鶴岡路人
主任研究員
EUは2019年4月10日に欧州理事会(EU首脳会合)を開き、最長で2019年10月31日まで英国のEU離脱期日を延期する決定を行った。3月に次いで2度目の延期となる。いずれも英国の要請に基づくものである。夕方6時に始まった会合が終わり、トゥスク欧州理事会常任議長とユンカー欧州委員会委員長による記者会見が始まったとき、時計の針は深夜2時をまわっていた。
メイ首相による声明と質疑応答の後のEU27カ国による協議では、延期の幅に関して異なる意見が出された。10月末までになったのは、当初1年間の延期を提案したトゥスク議長と、6月1日が限度とするフランスとの間の妥協の結果である。なお、メイ首相は4月5日付のトゥスク議長への書簡で6月30日までの延期を要請していた。
欧州理事会で延期が承認されたことで、4月12日の「合意なき離脱」という事態は回避され、Brexitは仕切り直しとなった。今回は、欧州理事会による決定を分析したうえで、このような結論に至ったEU側の事情と、これを受けた英国内の情勢の今後について検討することにしたい。
EUが示した結論
欧州理事会で採択された英国のEU離脱延期に関する方針(4月10日の欧州理事会結論文書)は下記のようなものだった。
- 延期の目的は離脱協定の批准のためであり、10月31日を期限として、それまでに批准が完了すればその翌月1日に離脱(第2パラグラフ――以下「パラ」と表記)。
- 延期がEUの通常業務を阻害してはならず、5月22日までに離脱協定が批准されない場合は、EU法に基づき英国も欧州議会議員選挙に参加する義務がある。もしこれを履行できない場合は6月1日に離脱(3パラ)。
- 離脱協定の再交渉はあり得ず、これに関する英国単独の声明やコミットメントは全て同協定に沿ったものであること、および協定の履行を妨げてはならないことを再度強調(4パラ)。
- 延期期間中は将来の関係に関する交渉は開始できないものの、将来の関係に関する政治宣言の内容については、英国の立場が変化するのであればEUとして再検討する用意がある(5パラ)。
- 延期期間中、英国はEU加盟国として全ての権利と義務を有し、また英国は期間中どの時点でも、離脱意思を撤回する権利を有する(パラ6)。
- 延期期間中も、条約の定める誠意ある協力(sincere cooperation)の義務に基づき、建設的且つ責任ある行動を行うとの英国のコミットメントに留意し、英国がこのコミットメントと条約上の義務を、離脱国(withdrawing Member State)としての状況に照らして果たすよう期待する。そのため英国は、特にEUの意思決定過程に参加するにあたり、EUの任務の達成に協力することとし、EUの目的の実現を脅かす行動はとらない(7パラ: “the United Kingdom shall facilitate the achievement of the Union's tasks and refrain from any measure which could jeopardise the attainment of the Union's objectives”――ここで“shall”が使われている点に注目)。
- (英国の離脱に関する)条約第50条に基づく会合に加え、(英国以外の)27のEU加盟国と欧州委員会、関係EU機関はあらゆるレベルにおいて、英国のEU離脱後に関する諸問題を議論するために会合する(8パラ)。
- 欧州理事会はこの問題(Brexit)に引き続き取り組み、2019年6月の会合において進捗状況をレビューする(9パラ)。
増大するEUの懸念
延期の幅をめぐって意見が割れ、特にフランスのマクロン大統領が可能な限り小幅の延期を主張した背景には、5月の欧州議会議員選挙における反EUなどのポピュリスト勢力が伸長することへの懸念があった。加えて、窮地に立たされたメイ政権、ないしその後に英国で誕生するかもしれない強行離脱派の政権が、加盟国としての地位を使い、意思決定をブロックするなどEUへの妨害行為に出ることへの警戒があった。ただし、ドイツのメルケル首相をはじめ、EU内の大勢は長期の延期を容認する姿勢であり、欧州理事会の場ではフランスが孤立したと伝えられている。今回の経験は、EU内でのフランスの影響力・指導力に今後マイナスに作用する可能性がある。
英国による妨害行為への懸念に関しては、英保守党強硬離脱派の筆頭格であるリース=モッグ議員による、「もし長期間EUに留め置かれるのであれば、我々は可能な限り難しい存在になるべきだ」というツイート(2019年4月5日)が大きく影響したといわれている。
メイ政権は、これまで意図的な「嫌がらせ」は謹んできた。従来反対してきた防衛協力に関する常設構造化協力(PESCO)の発足を阻止しようとしなかったことはその代表例である。もちろんその背景には、善意や誠意のみならず、妨害行為をすることで離脱交渉が困難になることを避けるという計算や、離脱が早晩実現するだろうとの意識もあったとみられる。
ユンカー委員長は、4月11日未明の記者会見で、EUの意思決定の多くは特定多数決で行われるため、英国がEUの意思決定過程を脅かす可能性について過剰反応すべきではないとした。これは重要な指摘であり、EUの知識に乏しい英国の強硬離脱派はEUの意思決定過程を理解していない可能性がある。EUでは、条約上特定多数決が規定されている分野であっても、慣習として可能な限りのコンセンサス形成努力がなされ、実際に理事会などで投票することは少ない。しかし、もし英国が「誠実な協力」義務に反していると判断されるような事態になれば、何らかの決定に英国1国(ないし英国を含む少数の加盟国)が反対しているような際に、多数決を適用することへのハードルは低くなるだろう。
