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平成を読み解く――政治・外交検証
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平成を読み解く――政治・外交検証 連載第1回「平成デモクラシー」と財政・社会保障改革

January 30, 2019

平成の時代が2019年4月で終わる。冷戦の終結とグローバリゼーションのスタートとともに幕を開けた平成とはどのような時代だったのか。政治改革は何をもたらし、どのような力学で統治システムは変化してきたのか。内政と外交はどう関連し、相互作用を及ぼしてきたのか。激動の30年をたどり、ポスト平成時代の政治・外交課題を提示する。

※本稿は2018年10月16日に開催した政治外交検証研究会「平成30年を読み解く――平成の政治・外交を検証する」の議論、出席者作成資料等をもとに東京財団政策研究所が構成・編集したものです。文中敬称は当時。

【出席者】(敬称略、左から)
清水 真人(日本経済新聞編集委員)
竹中 治堅(政治外交検証研究会メンバー/政策研究大学院大学教授)
宮城 大蔵(政治外交検証研究会幹事/上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科教授)
五百旗頭 薫(政治外交検証研究会幹事/東京大学大学院法学政治学研究科教授)*モデレーター兼コメンテーター

とらえがたい平成時代

五百旗頭 本日の研究会の起源は、20181月の研究会「明治150年を展望する」です。明治150年にあたる年初に、明治維新を振り返るだけではなく、明治維新後の150年をまるごとどう把握できるかを議論しました。

  その際に、150年を、30年ずつが5回繰り返されたと考え、それぞれの時代の性質を明らかにしました。最初の30年は明治維新から1898年までの日本が国民国家として自立する時代。2つめの30年は1928年までの戦前の政党内閣制が確立し、民主化が一つの頂点に達する時代。3つめの30年は1958年までの戦争をはさんで戦後体制が確立する時代。4つめの30年は1988年までで、冷戦終結までの時代。そして、最後の30年、つまり冷戦後かつ平成の時代が最もとらえがたいことを確認して、研究会は終わりました。本日は、この平成30年に集中して議論します。

  それでは、パネリストお三方それぞれにお話しいただきます。清水さんからお願いします。

小泉純一郎と安倍晋三――「強い首相」を可能にした包括的な統治構造改革

清水 私は「『平成デモクラシー』と財政・社会保障改革」というテーマでお話しします。

  第一に、「平成デモクラシー」とは何か、です。

  平成の30年間で首相が17人誕生しています。平均すると2年にも満たない在任期間で、短命な人が多かった印象ですが、平成の半ば以降、小泉純一郎(20014月~069月在任)と安倍晋三(20069月~079月、201212月~在任)という、それまでとは異質な、強い首相が登場しました。この2人のさまざまな政治決断をもたらした個人的資質はもちろん重要です。しかし、それら以上に、平成という時代の政治、つまり「平成デモクラシー」は、この時代に行われたさまざまな統治構造改革こそが実は主役であって、それによって初めて強い首相が出現したことが最大のポイントといえます。そこで、制度改革という眼鏡をかけて、平成の政治を振り返ってみます。

  17日に平成に改元された1989年を思い起こすと、対外的には冷戦終結とグローバリゼーションのスタートという激変がありました。少し遅れて国内的にはバブル崩壊や少子高齢化の進展という今日の人口減少、財政赤字をもたらす事態に直面します。これらにより、従来の政策や資源配分を大胆に変えなければ駄目ではないかという危機感が強くありました。個々の政策を大きく変えるためには、まず政策の決め方そのもの、政治や行政の仕組みから抜本的に変えなければ駄目だという気分に支配されていたのです。1990年代には政治改革と橋本行革の2つの大きな改革が行われました。さらに司法制度改革にまで進みます。

 特にインパクトが巨大だったのは、政治改革による衆院選への小選挙区制の導入です。小選挙区制は各選挙区で1人しか当選できず、死票が多い。半面、民意を大胆に集約して多数派を創出しやすい。政権交代の可能性という緊張感を政党政治にもたらす大変革でした。

