評者:五百旗頭 薫(東京大学社会科学研究所准教授)
導入
日本研究が世界史に連なる展望を切り拓こうとする場合、大航海時代の東アジア(本書では東南アジアを含めた広く環シナ海地域を指す)の国際関係は、有望なテーマである。単に大航海時代のヨーロッパが東アジアと交流したためではない。ヨーロッパが東アジアを「発見」し得た前提として、一五・一六世紀の東アジア内在的な大航海時代、交通網の発展があったためである。このような東アジアの面としての成熟を押さえることで、ヨーロッパと東アジアとの交流の点描を越えた歴史的把握が可能になるであろう。
こうした問題意識自体は、本書を待つものではないが、本書の狙いは、この問題意識に沿った研究を、共時的には日本・中国・朝鮮・ヨーロッパの資料を博捜し、通時的には明の海禁政策の推移と連関させながら、徹底して遂行するところにある。「日欧通交の歴史的前提」という短い副題からは、著者のそうした意気込みが伝わってくる。
目次
序章 ふたつの三国のはざまで
第1部 室町幕府と遣外使節
第一章 室町幕府の外交奉行
第二章 諸国王使をめぐる通交制限
第三章 中世後期における外国使節と遣外国使節
第2部 使船から夷船へ
第一章 『戊子入明記』に描かれた遣明船
第二章 倭寇的遣明使節
第三章 日欧通交の成立事情
第3部 夷船交通の成立
第一章 フィレンツェ国立文書館所蔵史料にみる大航海時代点描
第二章 一六世紀後半のフィリピン
第三章 天正遣欧使節とアレッサンドロ・ヴァリニャーノ
終 章 新たなる三国世界への海図
概要
副題に直結する論点を中心に、簡単に内容を紹介したい。
海禁政策の下、対明貿易によって利益を得られない環シナ海海域の不満を一定程度吸収したのが、使船の派遣とそれに伴う交易であったと本書は示唆している。前期倭寇が沈静した後、日本から盛んに派遣された使船は、経済的には倭寇を代替するものであったといえよう(実際、朝貢使節という言葉からはイメージし難いような随員の素行・紛争が記録されている)。
財政的な理由から室町幕府が明・朝鮮の使節の受け入れを謝絶するようになると(それぞれ一四三四年・四三年が最後の使節)、日本国内の状況を明・朝鮮の使節によって本国へ報告される恐れがないため、遣明・朝鮮使船の準備はより安上がりな九州近辺で行われるようになる。これが、使船の潜在的倭寇としての性質を強めることになった。
しかも、使船派遣に伴う経済的利益をめぐって、中央の諸勢力(幕府・細川氏)が九州の諸勢力(大内・大友氏)とそれぞれ提携して、縦断的な対立関係を描くようになった。この対立を助長したのが、勘合の流通である。元来、勘合は幕府や寺社や大名が出立直前の使船に発給したものであったが、やはり財政事情により一四六八年の使節から進物の準備を商人に負担させるようになったようである。交易が成立する保証として商人に対して勘合を早めに提示しなければならず、勘合が流通する時間的な余裕が成立した。この勘合の売買・争奪(時に窃盗という手段にも訴えたという)という形で政治的な競合が展開したのである。
日本側の勘合管理の弛緩は使船に元来あったいかがわしさを増幅させ、使節側と明側のトラブルが増大する。一五二三年の寧波の乱はそれが激化したケースである。東アジア内の通交は、このように非正規化した使船を含め、海禁制度の外で活動した夷船によって担われるようになったと本書は述べる。
続いて本書は、この夷船の交易ルートを推定し、日欧通交に説き及んでいる。朝鮮・琉球が海禁を遵守していたのに対し、日本は遵守せず、中国島嶼部においても必ずしも徹底されていなかった。そのため一六世紀半ばには日本と中国島嶼部を経由したジャンク交通網が成熟しており、これを介してポルトガル人も参入したのである。明の倭寇征伐により海禁が中国島嶼部にも及ぶようになると、丁子で有名なマルク諸島からフィリピンを経由したルートが開拓され、イエズス会・ポルトガルもこのルートの存在に気付いていたようである。マルク諸島は、一四九四年のトルデシリャス条約によってもスペイン・ポルトガル間の帰属が確定せず、一六世紀に入ってからも抗争が続いた世界史的な焦点である。ここが日欧通交の起点としても期待されていたという本書の仮説は興味深い。
評価
以上のような経緯は、様々な言語・地域で遺された、しばしば断片的な資料を渉猟し、厳密に考証することによって構成されたものである。著者の調査力・分析力には圧倒される。日欧通交の歴史的前提についての叙述と比べると、日欧通交そのものの叙述は著者も認めるようになお仮説的である。しかし魅力的な仮説であり、しかも巻末には七〇頁に及ぶ日本関係既刊欧文書簡のリストが掲載されている。今後の研究の発展に大いに資するものであろう。
著者の視野は、国や言語を超えるだけでなく、研究領域をも超えている。例えば、著者は使節の派遣・受け入れに関わる幕府機構を論じているが、遣明使節と遣朝鮮使節とを比べた場合、後者の態勢の方が有力寺院の奉行が関与するといったように、より多元型かつ分権的である。著者は政所執事伊勢氏の発簡一五〇余通を宛先・署名状態・内容により分類することで畿内寺院に対する支配力の弱さを確認し、幕府権力の不定型によって対外機構の不定型を説明している。また、先に述べた遣明使船をめぐる中央と九州の縦断的な対立についても、従来は細川氏と大内氏との対立と思われていたものを、幕府と細川氏の対立として再解釈することでやはり幕府論に及ぶ射程を示している。
本書が扱うのは鎖国前史ともいうべき国際化の時代であるが、これを分析するためにはまず知的鎖国状況を打破しなければならない、というのが著者の根本的な問題意識であろう。
個別の専門領域からの批判は免れないかもしれない。著者の緻密な推論は恐らくこれに耐えるであろう。しかし、近代日本政治外交史という領域に鎖国している評者の感覚では、推論が論理的であるだけに、著者の解釈以外の可能性もかえって排除されないように思うことがある。評者が、比較的豊富な資料を、人間の判断・発話や、その記録が成立・残存することの偶然性を念頭に取捨して、様々なストーリーを想像することに慣らされているためであろう。資料が絶対的に乏しい古代史であれば、こうした贅沢は滅多に望めない。しかし中世史まで来ると、読み手として高望みしてしまうのである。
とはいえ、様々な問題群を総合的に把握することではじめて個別事象を正確に理解できる、というのが国際関係の―特に大航海時代の―特徴であろう。そこでは、著者が実践して見せたような、熟慮の末の歯切れの良い判断が不可欠であって、この点で我々が生きる時代と大きくは異ならないような気がする。専門外であることを顧みず、紹介を試みた所以である。
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