鶴岡路人
主任研究員
「Brexitは英国がEUから離脱するだけのこと。EUとの交渉は難しくないし、それでも仮に合意できなければ喧嘩別れでもよい。」離脱派の多くは、少なくとも当初、Brexitをその程度に捉えていた。そのため、EUからの離脱をめぐって英国政治がここまで混迷し、危機的状態に陥ったことは想定外だった。「こんなはずではなかった」という気持ちとともに、苛立ちが募るゆえんである。
そして、さらなる想定外が連合王国(United Kingdom)分裂の危機であり、今日この懸念が増大している。英国の「主権を取り戻す」のが離脱派の主張の中心だったが、EU離脱によって国家の一体性の維持が危機に瀕する状況は何とも皮肉である。そこで今回は、「Brexitカウントダウン(12)」で検討した憲政危機の懸念に続き、いわば双子の危機としての連合王国分裂危機を考えてみたい。
連合王国と保守統一党
英国の正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)」である。英国は、グレートブリテン島にあるイングランド、スコットランド、ウェールズと、アイルランド島に位置する北アイルランドの4つの部分から構成される連合王国であり、これが「連合(Union・統一)」と称される。
メイ政権の母体となっている政党は、通常「保守党(Conservative Party)」と呼ばれるが、特に選挙においては、「保守統一党(Conservative and Unionist Party)」との名称が使われることが多い。スコットランドにおいては独立派への対抗、北アイルランドではアイルランド共和国との統合を求める勢力(ナショナリスト)への対抗として、統一の維持を強調する目的で使われる名称である。メイ(Theresa May)首相も2019年5月24日の党首辞任表明の演説では、「保守統一党の党首を辞任する」と表明している。
こうした英国の「国のかたち」は、1707年の合同法(Acts of Union)によってイングランド王国とスコットランド王国が合併し、グレートブリテン連合王国が誕生したことに遡る。スコットランドが独立すれば、300年以上にわたる英国の歴史が覆ることになる。規模からいっても歴史的成り立ちに鑑みても、スコットランドの独立は「一地域の分離独立」ではなく、連合王国の分裂なのである。
スコットランド独立問題への影響
EU離脱の行方次第では、まずはスコットランドの独立運動の再燃が懸念されている。スコットランドでは2014年9月に独立の是非を問う住民投票が実施され、その際は約45%対55%で独立が否決されたものの、独立派が勝利する可能性も現実に存在していた。ロンドンの英国政府は必死の独立反対キャンペーンを実施したのである。
そのようなスコットランドは、2016年6月のEU残留・離脱を問う国民投票では、約62%が残留に投票した。英国内で地理的に「辺境」に位置するスコットランドにとっては、EUという大きな枠組みの中にいることが不可欠だと認識されてきたのである。その結果、イングランド主導の英国が「合意なき離脱」を含むハード離脱に突き進むのであれば英国を離脱すべきだとの声が、国民投票直後から存在している。一部は、独立を問う再度の住民投票の早期実施を求めている。
スコットランド自治政府のスタージョン(Nicola Sturgeon)首相は、再度の住民投票に言及しつつも、実際には慎重な言動を維持している。というのも、もし2度目の投票を急ぎ、再び否決された場合には、独立の大義が崩壊する懸念があるからである。実際、各種調査をみてもスコットランド世論が割れていることが分かる。2019年4月のYouGovの調査では独立支持が49%に対して反対が51%だった。前年6月の調査に比べると独立支持が4ポイント上昇しているが、独立支持が過半数には届いていない。5年以内の住民投票実施の是非についても、賛成42%に対して反対が48%であり、反対が賛成を上回った[1]。
統一維持を求めるロンドンの立場からすれば、再度の住民投票の実施を許すことは大きなリスクが伴う。そのため、再度の住民投票実施には拒絶反応が根強い。保守党内でEU離脱に関する再度の国民投票への反対が根強い背景には、残留派が勝利することへの懸念とともに、EU離脱に関する国民投票が2度行われるのだとすれば、スコットランド独立に関する住民投票も再度行われるべきだとの議論につながることへの警戒が存在する。
