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【Views on China】中国研究者が読む『21世紀の資本』

April 14, 2015


神戸大学大学院経済学研究科教授
加藤 弘之

中国研究者が読む『21世紀の資本』

フランスの経済学者、トマ・ピケティ(Thomas Piketty)が2013年に出版した『21世紀の資本』が世界的なベストセラーになっている。2014年末に出された日本語版も1ヶ月あまりで販売部数が13万部を超え、分厚く高価な専門書としては異常ともいえる売れ行きだ。ベストセラーにあやかって、主要な経済誌は例外なく特集を組み、本のエッセンスだけを取り出した解説本が店頭に並び、NHKが6回シリーズの特別番組を放映するというフィーバーぶりである。

『21世紀の資本』は、(1)格差拡大という多くの人が関心を持つテーマを選んだこと、(2)注意深く集められた膨大なデータをもとに、経済学の素人でもわかる平易な言葉で格差拡大の歴史的トレンドを解説したこと、(3)格差縮小のための大胆な具体策を提案していること、などに特徴がある。しかし、それだけではベストセラーが生まれる理由にはならない。米国、EUや日本を含めた先進国でも、中国やインドなど新興国でも、民主主義と資本主義が経済成長をもたらし、明るい未来が見通せると考えることが次第にむずかしくなり、貧富の格差が拡大して、生活がますます苦しくなっていると考える人たちが増えていることが、本書をベストセラーに押し上げた本当の理由だろう。

本書の出版以来、にわかに巻き起こった格差論争には賛否両論あり、ある経済誌によれば、ピケティの賛同者が7割、批判者が3割だという。今後、論争がさらに活発化していくのか、一時期のブームで終わるのか、現時点では判断できないが、中国経済に関心を持つ一研究者として、『21世紀の資本』を読んだ率直な感想を述べ、中国への示唆を考えてみた。

クズネッツの逆U字仮説への批判

本書を読んで第一に衝撃を受けたのは、サイモン・クズネッツ(Simon Kuznets)が提起した格差と経済発展に関する逆U字仮説を、ピケティが真っ向から批判していることである。クズネッツの逆U字仮説とは、経済発展の初期段階では格差は小さいが、発展が進むにつれて格差が拡大し、その後は縮小に向かうとするものである。この仮説は、経済学者には広く受け入れられてきたが、クズネッツは1913年~1948年の米国のデータに基づいて推論を行っており、ピケティ自身が収集した19世紀から21世紀にかけての長期データに基づくと、この仮説は成立しない。ピケティは次のように指摘する。

魔法のようなクズネッツ曲線理論は、相当部分がまちがった理由のために構築されたものであり、その実証的な根拠はきわめて弱いものだった。・・・成長が自動的にバランスのとれたものになるなどと考えるべき本質的な理由などない。格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え始める時期はとうに来ているのだ(邦訳書17-18頁)。

ピケティによれば、19世紀に高止まりしていた格差は、20世紀初頭から1970年代まで縮小し、その後拡大に転じた。20世紀初頭からの半世紀あまり、格差が拡大しなかった理由は、2度の世界大戦と大恐慌による物的資産の破壊、資産価値の減少、政府による高い税率が富の収益率を押し下げる一方で、生産性と人口の急増が成長率を押し上げたからだと、ピケティは説明している。この説明は本書の核心部分でもあるが、ここでは詳論しない。ポイントは1970年代末から21世紀にかけて、先進国はもとより新興国でも格差は拡大傾向にあることである。

格差の拡大は、改革開放後の中国が抱える問題点としてしばしば指摘されるが、前記のとおり、格差が拡大しているのは中国だけの問題ではなく、程度の差はあれ、先進国や他の新興国にも共通している。ピケティのデータが信頼できるとすれば、中国の主流派経済学者が主張するように、市場化を徹底すれば格差は自ずと縮小するはずだという確信は、誰も持てないはずだ。

人的資本論への疑念

本書の第二の注目点は、人的資本論に対する強い疑念である。経済学の教科書では、賃金は限界生産力に等しい水準に決まる。生産ラインに並んだ労働者の列に一人追加すると、どれだけ生産が伸びるか(限界生産力)を計算し、賃金に見合うだけの生産増加がなければ、経営者は労働者を追加しない。この考えは、単純労働の場合には正しいとしても、より複雑な労働にも当てはまるだろうか。単純労働者より技能労働者や管理労働者(経営者)の賃金が高いのは、そうした技能を持つ者が相対的に不足していることに加え、教育や訓練を通じて、高い人的資本を獲得したからだと説明する。しかし、これは本当だろうか。ピケティは次のような疑念を呈する。

教育と技術は長い目で見ると重要な役割を果たしている。しかしながら、労働者の賃金は常にその人の限界生産力、つまり主にその技能で完全に決まるという考えに基づいたこの理論モデルは、各種の面で限界がある(邦訳書320頁)。