4月10日の欧州理事会にいたる過程では、理事会での投票権に制限を付ける可能性などが議論されたが、英国がEU加盟国である以上、そうした差別的待遇を導入する法的根拠はなかった。そのため、今回の合意でも英国が加盟国としての完全な権利(と義務)を有することが確認されている。
ただ、そのかわりに、条約に適合した範囲内で示されたのが、上記第8パラグラフのEU27による会合の実施である。英国の離脱後に関する問題を扱うとの、いわば「口実」で、それを正当化したのである。現実にはすでに2017年3月の離脱手続きの開始以降、英国との離脱交渉方針に関する議論など、EU27のみでの会合は頻繁に行われてきた。今後はこの種の会合の頻度がさらに増すことが見込まれる。英国は、EU加盟国でありながら、実態としては非加盟国であるかのように扱われるケースが増えるのであろう。これは、英国がどこまで加盟国としての権利を主張するかにもかかっている。
いずれにしても、離脱するのかしないのか分からないような中途半端な状態の加盟国を抱え込んでおくことのリスクが、EU内において従来以上に意識されるようになったということである。英国に対する信頼の低下は新しいことではないが、欧州議会選挙や、新たな欧州委員長を含む欧州委員会の選任などを控え、警戒感が増大しているのだろう。
いつまで付き合うのか・・・
なお、延期幅については、上述のとおり可変とされており、離脱協定の批准が実現すれば、10月31日という最長延期期日にかかわりなく、その前に離脱が実現する。これは、トゥスク議長や英国が求めていた考え方であり、一部報道では、「flextension(flexibleとextensionを合わせた造語)」と呼ばれてきたものである。「合意なき離脱」は避けたいが、英国が必要以上にEUにとどまることも望まないという、2つの考慮の妥協点だといえる。
「Brexitカウントダウン(5)」で強調したように、EU側は、「合意なき離脱」の引き金を自ら引く意図はなく、ボールが英国側にある状況を維持することが基本的な方針になっていた。今回もその方針は貫かれ、トゥスク議長は会見で「今後の行動は完全に英国の手中にある」と述べている。
英国の側にも、これまでの議会での採決から判断する限り、「合意なき離脱」の引き金を自ら引く意思はないといえる。だとすれば、離脱延期が繰り返される事態になりかねない。これを終わらせるには、離脱協定を批准するか離脱意思を撤回するしかないが、これらはいずれも英国のみができることである。離脱期日の延期の決定はEU側にしかできず、これは英国に対する強力な梃子であるものの、最終的には英国が動かなければ何も解決されないというのが基本的な構図である。このことは再度の延期の決定を経ても変わらない。
変わらない英国政治の分裂状況
そこで鍵となる英国内政だが、結論からいえば、EU離脱に関する何らかのコンセンサスが成立する可能性は依然として低いといわざるを得ない。
再度の離脱延期を受け、「合意なき離脱」を求める強硬離脱派の間ではメイ首相への批判・苛立ちが高まっており、彼らが現行の離脱協定に賛成する可能性はさらに遠のいている。「合意なき離脱」を否定し、関税同盟などのソフトな離脱を求める穏健離脱派は、保守党と労働党に別れたままであり、一致した勢力にはなっていない。さらに、再度の国民投票実施や離脱の撤回を求める勢力も労働党を中心に拡大している。英国議会(さらには英国世論)がこの3つに分裂している以上、いずれかの立場が多数を確保することは難しい。これが、保守党と労働党との間で続く事態打開のための協議が進展しない構造的要因である。
こうした膠着状態を打開するためには、メイ首相の辞任や総選挙が取り沙汰されるものの、それらによっても大きな変化をもたらすことができる保証はまったくないのが現実であろう。例えば、メイ政権が退陣した後にはより強硬な離脱派の党首・首相が誕生する可能性が否定できないが、「合意なき離脱」への世論の支持が急増しない限り、議会が「合意なき離脱」に賛成する可能性は低い。また、保守党と労働党がともに内部で分裂している状態で総選挙が行われたとしても、Brexitに関するオプションを決することにはならない可能性が高い。
総選挙の可能性は高まりつつあるといわれるが、現在の議会の勢力分布を前提とするのであれば、最終的に問われるのは、現行の離脱協定を承認するために、保守党も労働党もどこまで自党の分裂を覚悟するかである。
折り返し地点に過ぎないのが離脱協定・・・
さらにいえば、たとえ何らかの――政治的に強引且つ不安定な――妥協によって離脱協定が承認されても、移行期間に入った後に開始される将来のEU・英国関係を規定する協定の交渉に一致して臨めるのかという問題がある。交渉の中身としては、離脱協定以上に複雑な利害調整を要するのが将来関係協定である。つまり、離脱協定は、離脱プロセスにおける到達点では決してなく、たとえるならば折り返し地点である。折り返し前に疲労困憊状態では、ゴールインは覚束ない。
英国議会は4月12日以降イースターの休暇に入り、再開は4月23日である。その間も保守党と労働党との間の協議は一部で続けられる予定であり、メイ首相は、イースター休暇中に各議員が熟慮することを求めている。仕切り直しになったBrexitはとりあえずイースターの「休戦」を迎えたが、新たな期日へのカウントダウンは止まらない。離脱協定が承認されない以上、英国が次に求められる決断は欧州議会選挙への参加になる。
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