なぜ制度に注目するか
近年、経済発展における制度の重要性が、経済学者の間中でしだいに共有されつつある。そのきっかけとなったのは、20世紀末に起きた共産主義の崩壊であった。サンタ・フェ研究所のサミュエル・ボウルズは、次のように回顧する。
「ソビエト連邦と東ヨーロッパにおける共産主義の崩壊のあと、多くの経済学者は、国家所有が廃止された以上、資本主義的な諸制度が十分に機能する形で自然発生的に出現するだろうと自信をもって予言した。しかし、ロシアにおいて(中略)生まれた制度は、生産性を向上させるインセンティブも投資に向けさせるインセンティブもないものだった。(中略)[このことは]『良い制度は無償である』という通常の見方がいかに間違いであるかを如実に示している」(ボウルズ2013:14頁)。
マサチューセッツ工科大学のダロン・アセモグルとハーバード大学のジェイムズ・ロビンソンは、その共著『国家はなぜ衰退するのか』(Why Nations Fail)において、経済発展の過程で制度がはたす決定的に重要な役割を明らかにした(アセモグル・ロビンソン2013)。
『国家はなぜ衰退するのか』の要点と批判点
『国家はなぜ衰退するのか』は、原文で529頁、邦訳は上下巻総718頁という大作だが、その要点は大きく分けて次の3点にまとめることができる。本書の要点の第一は、豊かな国と貧しい国が生まれる根源的な理由を、「包括的な制度」(inclusive institutions)と「収奪的な制度」(extractive institutions)という制度の違いから説明しようとしている点である。「包括的な経済制度」とは、すべての人が参加可能である包括的な市場を生み出し、持続的な成長に不可欠の要素であるテクノロジーと教育への道を開く。他方、「収奪的な制度」は「包括的な制度」の対極にあり、社会の中のある集団から収奪し、別の集団の利益をもたらすために設計された制度である。経済制度と政治制度の間には強い相乗作用(シナジー効果)がある。十分に中央集権化された多元的な政治制度、すなわち「包括的な政治制度」が「包括的な経済制度」の長期的な持続を可能とする。
本書の要点の第二は、政治制度の優位性である。政治制度と経済制度の間には強い相乗作用が働くとされているが、著者らは政治制度が土台にあり、それに合わせて経済制度がつくられるとする立場に立つ。著者らは次のように述べる。「本書が示すのは、ある国が貧しいか裕福かを決めるのに重要な役割を果たすのは経済制度だが、国がどんな経済制度を持つかを決めるのは政治と政治制度だということだ」(上巻76頁)。
本書の要点の第三は、歴史的プロセスの強調である。著者らは次のようにいう。「カギを握るのは歴史である。(中略)ペルーがこんにち西欧や合衆国よりもずっと貧しいのは、ペルーの制度のせいであり、その理由を理解するためには、ペルーの制度が成立した歴史的プロセスを理解しなくてはいけない」(下巻243頁)。著者らがとくに注目するのは、当初は似通っていた2つの国が、しだいにかけ離れたものになっていくという「制度的浮動」(institutional drift)という概念である。制度的浮動のきっかけを与えたのは、歴史の偶然に他ならない。
啓蒙書のスタイルで書かれた本書は多くの読者を獲得したが、同時に数多くの批判にも晒されている。批判の第一の論点は、収奪的制度・包括的制度という概念の有効性にかかわる。たとえばコロンビア大学のジェフリー・サックスは、「アセモグルとロビンソンは、多くの異なる病気に対して一つの処方箋で対処をしようとしている医者のようだ」として、制度(とりわけ政治制度)をほとんど唯一の根拠に著者らが経済成長を説明していることを批判する(Sachs 2012)。
批判の第二の論点は、歴史的プロセスの強調という点にかかわる。アセモグルとロビンソンのモデルでは、為政者あるいは政治エリートが自らの利益をはかることを目的として経済制度をつくるので、収奪的政治制度の下では経済制度は自ずと収奪的なものとならざるを得ない。このことは多くの歴史的な事例によって確かめることができるが、例外もある。なぜある国が包括的制度の導入に成功し、他の国がそうできなったのかについて、著者らは、制度的浮動という概念を利用して、当初の小さな違いや歴史的事件、すなわち、その国の歴史によって成功を説明しようとする。生物地理学者のジャレド・ダイヤモンドが批判したように、「だれがどこでいつ何をするかに依存して、よい制度は世界中でランダムに生まれる」(Diamond 2010)ことになってしまう。