ピケティがとくに注目するのは、米国に典型的に見られる「スーパー経営者」の台頭である。近年における米国での超高所得の激増は、所得上位1%への富の集中をもたらして、格差拡大の最大の要因の一つとなっているが、「スーパー経営者」の報酬が限界生産力で決まるとは、到底考えられないとピケティは指摘する。経営者の限界生産力を正確に計算することなどできないからだ。

中国においても、国有企業の経営者(しばしば共産党の高級幹部と重なる)の高給がしばしば問題にされる。上場国有企業CEOの中で、2013年の年収が最も高かったのはコンテナ製造会社、中国国際海運集裝箱集団(CIMC)の麦伯良総経理で、869万7000元(約1億4680万円)だった。上場国有企業CEOの平均年収は77万3000元(約1300万円)で、都市労働者の平均年収5万2000元の15倍という高さである。グローバル化が進む中で、優秀な経営者を確保するためには、経営者の報酬も国際水準に従わなければならないという、もっともらしい議論がある。しかし、米国の経営者の高給に正当な根拠がないなら、この議論も疑わしいといわざるを得ない。ピケティが皮肉まじりにいうように、「最も稼ぐ者が自分の給料を自分で決めるなら、その結果、格差はどんどん大きくなりかねない」のである。

資産格差への注目

第三に、私が注目したいのは、格差を測る指標として、ピケティが資産(資本)に注目した点である。経済学者は、労働と資本というまったく異なる要素を混ぜ合わせたジニ係数のような総合指標で格差を測定してきたが、それでは格差の多様な様相とそこで働いているメカニズムをはっきり区別できないと、ピケティは批判する。

ピケティによれば、所得格差は、労働所得の格差、所有資本とそれが生む所得の格差、そしてそれら二つの相互作用の三つによって決まる。前記のとおり、今日では労働所得にも大きな格差が存在するが、どの国も例外なく所有資本が生む格差の方が格段に大きい。比較的所得分配が平等なスカンジナビア諸国でさえも、所得のトップ10%が総賃金の約20%を受け取る一方、最も富裕な10%が富の50%を所有している。ピケティが例示したように、有能なファンドマネージャーを雇うことができる大きな基金を持つ大学ほど、その収益率は高い。資本は規模が大きくなればなるほど、より高い収益を生む傾向があるのである。

それでは、いまなぜ資産に注目するのか。19世紀は、資産の有無が豊かな生活を保証するかどうかを決める重要な要素であったことを、バルザックの小説を引用しながら、ピケティは印象的に語っている。今日では、「スーパー経営者」の台頭や「世襲(あるいは資産を持った)中間層」の出現により、こうした構図に変化が生じ、相対的に労働所得の重要性が高まった。しかし、人口増加率が低下し、低成長が続けば、19世紀がそうであったように、今後は世襲資産の重要性が次第に高くなると、ピケティは警鐘を鳴らす。

翻って中国について考えてみよう。人民共和国の最初の30年、中国は集権的な社会主義体制の下で、資産を保有することが厳しく制限された。1970年代末の改革開放後、いわば無一文からの経済復興が始まり、35年が経過した。この間、一世代で財を築いた民営企業家が出現するなど、この時期に生じた格差は主に労働や才覚による差異を反映したものだったといえるだろう。ただし、他国にはない中国の特徴として、「関係」(コネ)と呼ばれる非物的資産が、資産形成に一役買ったことも指摘しておく必要がある。いずれにせよ、中国においても物的資産の有無が格差の大きな要因になる時期がすでに始まっている。相続税や不動産への課税など、格差拡大に歯止めをかけるためには、資産課税に関わる税制度の整備が急がれる。

中国の優位性

ピケティは、国際協調による資産累進課税の導入の必要性を説く。この点は、実現可能性が低いと多くの論者が批判するが、同時にピケティは、歴史の重要性にも注目している。かつてはヨーロッパより平等であった米国が、今日では先進国の中で最も格差が大きい国になっている事例が示すように、格差は、国ごとの歴史によって異なる様相を呈している。したがって、格差への対応策も、それぞれの国が自らの歴史の中から見つけ出す必要があると、ピケティは指摘する。グローバル化が進む中、一国だけで資産課税をしても(税の逃避などのため)効果が薄いのは間違いないが、一国でもある程度の効果が期待できる大国もある。米国がそうだし、中国もそうである。

中国は、国の規模が大きいこと以外に、いま一つ米国にない優位性がある。それは中国の政治経済システムの独自性である。中国は、共産党の一党独裁体制の下で、資本の自由な活動を制限し、土地は国有(もしく集団所有)で、主要な産業分野では国有企業が支配的な地位を占めている。こうした特異な政治経済システムはしばしば批判の対象とされるが、裏返してみれば、このシステムには先進国とは異なる方法で格差拡大を防ぐ手段が備わっていると見なすことができる。習近平政権には、この優位性を是非とも活用してほしいものである。

    • 神戸大学大学院経済学研究科 教授
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