東京財団研究員 長尾 賢
東京財団プロジェクト「勃興するインド―日印協力のアジェンダ―」では、日印間の安全保障協力のためにどのような具体案があるのか、という問題意識のもと、山口昇国際大学教授、伊藤融防衛大学校准教授、長尾賢東京財団研究員の3名で、2016年3月にインドにおける現地調査を行った。この間、ニューデリー所在のシンクタンク関係者の中に保守的で現状維持志向の考え方が散見されたのに対し、ナレンドラ・モディ政権の実際の政策はむしろ進歩的であるとの印象を持った。すなわち、モディ政権として昨年12月以降は、アメリカとの協力関係構築に向け大きく舵を取っているように見える一方で、デリー所在のシンクタンク関係者の中に、従来からの「非同盟」路線、言い換えれば、アメリカとの関係を重視すべきでないとの主張が散見されたのである。そこで本稿では、まずモディ政権の下で昨今進む米印関係の動向を観測し、その上で、シンクタンク関係者にみられる非同盟路線との相違を考察、モディ政権の政策決定過程について考察することにした。
1.モディ政権の実際の政策:進む米印連携
インドの日米への接近は、ここ数年、目に見える形になってきている。例えば武器取引は、修理部品供給の関係から、輸入国と供給国の関係の深さを示す指標になりえる。ストックホルム平和紛争研究所によると、2014年にインドがアメリから輸入した武器の金額は2012年に比し倍以上の額に増加している(詳しくは「米印関係の問題点と日本の役割」( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=946 ))。
しかも米印関係強化の動きは、昨年12月以降さらに加速化している。印国防大臣の訪米、米太平洋軍司令官の訪印、米国防長官の訪印、印陸軍参謀長の訪米など、毎月のように双方の高官が行き来し、協議を重ね、具体的な協力事案を検討しているのだ。検討されているのは、南シナ海やインド洋を念頭に置いた海洋安全保障協力、関係促進のための兵站や通信の相互運用の協定、武器の取引である。特にインドが建造計画を進める国産原子力空母ヴィシャルの建造に対して、アメリカが提供することが計画されているカタパルト(航空機を急速に加速して離艦させる装置)や、空母用の早期警戒管制機(大型のレーダーを積んで航空作戦を指揮する航空機)は、技術的に高度なものである。中国が同様のシステムを保有する水準に至っていないことを考えると、米印の関係が重要であることを示す指標となりえる。
今回ニューデリーにおける有識者との意見交換に際しても、このような米印関係の進展に並行して日印関係を推進すべきとの提案があった。例えば、海洋安全保障協力については、南シナ海問題へ日印両国が積極的に連携してプレゼンスを示すべきであるという提案である。世界問題評議会(Indian Council of World Affairs)ディレクターのパンカジ・ジャ(Pankaj Jha)博士からは、日印両国はすでにフィリピンやベトナムに潜水艦を含む艦艇を寄港させており、両国がタイミングを合わせるなど連携すれば、より効果的に存在感を示すことができるとの提案があった。また、南シナ海のベトナムの島々などで、通信インフラの開発を進め、海洋における状況認識強化のためのインフラ建設などにおいても日印両国は連携できるとの提案もあった。2年前にマレーシア航空機が行方不明になった事件に際し、地域内のレーダー網、通信網のインフラ整備の必要性が認識された。このようなインフラ整備において日印が協調しつつ地域全体に貢献すれば域内の安全に資するし、同時に、中国の南シナ海における人工島の建設などに対する対抗措置としても有効である。南シナ海問題に日印両国が深く関与することは、米国が強く望んでいることと考えられ、米印協力の分野もさらに拡大する効果を生じさせ得るものである。
日印の防衛装備協力という文脈の中でも米国の要素がある。例えば、インド防衛研究所(Institute forDefence Studies and Analysis)やオブザーバー研究財団(Observer Research Foundation)での研究会においては、現在進められている日本のUS-2救難飛行艇の輸出に関する交渉に関し、救難飛行艇以外のシステムも含め、より広いコンテクストで防衛装備・技術の供与について議論すべしとの見解が示された。仮にシステムを構成する米国製部品の関係で、米国の認可が必要ということであれば、日米印の兵器技術協力にすべきであるとの提案があった。救難飛行艇だけでは不十分というのは、特に戦闘用の正面装備を欲するインド側の事情であるが、そのために日米印の枠組みで武器取引をしようという提案は、現在の米印関係を反映した発想といえる。米印関係がよく、今後もさらに良好になると予想されるがゆえに、日米印という枠組みを積極的に活用しようという発想が出ていると考えられる。インド陸軍のシンクタンク、陸上戦闘研究センター(Center for Land Warfare Studies)では、もはや同盟はタブーではないとの発言もあり、日米印の関係進展に、かなり積極的な雰囲気が感じられた。
