矛盾する。核ドクトリンでは、核攻撃を受けない限り、先に使用することはない、と述べている。中国が核兵器を使っていないのに、インドは核兵器を使うことを宣言するためには、核ドクトリンを変えなければならないことになる。
2つ目はパキスタンに対して十分な抑止力を確保できるかだ。インドとパキスタンの場合は、インドの通常戦力の方が強い。だから、戦争になると、インドがパキスタンを圧倒する可能性もある。その時パキスタンが核兵器を使うかもしれない。インドとしては、パキスタンの核兵器を使えないようにしたい。そのためには、もしパキスタンが核兵器を使った場合、インドが必ず報復するので、パキスタンは核兵器を使うことができない、という状態にしたい。
ところが状況によっては、パキスタンが核兵器を使っても、インドは報復できないかもしれない。例えば、インド軍がパキスタン軍を圧倒し、パキスタン国内に進撃したとしよう、その時パキスタンはどのように核兵器を使うだろうか。パキスタンが、インドの都市、例えばデリーを狙って核兵器を使うとは限らない。パキスタン国内に入ってきたインド軍に対して、パキスタン国内で使うかもしれない。そうしたら、インドはどう報復したらいいだろうか。現在の核ドクトリンによると、もし核攻撃を受けたら、大量の核兵器で報復する、といっている。だとしたら、パキスタンがインド国内に対して核兵器を使っていないのに、インドはパキスタンの国内を大規模に核攻撃するのだろうか。もしパキスタンが核兵器を使っても、インドは核兵器を使わないならば、パキスタンの核兵器使用をどうやって抑止するのだろうか。現在の核戦略は明確に示すことができていないのだ。
さらに、3つ目の問題がある。パキスタンの新しい核兵器に対する抑止力が必要とされているのだ。新しい核兵器とは、パキスタンが最近開発している小さな核兵器、戦術核のことだ。これは2001年におきたインド国会襲撃事件の後、開発がすすめられてきたものである。どういう経緯かというと、以下のような説明になる。
インド国会襲撃事件の後、インドはパキスタンへの軍事攻撃を考えた。インド国内でテロ活動を行っている組織は、パキスタン国内に拠点があり、パキスタン政府から支援を受けているものと考えられたからだ。しかし、もし大規模な戦争になった場合、パキスタンと核戦争になってしまうかもしれない。
そこでインドは新しい戦略を考えた。「コールド・スタート・ドクトリン」とも呼ばれている戦略だ。これは、パキスタンが支援しているテロ組織がインドでテロ活動を行った時、パキスタンを限定攻撃するものだ。限定攻撃なので、パキスタンが核兵器を使う可能性が低い。そして、もしパキスタンが、テロ支援はインドの限定攻撃を招くことを認識すれば、パキスタンはテロ支援を止めるかもしれない。インドは、そう考えたのである。 しかし、パキスタンは対応策として、戦術核の開発を始めた。戦術核であれば威力も小さいから、インドの限定攻撃に対しても使うことができる、という発想だ。パキスタンの戦術核使用に、インドはどう対応したらいいだろうか。現在のインドの核ドクトリンには、核攻撃を受けたときは大量の核兵器で報復することが書いてある。そんなことが可能だろうか。不可能だとしたら、どうやってパキスタンが戦術核を使用するのを阻止できるのだろうか。インドの核戦略は答えを見つけなくてはならない。
4つ目は、パキスタンが核兵器ではなく、化学兵器や生物兵器を使った時だ。インドの核ドクトリンでは、化学兵器や生物兵器の攻撃に対して、核兵器を使って反撃すると書いてある。化学兵器や生物兵器による攻撃は核攻撃ではない。それに反撃する目的でインドが核攻撃すれば、パキスタンが核兵器を使っていないのに、インドが先に核兵器を使ったことになる。これはインドの核ドクトリンにある、核兵器の先制不使用に反するのではないか。