  それまで自民党は派閥連合体で、選挙区定数が原則3から5の中選挙区制の下、各選挙区で有力派閥が競って複数の公認候補を立て、党内同士討ちもいとわずに過半数確保を目指していました。過半数の候補者を立てられる対抗野党や、野党連合政権を目指す現実的な動きはなく、首相は万年与党・自民党の総裁選での熾烈な派閥抗争から選ばれ、有力派閥間のコンセンサスに制約された形でしか、リーダーシップを発揮できない構造がありました。

  しかし、小選挙区制は、定数1なので、もはや党内同士討ちはありえません。候補者にとっては派閥の支援より政党の公認が何よりも大事になる。公認権と政党助成金の配分権を握った党執行部に求心力が移っていきます。政策も、候補者個人の中央から選挙区への利益誘導の約束より、政党が掲げる政策プログラム、いわゆる「マニフェスト(政権公約)」が重みを増していく。

 自民党という強大な政党が片方にあるわけで、小選挙区選挙でそれに対抗するため、非自民勢力では政権交代を目指す一大新党への再編が繰り返し起きます。政党本位の衆院選は二大勢力が競いあう政権選択選挙となる。有権者は政権の枠組みを選ぶのですが、それは政党のマニフェストを選ぶことであり、政党の「顔」たる党首から首相候補を選ぶことに直結します。

 最初の小選挙区選挙に向けて自民党が「党の顔」、つまり総裁に担いだのは、派閥の領袖ではないが、世論の支持率が高かった橋本龍太郎(19961月~987月首相在任)です。その橋本が首相主導の統治システムを志向したのは歴史の必然といえます。経済財政諮問会議の創設、内閣官房の企画立案・総合調整権限の強化、官邸の人事検討会議の創設など首相が閣僚や官僚機構に対し指導力を発揮しやすい権限の集中を進めました。

 こうして、派閥割拠と与党内コンセンサス重視型の55年体制から、支持率が高いことを背景に、政権選択選挙となった衆院選で信任を得た首相が、次の選挙までの期間限定ではあるが、強力なリーダーシップを発揮する政党政治のかたちへと大きく変わっていきます。

  そのことを如実に示したのが、小泉政治です。組閣人事で派閥の領袖の意向を無視して独断専行を決め込み、郵政民営化など重要政策で族議員が陣取る自民党政調会を飛ばして「首相の権力」をみせつけました。首相の権力行使の極致となったのが2005年の郵政解散です。

  私はその直後に初めての著書『官邸主導 小泉純一郎の革命』(日本経済新聞出版社)で、いま述べた小泉首相に至る政党政治の劇的な変容、いまいうところの「平成デモクラシー」論を主張しましたが、当時は十分な理解が得られなかったように思います。あれは異常な個性による異常な政治の時代だった、というのが自民党の小泉政治の総括で、55年体制のような「古い自民党」にまた戻りたい、早く記憶から消し去りたいという気分が濃厚に漂っていました。

  ポスト小泉期の自民党政権と、初めて政権交代を実現した民主党政権では、6人の首相が相次いで1年で倒れます。解散権を含めた首相主導を円滑にこなしきれず、衆参両院で多数派が異なる「ねじれ」国会にも対処しきれなかったためです。しかし、再び政権交代を果たし、再登板した安倍首相はねじれ国会を解消すると、小泉政治をしのぐ首相主導を加速させています。

  小選挙区選挙を梃子(てこ)にした解散権の小刻みな行使、あるいは橋本行革をいまや上回るような、国家安全保障会議(日本版NSC)や内閣人事局の新設などの官邸主導を支える補佐体制を強化する統治構造改革の上に乗って、安倍首相は強力なリーダーシップを発揮しています。

