2015年12月、安倍晋三首相とナレンドラ・モディ首相との間で日印の民生用原子力協力に関して原則合意に至った。詳細を詰めた後で正式に署名に至るものだ。だから、懸案となっている事象が解決されたわけではない。懸案となっているのは、インドが核実験を再び行った場合の対応や、インド国内で原発の事故が起きた場合に、建設に関わった外国企業にも責任を課すインド側の国内法上の問題、使用済み核燃料の再処理を認めるかどうか、などの事項だ。再処理については、再処理したプルトニウムが核兵器に使用可能なため、日本は他の国との原子力協定ではこれまで認めてこなかった。そのため、今回の原則合意は、原子力協定としてはまだ不完全な状態である。
だから現時点で、この合意がいつからどのような形で実現するのか、めどが立っているわけではない。ただ、このような困難な問題を抱えていても、なぜ日印が原子力協力するべきなのか、その議論は必要である。実は、今回の原子力協力の合意は、実際に調印へと進めば、歴史的な一歩といえる大きな意義があるからだ。そこで、本稿では、日印の原子力協力がどのような点で重要なのか、その外交上の意義について3つの観点から分析することにした。以下、経済面、核兵器の不拡散の面、そして地域で高まる戦略的競争の面のそれぞれの観点からみてみる。
経済面:インドの台頭は日本の原子力合意にかかっている
まず、日印の原子力合意は、インドの急速な経済成長を支える上で、鍵になるものだ。その点で、日本がインドとの間で原子力協力で原則合意に至った今回の事例は、日本がインド経済を支え、インドの台頭を歓迎するという強いメッセージが込められたものである。
なぜ、それほど重要なのか。インドが急速な経済発展を始めたのは1990年代に、経済政策を大きく改めて以降だ。だが、この急速な経済発展には弱点があり、エネルギーの安定供給が課題となっている。インドの原油輸入量は、2013年の時点で日本を抜いており(注1)、今後より多くのエネルギー供給源を必要としている。自然エネルギーなどの利用も模索しているが、現在の技術では、原子力によるエネルギー供給によって大規模なエネルギー供給をする方法は避けて通れない。そのため、インドは各国との原子力協力を進めている。ところが、ここで日本の存在がカギになる。日本は、原子力発電所にとって最も重要な部品の一部について80%のシェアを有している。そのため、他の国の原子力協力に強い影響を有する。例えばアメリカやフランスがインドと原子力協力で合意しても、日本がインドと合意しなければ、アメリカやフランスもインドに原発を建設できない状態だ。逆に言えば、日印原子力合意が成立すれば、インドは莫大な原子力発電エネルギーを確保することにつながる。影響は大きいのだ。
昨今、中国経済の成長鈍化によって、中国と貿易をしている他の国々の経済も影響を受けている。同じように、インドの経済成長が安定的に推移することは、インド洋から太平洋に至る地域で、インドと貿易をしている各国の経済成長に大きな影響を与えることになる。日印の原子力合意は、地域全体の将来に関わる合意といえるのである。
(注1)India overtakes Japan as world's No.3 crude importer (Reuter, 30 January 2014)
( http://in.reuters.com/article/india-japan-crude-oil-import-idINDEEA0T06Q20140130 )
核兵器の不拡散の面:不拡散体制に大きな影響はない
次に核兵器の不拡散の面である。一見すると、インドとの原子力合意には核兵器の不拡散の面から問題を指摘し得る。インドが核拡散禁止条約(NPT)に加盟しないで、核兵器を保有した国だからだ。インドから見ると、中国の核保有は認めてインドの核保有を認めない核拡散防止体制は不平等なもので、だから近い将来、インドが加わる可能性は低い。それを日本から見れば、インドが核不拡散体制に加わらないなら、日本もインドとの原子力協力に進むべきでない、との意見につながるのである。だが、これについてより詳細にみてみると、実際には、インドとの原子力協力は核不拡散体制に大きな影響を与えないものと考えられる。
理由の1つ目は、インドは自国の核兵器開発には取り組んできたが、それをしっかり管理しており、他の国に拡散させていないことだ。開発を始めてから約50年になるが、拡散させていない。この点が「核の闇市場」に関わった北朝鮮、パキスタン、イランなどの各国と大きく違う点だ。インドが今後もその技術をしっかり管理すれば、核不拡散体制にとって障害とはならないだろう。
理由の2つ目は、国際社会がインドを、米露英仏中に続く「6番目の核保有国」として受け入れたとしても、「7番目」「8番目」の国が現れる可能性が、当面ないことだ。前述のようにパキスタンやイラン、北朝鮮などは核拡散に関わっているから、国際社会はこれらの国々を「7番目」として受け入れる必要はない。かつて核兵器開発に取り組んできた韓国、台湾、リビア、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカなどの国々は、すでに核兵器開発を止めたものとみられる。そして、現在核兵器を保有しているとみられるイスラエルについても、それを公のものとして認めさせる可能性は低い。イスラエルが核兵器保有を公式に宣言すれば、イスラエルの周辺国が核兵器保有に積極的に動き、結果、イスラエルはより安全でない状態におかれる可能性があるからだ。結果として、「7番目の核保有国」として受け入れられそうな国はない。インドを「6番目」として受け入れても、他の国が核保有に積極的になって核不拡散体制が総崩れになる、そういった危険性はないのである。だからこそ、すでに10か国、米、露、英、仏、豪、加、韓、モンゴル、カザフスタン、アルジェリア、ナミビアの各国がインドと原子力協力協定を結んでおり、世界の潮流になっているのである。