5つ目は、ミサイル防衛の位置づけである。インドでは現在、敵の弾道ミサイルを迎撃するシステムの開発が進められ、一定の成果が上がり始めている。迎撃システムは大きく二段階で開発が進められている。一段階目は射程1500kmのミサイルを想定しているので、パキスタンの弾道ミサイルの迎撃を想定しているものと見られている。二段階目は射程5000kmのミサイルを想定しており、中国の弾道ミサイルの迎撃を想定しているものと見られている。実験は成功しつつある。もしインドがこれらのミサイル防衛システムを配備すれば、首都など特定地域に対する小規模な核攻撃は防ぐことができるかもしれない。特定の地域だけでも、核戦略全体に影響することになる。
例えば、今、アフガニスタンからNATO軍が撤退しつつある。撤退した後どうなるだろうか。もしタリバンやアルカイダ等の過激派がアフガニスタンで力をもりかえし、パキスタンでも力をつけ、最悪の場合、パキスタンの核ミサイル基地を占領するかもしれない。そのような事態になったら、過激派は核ミサイルをインドに対して使うかもしれない。その時、もしインドのミサイル防衛網が整っていれば、発射される過激派の核ミサイルは少数だから、全部迎撃可能かもしれない。
しかし、ミサイル防衛システムは核戦略だけを担当する武器ではない。より戦術的な任務がある。例えばインド海軍はミサイル防衛を必要とするかもしれない。今、中国は対艦弾道ミサイルを開発している。この弾道ミサイルは、通常弾頭で空母を沈めるもので、核弾頭ではない。インドの空母の母港も射程内に入っている。弾道ミサイルを迎撃するシステムが必要だ。 だとすると、このミサイル防衛システムはインドの核戦略のどこに位置づけられ、だれが指揮するべきものだろうか。
6つ目は、新たに配備される装備の問題である。例えば、インドの核兵器は地上に配備された弾道ミサイルが中心だった。だから、陸海空軍とは別に戦略軍コマンドを創設し、弾道ミサイルはその指揮のもとにある。しかし、実際には、空軍の指揮下にある戦闘機も核兵器を運搬できる。さらに、今年か来年には、海軍の指揮下に弾道ミサイルを搭載した原子力潜水艦(戦略ミサイル原潜)が加わる。だから戦略軍コマンドの指揮の下に、戦闘機や戦略ミサイル原潜も加えるべきだとの議論が出ている。しかし、加えてしまえば、他の任務はできなくなる可能性がある。戦闘機には戦術上の防空や爆撃の任務がある。戦略ミサイル原潜の場合は、護衛の原潜も含めたグループで行動するから、多くの原潜がかかわる。それらを戦術任務から外せば、通常戦力は大きく低下することになろう。どうすべきか、インドの核戦略は明確にしなければならない。
また、戦略ミサイル原潜には別の問題もある。どうやって本国との連絡を維持するかという問題だ。戦略ミサイル原潜の任務は、インドが核攻撃を受けた時に核兵器で報復する体制を整えておくことだ。そしてその任務を帯びたまま、護衛の原潜と共に、海の中で待機する。もし、突然、インド本国と連絡がとれなくなったらどうするのか。もしかしたらインドが核攻撃を受け、連絡がとれなくなったのかもしれない。その場合は核兵器で報復するのが任務だ。でも、ただの事故で、待っていれば連絡がとれるのかもしれない。どうしたらいいだろうか。インドは戦略ミサイル原潜との連絡を継続しなければならい。
インドは昨年、インド洋の広い範囲をカバーできる通信衛星を打ち上げた。今後は、戦略ミサイル原潜がインド洋の広い範囲を活動するようになっても、通信可能である。しかし、人工衛星は戦時に真っ先に攻撃される。攻撃されれば通信できなくなるかもしれない。戦略ミサイル原潜の指揮系統をどうするのか、インドは答えを出さなくてはならない。