2.一部現地専門家の意見:対米依存への警戒感
一方、インドは伝統的に自国が主導権をとる外交を重視している。インド防衛研究所やオブザーバー財団、デリー政策グループ(Delhi Policy Group)での研究会においては、その傾向が強く感じられた。
日本側もインド側も、地域における米中のミリタリーバランスの変化が地域情勢に大きな影響を与えているとの認識を共有している。また、そのためにこれまで日米、米豪、米韓といったアメリカとの2国間同盟を中心とするシステム、いわゆる「ハブ・アンド・スポーク」システムにかわる、新しい安全保障システムが必要である点でも一致している。アメリカを中心とするシステムは、その軍事力が十分に強大であるとの認識の下で機能する。しかし、昨今の情勢は、アメリカの軍事力が十分に強大であるか疑問を生じているからだ。
図:従来型の安全保障システムと新しい安全保障システム
出所:長尾賢「日印「同盟」時代第11回:日豪印「同盟」で日本の安全保障が変わる!」『日経ビジネスOnline』(日経BP社)2015年8月19日
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/261283/081700001/?rt=nocnt
現在、日米をはじめとする各国は、ハブ・アンド・スポークシステムに代わり、2国間、3か国間、より多国間の関係を重層的に組み合わせたネットワーク型の安全保障システムを構想している(図)。これは従来の日米、米豪以外にも、日豪印、印越といったアメリカを含まない安全保障関係まで含めて、多国間でルールに基づく体制を構築し、重層的な紛争予防システムを構築することを狙いとしている。
問題は、インドの有識者がこのシステムについてどのような認識を持っているかであった。例えば、インドの有識者の意見としては、アメリカにあまり依存するべきではないと強く主張する有識者が多数見受けられた。その背景としては、アメリカの影響力が相対的に低下しているというだけでなく、アメリカとしては東欧や中東を含む世界の他の地域における多くの問題を抱えており、アジアに如何ほどの力を集中することができるのか、という疑問がある。また、中央アジアからのアメリカ軍が撤退しているということも、アメリカの影響力の相対的低下を強く印象付けているようであった。中央アジア情勢、特にアフガニスタンからアメリカ軍が撤退すれば、イスラム過激派の力が再び強まり、カシミールに流入する恐れがあるだけでなく、パキスタンそのものの情勢も影響を受ける。パキスタン政府がイスラム過激派との連携を強めれば、インド国内のテロの増加も含め、直接的な影響を受けることになる。そのような時にアメリカとの連携は、どの程度インドにとってプラスなのか、むしろ、アメリカに代わりアフガニスタンで影響力を増すかもしれないロシアや中国との関係もまた重要なのではないか、といった点を勘案すれば、アメリカを中心とする安全保障システムに依存しても、十分な解決策にならない。対米協力に疑問を持つインドの有識者の意見は、このような見方を背景にしたものであった。日米同盟を基軸とする日本から見れば、インドのこのような姿勢は、米印関係の脆弱さを示す面である。
3.モディ政権の政策決定過程に誰がかかわっているのか
今回のデリーにおける調査からは、少なくとも1つ、大きな疑問を生じたといえる。過去半年のモディ政権のアメリカへの急速な接近は、インドが「非同盟」路線を転換し、日米に急速に接近しているように見える。しかもその動きはかなり加速化している。
その一方で、インドの有識者は依然として「非同盟」路線を主張しているようにもみえる。アメリカとの友好関係を進めながらも一定の距離を置き、ロシアとの関係を強め、中国とも程よく外交を行う姿勢である。
これらの点から、モディ政権の政策決定過程に対して、インドの有機者の議論がどの程度影響を与えているのか、との疑問を生じる。過去、インドの政策決定過程を見てみると、例えば1971年の第3次印パ戦争や、1999年のカルギル危機に際しては、インド政府全体として政策決定のシステムはあまり機能せず、首相と一部の側近によるインナーサークルで、政策決定が行われた(戦時のみ少人数で開かれる「お茶会」が大きな役割を果たしたといわれている)。現在、モディ政権が安全保障政策を決定する際に同様の手法にならっているとすれば、有識者との意見交換は、インドの雰囲気を知るうえで有益である一方、インド政府の外交を知る上では限界があることも意味している。今次現地調査は、現政権の意思決定に対する有識者の影響力の強弱を勘案し、また意思決定に影響力のあるシンクタンクなどを精査する必要性とともに、モディ政権が実際にどのような政策を実現しているのか、政策分析の重要性も示すものであった。