  政策を大胆に変えようとして平成の統治構造改革は進められた。結果、強い首相が出現した。考えどころなのは、それによって政策決定の質は向上したのかどうかです。「政治は劣化した」「改革は失敗だった」という議論もあります。私はそこまでいいきる自信はありません。平成の諸改革には政治的な妥協の産物となった中途半端な部分もあれば、段階的に実施されて整合性を欠く部分も併存しますが、現状は「改革の失敗」なのか、それとも「改革の不足」なのか。両論がありうるでしょう。政策決定の質は向上したのかどうかも難しい問いです。

財政・社会保障――人口減少社会の持続可能性は確保されてきたか

  そこで第二に、「平成デモクラシー」による政策決定の変容と財政・社会保障の持続可能性についてお話しします。この30年、人口減少社会の持続可能性の確保にメドは立ってきたのでしょうか。

  「財政危機宣言」が出された1995年、国債残高は200兆円でしたが、2018年度末には900兆円に迫る見通しです。一方、国内総生産(GDP)は500兆円前後で推移し、いま政府は600兆円を目標に掲げています。経済成長より借金の増え方の方がはるかに速い。因果関係は説明できませんが、政治や行政が財政赤字膨張の歯止めになってきたかどうかは、はなはだ疑問です。

  では、さまざまな統治構造改革は意味がなかったのか。そうとは限りません。財政収支を改善するには突き詰めれば2つの方法しかありません。歳入を増やすか、歳出を抑制するかです。歳出抑制には、「財務省の査定」などより、首相主導のトップダウンで「上から枠をはめる」手法が不可欠です。「古い自民党」でのボトムアップ型の与党事前審査制では、歳出を抑えようとすると必ず総論賛成、各論反対になるので、とてもできなかったでしょう。

 橋本、小泉内閣の財政改革路線は、相対的に期間は短いのですが、トップダウンで上から枠をはめた時期には、財政収支は改善しています。また、安倍内閣は「バラマキ」といわれがちですが、これは、ややフェアではありません。社会保障改革についてはそれなりに枠をはめています。

 ただし、いくら歳出抑制で財政赤字に歯止めをかけようとしても、少子高齢化で、特に75歳以上の後期高齢者が増えていくと医療・介護費は急激に増えるので、赤字の問題はここに一極集中しています。とにかく歳出を切ればいいというわけにいかないので、どうしても安定財源の確保が必要です。

そうすると、薄く、広く、全世代から公平に大規模に財源を調達するには、やはり消費税率の引き上げしかないということが、ほぼコンセンサスだと思うのですが、こればかりは政権選択選挙や首相のリーダーシップだけで押し通すことはできなかったといえるでしょう。

  熾烈な政党間競争や、自公連立から民主党への政権交代など紆余曲折があって、結局、2012年に「みんなで渡れば怖くない」と政権担当を経験した民主、自民、公明三党で合意して初めて「社会保障・税一体改革」と銘打った消費税増税の立法が可能になりました。国政選挙の争点から外して、これは政権交代をも超越した与野党「共通の基盤」である、と当時は受け止めたわけです。

 ところが、安倍首相はある種の政局イノベーションで、増税延期や使途変更、さらにそれらと衆院解散・総選挙をセットにして新たな政権維持の方程式を創り出してしまった。いつでも政権交代がありうる時代に、法律を創っただけでは増税への政治のコミットメントが不足しているのです。法律は政権が代わり、多数派を組み替えれば、変えられてしまう。そうなると、もう一段、何か政治を縛るような仕掛けが必要だったといまにして思うわけです。

  では、どうすればよかったのか。

  3党合意が崩れたのは、安倍首相の増税延期のイニシアチブだけに原因があったのではありません。野党に転落した民主党が、安倍内閣が肉付けして立案した社会保障改革のプログラム法に自分たちの意見が十分取り入れられていないことから、先に3党合意に距離を置こうとした。そのことが安倍首相に、民主党と話をせずに独断で増税延期に動くスキを与えたと思います。