批判の第三の論点は、理論の実践面での有用性についてである。歴史学者のフランシス・フクヤマは、包括的制度と・収奪的制度という概念があまりにも広範囲であるため、どのような種類の制度が成長を促進するために必要かという、より重要な問題に筆者らは答えていないと批判する。フクヤマ曰く、「よりリアルな世界は、収奪的制度と包括的制度のなんらかの組み合わせで成り立っているから、ある程度の成長(あるいはその不在)は包括的制度か収奪的制度によって事後的に説明できてしまう」(Fukuyama 2012)。
中国の経験をどう評価するか
アセモグルとロビンソンの議論に対する批判のいま一つの論点は、改革開放後の中国の経済発展をどう評価するかである。著者らは本書において改革開放後の中国の経験に何度も言及している。そして、「中国の独裁的かつ収奪的な政治制度下での成長はまだしばらく続きそうではあるが、収奪的な政治制度が転換しない限り、真に包括的な経済制度と創造的破壊に支えられた持続的成長には転換しないだろう」と結論づける(下巻257頁)。
この結論はきわめて穏当なものに見えるが、はたして中国の現状をどれほどうまく説明できているだろうか。ピーターソン国際経済研究所のアルビンド・サブラマニアンは、中国とインドを対比しながら、アセモグルとロビンソンの議論の問題点を指摘している(Subramanian 2012)。サブラマニアンは、Y軸に経済発展の指標、X軸に民主化の指標をとり、中国とインドを図の中にプロットしてみせた。アセモグルとロビンソンは、独立変数X(政治)が従属変数Y(経済)を決定すると捉える。図に描かれた45度線は経済発展と民主化との密接な関係を示し、ほとんどの国はこの線の周辺に位置すると考えられるが、中国は左上、インドは右下と例外的な位置にある。すなわち、インドは民主化のレベルから見ると経済的に未発達であり、中国は民主的な制度を欠いているが経済的に豊かである。
中国もインドも現時点では例外的な位置にあるわけだが、中長期(たとえば20年とか30年)を考えると、両者は、45度線に近づいていくとアセモグルとロビンソンは予測するかもしれない。インドは別にして、少なくとも1980年の中国は確かに線上近くにいたわけだから。しかし、インド政治が権威主義になるとか、中国経済が崩壊するなど、45度線に近づく方法は他にもあるとサブラマニアンは批判する。要するに、中国がなぜ30年から40年の高度成長を抑圧的な政治体制の下で実現できたのかを、アセモグルとロビンソンは明確に答えていないとするのである。
アセモグルとロビンソンがいうように、(どのように政治制度の転換が起きるかは別にして)、収奪的政治制度を変えない限り、中国の近未来はそれほど明るいものではないかもしれない。しかし、筆者は、収奪的政治制度の下ではいかなる成長も期待できないとする悲観論にも、包括的政治制度さえあればすべてがうまくいくとする楽観論にも立つことができない。中国の「国情」に見合った政治制度と・経済制度を継承し、発展させていくこと以外に、この国が成長を持続させる道はないと考えるからである。「新石器革命以来の世界各地の政治的および・経済的発展の概要」を一つの単純な理論から説明しようとして、アセモグルとロビンソンは包括的制度と収奪的制度という概念にたどり着いた。このことは、逆説的だが、一つの単純な理論では説明しきれないほど世界は多様だということを示している。
参考文献
Diamond, Jared,“What Makes Countries Rich or Poor?” The New York Review of Books, June 7, 2012. Fukuyama, Francis,“Acemoglu and Robinson on Why Nations Fail,” American Interest, March 26, 2012. Sachs, Jeffery,“Government, Geography, and Growth: The True Drivers of Economic Development”, Foreign Affairs, Vol.91, No.5, pp.142-150, 2012. Subramanian, Arvind ,“Which Nations Failed? Democracy, Development, and the Uncooperative Realities of Chinese and Indian History,” American Interest , October 30, 2012. アセモグル・、ダロン・、ロビンソン、・ジェイムズ『国家はなぜ衰退するのか―権力・繁栄・貧困の起源』(鬼澤忍訳)早川書房、2013年。 加藤弘之「包括的制度、収奪的制度と経済発展:アセモグルとロビンソンの『国家はなぜ衰退するのか』を読む」『神戸大学経済経営研究年報』第63号、2014年。 ボウルズ・サミュエル『制度と進化のミクロ経済学』(塩沢由典ほか訳)NTT出版、2013年。