こうして、スコットランドの独立をめぐる議論の文脈は新たな局面に入っているものの、英国からの独立の可能性が短期的に高まっているわけではない。住民投票の実施には英国政府の承認が必要であることに加え、独立を目指すのだとすれば、その機運を高めるプロセスも必要だからである。独立派にとっては確実に勝利できるタイミングを見極めなければならない。
ただし、英国がEUから離脱し、特に「合意なき離脱」の結果としてスコットランド経済が大きな打撃を受けるような状態に陥れば、独立(そして独立国家としてのEU加盟)を求める声が高まるシナリオが考えられる。このことは、スコットランド独立阻止の成否が、EU離脱に伴うスコットランドへの経済的損失の度合いにかかっていることを示唆している。
北アイルランド国境問題の扱い
Brexitに起因する連合王国の統一の危機という観点では、北アイルランドも無視できない。「Brexitカウントダウン(4)」で検討したように、英国のEU離脱後の北アイルランド・アイルランド国境の自由な往来の確保は、離脱交渉における最大の争点だった。同問題への解決策とされた「安全策(バックストップ)」への批判は根強く、EUとの間で合意された離脱協定が英議会で繰り返し否決される最大の原因にもなった。
北アイルランド国境における物品の通関手続き(=物理的障害)を回避するためには、北アイルランドがEUの関税同盟に準じた枠組みに位置付けられることが最低限不可欠である。そして、北アイルランドと英本土との間に税関のチェックポイントなどの境界線を設けない以上、英国全土をEUの関税同盟に少なくとも当面の間残留させる必要があるというのが、メイ政権の結論であり、そのようにEUとも合意したのである。北アイルランドと英本土の間の境界線の回避は、国家の一体性の維持という原理原則の問題だった。加えてこれは、メイ政権に閣外協力していた北アイルランド地域政党の民主統一党(DUP)の強い要求でもあり、少数与党の保守党として、そうした声を尊重せざるを得ない事情もあった。
しかし、保守党内を含め、北アイルランドに特別な利害や感情を有しない勢力にとって、現状は、「Brexitが北アイルランド国境問題解決の人質にとられている」状態である。北アイルランド国境問題ゆえに英全土がEUとの関税同盟に縛り付けられる、あるいはさらにはBrexitが実現しないとすれば、彼らは納得いかない。この問題さえなければ、EU離脱はスムーズに実現していたはずだという思いにもつながる。
2018年6月に当時外相だったジョンソン(Boris Johnson)は、ロンドン市内の内輪の会合で、北アイルランド国境問題を、(事前には騒がれたものの実際には大きな問題にならなかった)「コンピューター2000年問題」になぞらえ、「そんな小さな問題[北アイルランド国境問題]が大きな問題[Brexit]を左右するのを許していること自体が信じられない」と述べている[2]。現職の外相(さらには次期首相の最有力候補)の発言としては衝撃的だが、離脱派の本音であろう。
2016年の国民投票で北アイルランドは約56%が残留であったうえに、国境現場での深刻な混乱が懸念される「合意なき離脱」への反発は極めて強い。
北アイルランドとアイルランドとの間の物理的国境の回避を維持しつつ、英国(少なくとも英本土)のEU関税同盟からの離脱を達成しようとすれば、論理的には、北アイルランドと英本土の間に関税同盟や単一市場の内外を分ける境界線を引かざるを得ない。メイ政権は、これを問題外として断固拒否したが、ジョンソンの上記の「本音」に照らせば、英国の一体性への重視度合いは将来変化する可能性もないとはいえない。
その場合に、DUPの反発は大きくなるだろうし、英国からの分離とアイルランド共和国との統合を求める勢力が再び伸長することも考えられないことではない。いずれにしても、北アイルランド国境問題は今後もBrexitの焦点であり続ける。そして北アイルランドでは、1998年の和平合意(Good Friday Agreement)とそれを受けた立法により、アイルランド共和国との統合を求める声が多数になったと判断される場合には住民投票の実施が義務付けられている。
連合王国分裂を厭わない保守党員?