  3党合意で増税立法をしたとき、それをフォローアップする組織として安倍内閣になってから「社会保障制度改革国民会議」が設置されましたが、それよりも国会に法律に基づく超党派の協議機関を置き、与野党合意なしに新たな動きは取りづらい仕組みにする方が安倍独走の歯止め足りえたのではないか。あるいは、3党合意を発展させてありがたく神棚にまつり上げて拝むような、ある種の「憲法的規範」をこしらえることはできないか。端的にいうと、実効性に乏しくデメリットが大きいという憲法学者もいるのですが、憲法に財政健全化条項を書き込む、といった手もありうるのではないかと思うわけです。

ポスト平成の課題――「政権選択選挙+首相主導」のゲームを続けるなら

  最後に、もう一度総論に戻ります。この30年でわかったことは何か、これからどうするか。

  ここはメディアにも大きな責任があると自覚していますが、2大政党とか政権交代とかを論じるときに、「対立軸」といいすぎたのではないか。この30年、そういう議論をしている間に外交・安全保障も、財政・社会保障も日本の採りうる選択肢が狭まってしまった。むしろ、政権交代を超えた「共通の基盤」は何か、をもっと重視して議論しなければいけなかった。そのことが、3党合意とその崩壊をみてようやくわかったように思います。

  政権交代すれば、何でも自分たちの思いどおりに政策を変えられる、というものではありません。政権交代は野党の勝利ではない、与党が負けただけだ、と冷めて考える必要があります。与党ガバナンスの崩壊や権力者のスキャンダルで時の政権が信頼性を失ったときが受け皿、野党の出番なのです。その政策は前政権と8割方変わらないかもしれない。それでも「絶対的権力は絶対に腐敗する」以上は政権の選択肢が複数あり、期間限定で責任を取らせて代えうること、有権者が一票を投じて政権を選べること自体に意味があると考えています。

 いまの安倍一強と絡めていうと、過去2回の解散権の行使は、いまお話しした「平成デモクラシー」の政党政治システムに対する過剰適応ではなかったかと思います。これだけ首相主導が強化された後なので、解散権の制約の問題を正面から議論してもいい時期に来たでしょう。ただ、解散権を制約するといっても、参院が好き勝手に政争をやっている現状で、内閣には衆院を制御する解散権もありません、と単純に解散権をなくすのではまたバランスが悪すぎますので、これは衆参の二院制のあり方の問題に直結します。

 また、野党と官僚制にまたがる話としては、「政権交代を目指す」といっても、例えば衆院選が近づいたときに、野党が官僚組織からきちんとした政策の情報を得て、それなりに合理的な政策を形成できるよう、政官接触ルールの明確化が必要です。解散権の制約、野党の再建、二院制の問題、政と官のルールは、包括的にいま一度議論する価値のある問題群だと思います。

  最後に、スタンフォード大学名誉教授で、東京財団特別上席研究員だった故青木昌彦先生の言葉をご紹介します。彼は平成以降の日本政治・経済・社会の変容を「移りゆく40年」ととらえ、「制度とは一般に政治・経済・社会のさまざまなルールに関する人々の共通認識に関わるものだと考えれば、このプロセスの行く先に、良きにつけ、あしきにつけ、はっきりと人々の間で共通に認識されるような進化が生じるまで、世代交代の一世代というようなスパンが必要かもしれないという覚悟がいる」と書き遺されています。いまはその過渡期だとすれば、不安定な局面が続くであろうし、「40年」までまだかなりの時間がある。そういう思いで平成政治をみています。

第2回に続く

    • 政治外交検証研究会幹事/ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/東京大学大学院法学政治学研究科教授
    • 五百旗頭 薫
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    • 日本経済新聞編集委員
    • 清水 真人
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    • 政治外交検証研究会メンバー/ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/政策研究大学院大学教授
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