7つ目は指揮系統の問題だ。インドの核兵器の使用は、核司令部が判断する。核司令部には政治委員会と執行委員会があり、執行委員会が情報を集め、政治委員会が決定し、執行委員会が実施するプロセスになっている。問題は、執行委員会では軍人もメンバーに含まれているが、政治委員会のメンバーには軍人がいないことだ。核ミサイルの発射という軍事的な色彩の強い決断について、軍事的な専門知識を欠いたままの決断にならないか、問題点が指摘されている。文民主導の指揮系統と軍事的専門知識のバランスが問われている。
8つ目の問題は、今後、インドは核実験凍結を維持できるかどうかだ。インドの核兵器は、1974年に1回、1998年に5回、計6回の実験をしている。しかし、どんな機械も、動くかどうか時々テストしなければならない。米英仏露中各国は、膨大な核実験のデータを保有しており、シュミレーションを行って維持管理している。インドも同じことを行っている。しかし、インドはたった6回しか核実験をしていないので、十分なデータがあるのか、不安がある。今後、インドが核実験を再開する時期がくるようであれば、世界的に大きな問題となろう。
9つ目の問題は、インドがいつ核拡散防止条約(NPT)や包括的核実験禁止条約(CTBT)に署名するかだ。前のマンモハン・シン首相は2008年にCTBTには入らないことを明言していた。 なぜ入らないのか。インドがこれらの条約に対して非常に悪いイメージをもっているのは、過去の経緯をみれば容易に理解できる。1964年に中国が核実験をしたとき、日本もインドも核保有について検討を行った。日本は西ドイツと協議し、独自開発も検討した。そして結局は、アメリカが核の傘を提供することに合意して決着をみた。 実はインドも同じ時期に同じような検討したのだ。しかし、インドの場合は、米ソ英仏等に核の傘の提供をもとめ、そしてそのすべてから断られてしまった。だからインドは独自の核兵器開発を選んだ。
こうした経緯があるので、インドのNPTやCTBTに対する認識は、核兵器を保有する5か国が自分たちだけ核兵器を保有し、他の国の核兵器保有は阻止するための枠組みであり差別的なもの、という認識がある。いわゆる「核のアパルトヘイト」論だ。だから、加わる気にならない。
ただ、この「核のアパルトヘイト」の論理からすれば、世界中の国が平等に核兵器を持つ状態になってしまう。それがいい世界だとは、到底思えないし、インドがそれを目指しているとは思えない。インドの核ドクトリンにも、核兵器を拡散させないようにする意志が盛り込まれている。だから、もしインドがNPTやCTBTに入るならば、世界各国はインドを責任ある核保有国として「正式に」認めるようになろう。それはインドの国益にも沿うはずだ。核兵器保有国として歴史が長くなるにつれ、いつか、インドが核不拡散体制により深くかかわるべき時期がくるかもしれない。
3.「劇的な変化」というより「更新」にとどまる可能性
こうしてみてみると、インドの核ドクトリンには、まだまだ明確にしなければならない側面がたくさんある。だから、インドの新政権が核ドクトリンの改訂を公約にかかげたのはある意味当然といえる。
問題はどこを変えるかだ。もし先制不使用や核実験凍結の方針を変えるようであれば、世界のインドを見る目は厳しくなることが予想される。ミサイル防衛や戦闘機、戦略ミサイル潜水艦、指揮系統における軍事的な専門知識に利用について変えることがあれば、これは核ドクトリンの「変化」と呼ぶよりは、時代の変化に合わせた「更新」と呼ぶべきで、政治的な影響は小さいものになろう。そして、もしNPTやCTBTに入るとすれば、インドの国際社会における地位を上げることにつながることが予想される。また、たとえNPTやCTBTに入らなかったとしても、今後、インドが国際的な核不拡散の努力により協力的に取り組む可能性はあり、そこはよい傾向といえる。
今後、インドの安全保障専門家の間で、核ドクトリンの変化について具体的な議論が深まっていくことが予想される。日本としては、その議論を注視し、新政権の核ドクトリンの変化を正確にとらえる必要がある。