日本についていえば、日本が唯一の被爆国である点から、他の国とは違うとの議論もできる。ただ、日本とインドは核政策において、かなり似ているのも、また事実だ。日印両国は、今回の共同宣言にもある通り、「核兵器の完全な廃絶」を目指している(注2)。だが、現実問題として、核抑止力もまた整備する必要に迫られた過去がある。それは1964年に中国が核実験をしたとき、日印両国とも核保有を検討したことだ。日本は西ドイツとの間で核兵器の共同開発について協議した。しかし、日本が独自の核兵器開発に至らなかったのは、アメリカが核の傘(拡大抑止)を保証したためである。日本が核攻撃を受けた時はアメリカがかわりに核兵器で報復してくれる体制ができたことで、日本は独自に核兵器を開発する必要がなくなったのだ。しかし、日本ではあまり知られていないが、ちょうど同じ時期、インドもアメリカに核の傘を求めたのである。そして断られた。インドはソ連にも、イギリスにも、フランスにも核の傘を求めたが、すべてから断られた。中国の核攻撃に対して抑止力を効かせるには、インドは独自に核兵器を開発する以外の選択肢はなかった。このようにして1974年と1998年、インドは核実験に至ったのである。
日本では、1998年のインドの核実験に対し批判的な見方が多い。だが、日本もまた、インドと同じように、中国の核兵器の脅威に対処せざるを得ず、核廃絶を最終目標としながらも、核の傘による核抑止力を整備した国であることを忘れるべきではない。日本とインドは、その点で立場を同じくしている国である。つまり、核不拡散体制からも、それを強く支持する日本の立場からも、インドとの民生用原子力協力は、支持し得る立場といえる。
(注2)外務省「日印ヴィジョン2025 特別戦略的グローバル・パートナーシップ :
インド太平洋地域と世界の平和と繁栄のための協働」(2015年12月12日)
( http://www.mofa.go.jp/mofaj/s_sa/sw/in/page3_001508.html )
戦略的競争面:日印安保協力が地域安定のカギになる
3点目は、地域で高まる戦略的競争の側面だ。中国軍の活動が東シナ海、南シナ海、インド洋へと拡大し、特に南シナ海においては周辺の小国に対してかなり強引に影響力拡大を図っていることは、日印両国共通の懸念事項だ。そして、中国は影響力を拡大する際に、軍事力だけでなく、インフラ輸出を使用している。中国によるパキスタンに対する原発輸出は、その一例である。
本来、このような中国の影響力拡大に対しては、既存の枠組みである日米同盟による対抗措置が重要だ。しかし、将来も含めて考えると、アメリカもまた、1国だけでは、十分な力を持たなくなるかもしれない。2000年から2014年に新規に配備した潜水艦の数を見れば、中国が41隻、アメリカが11隻であるから、米中間のパワーバランスの差が徐々に縮まってきているのがわかる。アメリカの潜水艦の性能の方がいいが、東シナ海、南シナ海、インド洋だけみれば、中国の方がアメリカよりも多くの潜水艦を展開可能にしている。このような状態を背景として中国の活動は強引、冒険主義的になっているのである。だから、今後、中国の軍事力がより近代化されていったとき、中国の行動がどうなるのか、心配な情勢だ。
だから、中国の影響力拡大に対してアメリカ以外の国々も協力する必要がある。その大きな枠組みの中で、日本はインドと民生用原子力分野で協力を進め、インドの台頭を支援する必要がある。インドは中国の活動に懸念を持っている国であり、すでにベトナムやフィリピンへの支援も進めている。インドが強くなることは、日本の国益、そしてインド洋から太平洋全域に至る地域でのパワーバランスの維持に寄与することになろう。
おわりに:懸案事項の注目点
以上から、経済面においても、核不拡散の面からも、戦略的競争の面からも、日本とインドの民生用原子力協力の原則合意は、歓迎すべきものである。ただ最初に指摘したように、懸案事項が残ったままである。その中で特に1点は無視できない事項となろう。それはインドが再度核実験をした場合である。
実は、インドは軍事的な面からみれば、再度核実験をする必要性があるかもしれないのだ。核兵器が正常に作動するのか、核兵器の能力向上のためのデータを十分に持っているか、が問題だからだ。もし十分な実験データがない場合(インドはデータは十分あると主張しているが)、核実験をしないと、インドの核抑止力は維持できないかもしれない(注3)。
だが、インドが核実験をすれば、たとえ民生用だとしても、日本がインドに原子力の面で協力するのは不可能だ。その支援が核兵器開発に転用される可能性があるからである。だから、今回の共同宣言も、「核軍縮につながる,包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効の重要性を強調した(注2)」となっている。包括的核実験禁止条約は、未批准の8か国の賛成なしには発効しないため、現在、発効の見通しが立っていない状態だ。それにもかかわらず、日本が共同宣言に、この文言を入れるよう要求したのだから、日本の懸念の強さがわかる。インドには、日本の懸念を十分尊重してほしい。
もしインドが今後、このような核実験に対する日本の懸念を十分尊重すれば、経済面においても、核不拡散の面からも、戦略的競争の面からも、日印の民生用原子力合意は長期間にわたる協力関係につながっていく可能性がある。それは日印間が真の意味で「特別な戦略的パートナーシップ」になったことの証となるだろう。
(注3)長尾賢「インドは核ドクトリンのどこを改定するのか?」『ユーラシア情報ネットワーク』(東京財団、2014年7月17日)
( https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1934 )