1.イギリスのGraph of Doom(財政破綻図)
世界各国ともに高齢化による社会保障関係費の増大が国の財政を圧迫している。この問題に関して、フィナンシャル・タイムズの編集者の一人であるクリス・ジャイルズ(Chris Giles)氏が最近興味深い記事を同紙に寄せている。そのタイトルは“Britain faces a simple choice: raise taxes or cut services.Population pressure is putting an intolerable strain on the public finances.”(2018年8月2日)である。かいつまんでその趣旨を表せば、「高齢化によってイギリスの財政には耐えがたい圧力がかかっている。増税か給付カットが必要だ。」
新聞記事だけにタイトルは過激であるが、この記事のなかでジャイルズ氏は問題の深刻さは一つのグラフで一目瞭然だとし、それをGraph of Doom(財政破綻図)と呼んでいる。実はこのグラフはロンドンの北にあるバーネットという自治体が、その財政の窮状を説明するために、法律で決められた義務的な経費を歳入でどれだけまかなうことができるかを示そうと作成したものである。このグラフによって、バーネット市は2025年には財源は底をつき、図書館、公園管理やごみの回収などの裁量的な行政サービスを行うことはできなくなるという市の財政破綻の姿を単刀直入に描き出した[1]。
ジャイルズ氏は、このアイデアを国の財政問題に生かして、高齢化にともなう年金、医療や介護などからなる社会保障関係費と国債利払費を加えた歳出が歳入でどれだけまかなえるかをグラフで示している。その結果、国もバーネット市と同じように財源は枯渇して、いずれ防衛、警察、公共投資などの裁量的支出に割く財政余力はなくなるというGraph of Doomが再現することを主張している。
ジャイルズ氏の記事には、政府の財政責任局(Office for Budget Responsibility、以下OBR)の「財政持続可能性レポート(Fiscal Sustainability Report)」に基づいて作成されたグラフが掲載されている。紙面に掲載されている図には多くの年次の推計が重ねられているなど複雑となっていることもあり、OBRの最新のレポート(2018年6月)によってグラフを作り直してみた[2]。
結果は図1の通りである。まず、歳出面の義務的支出として、OBRが年齢に関係した支出としている医療、介護、教育支出に加えて、その他福祉および国の純利払費をとった。年齢関係支出のGDP比率は2017-18年には20.5%であるが、その後2030年あたりから増加の速度を上げ、2067-68年には29.2%と予想されている。義務的支出全体は、2017-18年から2067-68年の間に27.1%から45%へと増大する。一方、改革が行われない限り所得税、社会保険料、法人税、付加価値税などからなる(借金を除く)歳入のGDP比率は今後ほとんど変化せず、36%程度と予想されている。
この結果、義務的支出は歳入を上回る率で増加し、2050年ごろには歳入が義務的支出をまかなうことができない事態となる。図では歳入から義務的支出を引いた額を裁量的支出とし、そのGDP比率も示している。この比率からも明らかなように2027-28年くらいまで、歳入はGDPの10%近くまでの裁量的支出をまかなうことができるが、その後は歳入の範囲でまかなうことのできる裁量的支出は一気に減少して、上に述べたように2050年ころには裁量的支出はマイナスとなってしまう。つまり、図1は国の財政もバーネット市と同じように破綻することを示している。
もちろん、人々の生活や国が存続するためには、裁量的支出を一定水準以下にすることはできない。とすれば、どこかで増税するか、社会保障をカットするか、借金を増加させるかの選択を避けることはできない。したがって、Graph of Doomは実際の将来を映し出すものではないが、社会保障を持続可能なものとするために国民、医療・介護などの当事者や政府が一体となって問題の重要性・緊急性を理解し、現実の厳しさに目を覚ますためのプラットフォームとなる。
国の財政状況は、多くの場合、財政収支や債務残高のGDP比率などで示され、その国際比較も行われている。日本については2018年において、国(一般政府)の財政赤字はGDPの3.8%、債務残高のGDP比率は240%であるなど、これまで繰り返して報道されてきている。また、OBRも国の基礎的財政収支や債務残高についておなじみの図を掲げている(参考図として本稿末尾に掲載)。