スコットランド独立問題と北アイルランド国境問題に共通しているのは、これらの問題のためにBrexitが犠牲になるのは耐えられないという声が、特に保守党内に強く存在することである。この観点で注目されたのは、2019年6月に発表されたYouGovによる保守党党員を対象とした調査結果である。それによれば、「スコットランドが英国を離脱する結果になったとしてもBrexitを実現したい」との回答が63%(反対29%)、北アイルランドに関する同様の質問に対しては賛成が59%(反対28%)だった。さらに、保守党が破壊されたとしてもBrexitを望むとしたのが54%(反対36%)だった[3]。
保守党の草の根党員レベルでEU離脱がいかに強く求められているかが明らかになった。これは英国においても衝撃をもって受け止められ、同時に実施されていた保守党党首選挙における党員投票に合わせて、いかに保守党員が、「平均的英国人像」と異なる人々であるかがメディアで喧伝されることになった。そこでは、保守党員の97%が白人、71%が男性、65歳以上が44%であることなどが指摘された。
しかし、そうした報道の出典となっている2018年のロンドン大学クイーン・メアリのベイル(Tim Bale)の研究によれば、労働党と自由民主党も党員の96%は白人であり[4]、保守党員だけが特殊であるとのイメージには注意が必要である。年齢構成については、他の政党も高齢化が課題となっているが、保守党において顕著なのは、75歳以上の党員の占める比率であり、これが保守党は15%になっている。ちなみに、労働党は4%、自由民主党は6%である。
いずれにしても、このYouGovの調査から窺われるのは、Brexitを契機として連合王国解体の危機が実際に生じているとすれば、それはスコットランドにおける独立運動による突き上げよりも、イングランドの側の、連合の維持よりもBrexitだという声によるものなのかもしれないとの現実である。北アイルランドに関しても同様である。加えて、北アイルランド国境問題については、これによって英国全土がEUの関税同盟に縛られ続けるのは容認できないとの――英本土、特にイングランドの――離脱派の苛立ちが存在する。
「合意なき離脱」も辞さないとの強硬姿勢は、スコットランドや北アイルランドから見れば「イングランド・ナショナリズム」なのだが、結局のところそれがスコットランドや北アイルランドの連合王国からの離脱(独立)運動を後押ししている構図なのである。
前回「Brexitカウントダウン(12)」で取り上げたBrexitをめぐる政治過程に関して指摘される憲政危機にしても、今回の連合王国分裂の危機にしても、何によって発生し、また誰が引き起こしているのかについては、今後とも注意深く観察していく必要があろう。
[1] “Scottish independence: Yes vote climbs to 49%,” YouGov, 27 April 2019, https://yougov.co.uk/topics/politics/articles-reports/2019/04/27/scottish-independence-yes-vote-climbs-49 (last accessed 24 June 2019).
[2] “Let Trump Handle Brexit: An Explosive Leaked Recording Reveals Boris Johnson’s Private Views About Britain’s Foreign Policy,” BuzzFeed News, 8 June 2018, https://www.buzzfeed.com/alexspence/boris-johnson-trump-brexit-leaked-recording?utm_term=.bfoXzn6M#.wfm6Bl1L (last accessed 28 June 2019).
[3] “Most Conservative members would see party destroyed to achieve Brexit,” YouGov, 18 June 2019, https://yougov.co.uk/topics/politics/articles-reports/2019/06/18/most-conservative-members-would-see-party-destroye (last accessed 24 June 2019).
[4] Tim Bale, “Britain’s party members: who they are, what they think, and what they do,” Mile End Institute, Queen Mary, University of London (January 2018), https://www.qmul.ac.uk/media/qmul/media/publications/Grassroots,-Britain's-Party-Members.pdf (last accessed 24 June 2019).
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