研究員
吉原祥子
1.各地で表面化する問題
「田舎の土地を相続したが、自分たち夫婦には子どもがいない。自分たちの代で手放したいが、買い手も寄付先も見つからず困っている」「いずれ実家の土地を相続する予定だが、父親が所有する山林には行ったことがなく、どこにあるのかもわからない」――人口減少と高齢化が進む中、相続を契機に故郷の土地や家屋の所有者となり、戸惑う人が増えている。
そうした声と時を同じくして、近年、社会問題として認識されつつあるのが土地などの「所有者不明化問題」である。不動産登記簿などの台帳を見ても所有者の所在が直ちに判明しない、いわゆる「所有者不明」の土地や家屋が、災害復旧や耕作放棄地の解消、空き家対策など地域の公益上の支障となる例が各地で報告されている。2016年4月に発生した熊本地震の被災地では、所有者や相続人に連絡がつかず、地震で傾いた空き家の解体ができない事例が熊本市だけで50件を超えた(「西日本新聞」2017年6月28日付朝刊)。
個人の相続と、土地などの所有者不明化問題。一見関係ないかに見えるが、実はその間には、土地の権利と管理をどのように次世代に引き継いでいくのか、という大きな課題が横たわっている。
本稿では、その構造を主に土地制度の観点から整理するとともに、問題の解決に向け、本日よりこのウェブサイトにて始める、分野を越えた議論の試みについて紹介したい。
2.相続を契機に拡大
なぜ、代表的な個人の財産であり、公共的な性格をあわせもつ土地が「所有者不明」になるのか。その大きな要因に、相続未登記の問題がある。
一般に、土地や家屋の所有者が死亡すると、新たな所有者となった相続人は相続登記を行い、不動産登記簿の名義を先代から自分へ書き換える手続きを行う。ただし、相続登記(権利の登記)は義務ではない。名義変更の手続きを行うかどうか、また、いつ行うかは、相続人の判断にゆだねられているのだ。そのため、もし相続登記が行われなければ、不動産登記簿上の名義は死亡者のまま、実際には相続人の誰かがその土地を利用している、という状態になる。その後、時間の経過とともに世代交代が進めば、法定相続人はねずみ算式に増え、登記簿情報と実態とがかけ離れていくことになる。
相続登記は任意であるため、こうした状態自体は違法ではない。しかし、その土地を新たに利用する話が持ち上がったり、第三者が所有者に連絡をとろうとする場合、支障となる。登記簿上の何十年も前の情報から、戸籍や住民票を辿って現在の相続権者を特定し、全員から同意を取り付けるという、膨大な作業が必要になるためだ(図1)。
図1 相続未登記が長年続き法定相続人が約150人に上った実例
出所:東京財団政策研究所(当時、東京財団)「国土の不明化・死蔵化の危機」2014年
空き家の放置や農地の耕作放棄を、所有者による物理的な「管理の放置」と呼ぶとすれば、相続未登記によって死亡者の名前が何十年も登記簿に残り続けるのは、所有者による「権利の放置」ともいえる。この問題は普段はなかなか表面化しない。農地を利用する、空き家対策を進める、あるいは災害が起きるなどのきっかけがあって初めて、その実態が見えてくるのである。
3.根底にある土地制度の課題
そもそも、日本では土地の所有者情報はどのように把握されているのだろうか。なぜ、個人が任意の相続登記を行わないことが、土地の所有者不明化という大きな問題につながっていくのだろうか。
土地の所有・利用についてさまざまな制度を洗い出してみると、見えてくるのが情報基盤の課題である。現在、土地についての基本情報は、不動産登記簿のほか、固定資産課税台帳、国土利用計画法に基づく売買届出、農地台帳などが、目的別に作成・管理されている。しかし、台帳の内容や精度はさまざまで、土地の所有・利用に関する情報を一カ所で把握できる仕組みはない。
国土管理の土台となる地籍調査(土地の一筆ごとの面積、境界、所有者などの基礎調査)も、1951年の開始以来、いまだに5割しか進んでいない。一方で、個人の土地所有権は諸外国と比較してもきわめて強い。
各種台帳のうち、不動産登記簿が実質的に主要な所有者情報源となっているものの、先述のとおり権利の登記は任意である。そもそも、不動産登記制度とは、権利の保全と取引の安全を確保するための仕組みであり、最新の土地所有者情報を把握するための制度ではない。