しかし、こうした財政全般の情報から、社会保障が財政運営に投げかけている問題を身近な問題として人々が感じ取ることは困難であろう。近い将来確実に来る財政問題を自分たちの問題として国民に理解してもらうための手段としても、Graph of Doomは重要な役割を果たすはずである。
2.日本の財政破綻の予兆
長期間を対象とするGraph of Doomの日本版を今作成することは困難であるが、社会保障関係費の増大が財政破綻を招くのではないかという予兆はさまざまなところから感じることができる。以下では、そうした予兆を3つ指摘したい。
・予兆1:国の一般歳出の56%はすでに社会保障関係費である(2018年度予算)。
堅苦しい言葉であるが、国の一般歳出とは、国の歳出総額から国債の元利償還費と地方自治体への財源移転である地方交付税交付金を除いた額を指す。要するに国の仕事を反映した歳出額のことである。2018年度予算でその額は58.8兆円であり、それに対して社会保障関係費は32.9兆円、一般歳出の56%となっている。国はその残りで教育、公共投資、防衛、経済協力、食の安定供給を行わなければならない。将来を見据えた戦略的な財政運営が困難な状況となっていることがうかがえる。
・予兆2:国の歳出で増大しているのは社会保障関係費だけだ。
図2は、1990年度から2018年度にかけての国の歳出の増加要因を示したものである。バブル崩壊後の1990年代では景気浮揚を目的とした公共投資がさかんに行われた。その後、公共事業の借金返済の財源として、また地方活性化を目的とした地方交付税交付金が増大する。しかし、最近になると歳出増加はほぼ全額社会保障関係費となっていることがわかる。1990年度から現在に至るほぼ30年間にわたって、社会保障関係費と一時期の公共事業と地方自治体支援を除いて、その他の歳出に変化はないか、減少となっている。
こうした限られた財源のなかでの予算運用にあたっては、慣例に従った予算ではなく、将来を見据えた機動的な歳出改革が求められる。しかし、予兆1で指摘した通り、増え続ける社会保障関係費が戦略的な財政運営を難しくしていることは否定できない。
・予兆3:社会保障関係費の財源は大きく不足している。
子ども・子育て、医療、介護と年金の社会保障4経費の財源として消費税が充てられている。しかし、消費税だけでは必要な費用をまかないきれないことは明らかである。そこで、おおざっぱな計算であるが、2018年度の予算にもとに国の社会保障関係費を国の基幹税源である所得税・法人税と消費税でまかなうという試算を行った。
所得税、法人税と消費税の収入はそれぞれ19.2兆円、12.1兆円および17.5兆円である。その合計額から、地方交付税として決められた地方への配分額である14.6兆円を引くと、主要3税のうち国に残る額は34.1兆円である。これに対して、2018年度の社会保障関係費は32.9兆円である。
したがって、国は所得税、法人税と消費税を全部社会保障関係費に充てても残るのはわずかに1兆円程度である。国のその他の税収はほぼ10兆円である。そして(借金を除く)税以外の収入5兆円を加えても、社会保障関係費以外に使える財源は16兆円程度である。まさに、日本の財政にGraph of Doomが重なって映し出されているのである。
以上、高齢化によって増大する社会保障費が財政運営を困難としている状況について、イギリスの地方自治体が財政の厳しさを訴えるために使用したGraph of Doomをもとに考えた。イギリスのOBRの推計から描き出されたのは、このままでは財政破綻が避けられないということである。日本については財政の長期推計がないので同じような図は描けなかったが、破綻の予兆はすでにうかがうことができる。
Graph of Doomから受けた示唆の一つは、国民に社会保障費の増大が財政運営を困難としていることを実感として理解してもらう方法として、このグラフが有益なことである。結果次第では刺激的過ぎるかもしれないが、「このままを続けることはできない」という実感を人々が共有するための大切な情報の一つとなるであろう。
参考図
Office for Budget Responsibility(OBR)によるイギリスの国の純負債残高と基礎的財政赤字のGDP比率についての推計値
[1] バーネット市のGraph of Doomについては地方自治体の財政をわかりやすく示したものとして多くのメディアが取り上げている。BBCはバーネット市の当事者を含めた対談形式で取り上げている。https://www.youtube.com/watch?v=2lC1DWzHFHg
[2] Office for Budget Responsibility, Fiscal sustainability report, July, 2018