東京財団政策研究所が2014年に行った全国調査では、557自治体が「土地の所有者が特定できないことによって問題が生じたことがある」と回答している。担当者からは、「土地の売買等も沈静化しており、正しく相続登記を行っていなくても当面実質的問題が発生しないケースが増えている」「相続人が地元に残っていない。山林・田畑について、所有する土地がどこにあるかわからない方が多い」「土地は利益となる場合よりも負担(毎年の税金)になる場合が多いので、相続人も引き受けたがらない」といった声も寄せられた。
人口減少に伴う土地需要の低下や人々のこうした意識の変化を考えれば、現行制度のままでは、今後、相続登記が積極的に行われるようになるとは考えにくい。このままでは、所有者不明化の拡大は避けられないだろう。
4.解決に向けた議論のプラットフォーム
いまの日本の土地制度は、明治時代にその基礎が確立し、戦後、右肩上がりの経済成長時代に修正・補完されてきたものだ。地価高騰や乱開発などへの対応が中心であり、過疎化や人口減少に伴うさまざまな課題を想定した制度にはなっていない。所有者不明化問題とは、そうした既存の制度と、人口減少・高齢化という社会の変化の狭間で広がってきた構造的な問題である。万能薬はない。明治維新から150年の節目のいまこそ、各分野の英知を集め、時代の変化に応じた制度見直しを一つひとつ進めていくことが必要だ。
そこで、当研究所では、このたび所有者不明化問題を社会全体で考えていくためのプラットフォームとして、このウェブサイトを立ち上げた。各分野の専門家による質の高い分析やさまざまな取り組み事例などを、わかりやすい論考形式で発信・蓄積し、課題の解決に向けた政策議論を民間の立場から地道に牽引していくことを目指すものである。
初回となる今回は、これからの議論の礎(いしずえ)として、この問題の議論を長年リードしてきている 山野目章夫早稲田大学大学院法務研究科教授 と 増田寛也野村総合研究所顧問 による論考を掲出する。今後、両氏をはじめとする「ウェブメンバー」を軸に、随時ゲスト執筆者を交えながら、多角的な議論を定期的に発信していく予定である。
この問題については、国土交通省が今期国会に所有者不明土地の公共的目的の利用を可能とする法案を提出するなど、国の対応が始まっている。まずは解決に向けた第一歩を踏み出した段階といえる。
だがその一方で、中長期的に研究すべき課題や議論すべき論点は山積している。たとえば、相続登記を促進するための具体策や、個人が持て余す土地の「受け皿」のあり方、土地情報基盤の整備の方法などだ。これらを考える土台として、人口減少時代の国土保全の理念や、所有権の考え方についての議論も避けては通れない。
こうした課題はいずれも特定の学問分野や単独の省庁で対処しきれるものではない。分野や所管を越えた連携や、国と地方の協力、そして民間の知恵が必須だ。民法学をはじめ、法社会学や経済学のこれまでの理論に照らして現状を分析することや、税制、農政、都市計画など各分野の先行研究を踏まえて多角的な議論を行うことが求められる。地域の実情や民間企業の経験、さらに新たな取り組み事例なども、より広く共有することが重要だ。進歩の著しい情報科学をこの問題の解決にどう活用できるかについても、分野横断的な議論が必要だろう。
本ウェブサイトでは、こうした各論点について、地道に発信していくことを目指す。
親族や自らが所有する土地を次世代にどう引き継いでいくかは、個人の財産の問題であると同時に、その対処の積み重ねは生産基盤の保全や防災など地域の公共の問題へと繋がっていく。すなわち、所有者不明化問題とは、私たち一人ひとりの問題なのである。
本ウェブサイトの試みによって、この問題が政策関係者や土地制度にかかわる実務家をはじめ、土地所有者や相続を控えた世代など幅広い層から関心を持たれることに繋がれば幸いである。
吉原祥子(よしはら しょうこ)
東京外国語大学卒。タイやアメリカへの留学などを経て、1998年より東京財団政策研究所勤務。 国土資源保全プロジェクト などを担当。著書に、 『人口減少時代の土地問題――「所有者不明化」と相続、空き家、制度のゆくえ』(中公新書、2017年)。
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