神奈川大学法学部教授
佐橋 亮
ドナルド・トランプ政権のアメリカで、中国をみる視線が厳しさを増している。
それは、関税応酬を引き起こしている多額の対中貿易赤字のみに起因するものではない。または米朝首脳会談の前後に存在感を増してきた中国の朝鮮半島政策から生まれたものでもない。
より大きな、対中認識の地殻変動が今、アメリカでうごめきつつある。
アメリカ政府の政策に、中国への厳しい視線は反映されつつある。たとえば昨年末に発表された『国家安全保障戦略』は、中国、ロシアとの競争という世界観が色濃く反映されている。アメリカは、中露両国が国際社会に統合されることを前提にした(冷戦終結後の関与政策的な)アプローチから脱却すべきであり、中国はインド太平洋地域からアメリカを閉め出そうとしていることを認めた上で政策的対応を採るべきとした。
ヘルシンキ・サミットにもみられたように、トランプ大統領の対ロ認識は混乱しており、また政権内外にはロシアとの接近を対中国のカードとして使う発想もあると言われる。少なくとも、中国に対する警戒心が極めて高まっていることは事実だ。
今年に入ってから、閣僚の「インド太平洋」をめぐる発言からも、その傾向は確認できる。たとえば、6月にシンガポールで行われたシャングリラ・ダイアローグ(第17回IISSアジア安全保障会議)において、ジム・マティス国防長官は、中国が南シナ海に建設した人工島の軍事拠点化を進めていることを強い言葉で非難した。太平洋軍(PACOM)がインド太平洋軍(INDOPACOM)に改名されることも直前に発表されていたが、マティス長官は「自由で開かれたインド太平洋」の重要性をここでも訴えようとしていた。
マイケル・ポンペオ国務長官も続く。7月30日、全米商工会議所主催のフォーラムで演説したポンペオは、アメリカがアジアのインフラ整備のために資金を用意して積極的に関わると明言した。これは「一帯一路」構想をはじめ、経済外交を強める中国政府の動きを牽制するため、代替的な資金調達先を提案するものと考えられている(2017年10月にレックス・ティラーソン前国務長官もそのアイディアには触れていた)。
中国の経済外交はリベラル民主主義に向かう各国の流れを逆行させ、さらに不透明で、国際基準を満たさない援助と批判されることが多い(財政の健全性を損なわせるだけでなく、中国による介入を招くこともあるため「債務の罠」と称される。スリランカやパキスタンなどが例としてあげられる)。そこでポンペオ長官は、「自由」には他国による強制からの保護、良き統治、基本的人権が含まれ、「開放」には海空路のアクセスや紛争の平和的解決、公正で互恵的な貿易、投資、透明性、連結性が含まれると、中国の動きを十分に念頭に置いて「自由で開放的な」インド太平洋構想を描いている。
2017年秋のトランプのアジア歴訪では、「自由で開かれたインド太平洋」は言及されたものの煮詰まったものではなかった。もちろん現時点でも政策の姿が見え始めたに過ぎないが、「国家安全保障戦略」を経て中国を念頭に置いたアジア政策は徐々に形にされている。
今年6月には、最先端の技術・知的財産を窃取・侵害したり、合弁企業設置を強制して差し出させたりする振る舞いを厳しく糾弾する報告書もホワイトハウスより公表されている。対応するように、中国の対米投資規制の新たな枠組みも設けられた。対中貿易赤字削減などで強硬姿勢をとるナバロ大統領補佐官の部局より出されているため経済ナショナリズムの一環ともみられているが、他方で投資規制や留学生規制につながるこれらの問題意識は、より広いサークルで共有されている。
中国への警戒心の強さは、日本はじめ本来アメリカの対中政策が手ぬるいのではないかと、オバマ政権以来批判を繰り返してきた同盟国の政策担当者や研究者にも驚きを与えるほどだ。
それはトランプ政権に留まらない。
オバマ政権期に国務省でアジア外交を担った元高官2名は今春、中国がやがて国際社会にとって望ましい存在になるという前提を捨て去ることが必要だと、自省にも聞こえる一文をフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿している。「あらゆる立場からの政策論争が間違っていた。中国が段階的に開放へと向かっていくことを必然とみなした自由貿易論者や金融家、国際コミュニティへのさらなる統合によって北京の野望も穏健化すると主張した(国際システムへの)統合論者、そしてアメリカの揺るぎない優位によって中国のパワーも相対的に弱体化すると信じたタカ派など、 あらゆる立場からのすべての主張が間違っていた。」(カート・キャンベル、イーライ・ラトナー「対中幻想に決別した新アプローチを」『フォーリン・アフェアーズ・レポート』2018年4月号)
中国を外から変化させることはできず、むしろ中国は独自の秩序構想に語勢を強め、権威主義的な統治モデルを輸出しようともしている。民主党の政治任用者がその点を正面から認めたことは重要だろう。なお、共和党系では、ブッシュJr.政権のホワイトハウスに勤務した経験のあるアーロン・フリードバーグ教授(プリンストン大学)が、そのように中国台頭の本質を分析し、競争を全面に押し出した戦略の必要性を長きにわたり訴えている。フリードバーグ教授の見解については、稿を改めて紹介したい。
これまでに大きく関心を集めてきたとはいえないテーマに関しても議論は広がっている。例えば、今年3月の議会下院の公聴会では、気鋭のメディア研究者が、アメリカの映画産業が中国政府を刺激するような表現を自己規制していること、さらに中国の関係者が「望ましい」映画コンテンツのあり方をロサンゼルスでレクチャーしているという生々しい現実を証言した。人気を博すエンターテイメント映画では、中国市場での収益がアメリカ市場に並ぶほど大きいという事実が、この背景にある。(Aynne Kokas, “U.S. Responses to China’s Influence Operations, Testimony at House Foreign Affairs Committee, Subcommittee on Asia and the Pacific, March 21, 2018.)
さらに、中国が協力者を募り、民主主義社会の内側に入り込もうとしていると、政治ツールへの警戒もある。昨年末に公表された全米民主主義基金(NED)の報告書を皮切りに、中国、ロシアが民主主義社会のなかに多様なチャンネルで入り込み、政治家・政党から学者、メディア関係者まで多くの人物が特定国に忖度した発言や行動をとる「シャープ・パワー」という概念も、少なくともワシントンでは人口に膾炙するようになった。(『中央公論』2018年7月号の特集を参照して欲しい)
このように例を挙げてみても、中国が投げかける挑戦に、実に多面的に懐疑の目が向けられていることに気づくだろう。
東京財団政策研究所「 2020年アメリカ大統領選挙と日米経済関係プロジェクト 」の一環として、筆者はこれからアメリカにおける対中認識を探る分析を提供していこうと考えている。
過去40年にわたるアメリカ・対中関与政策の背景にあった中国への期待は薄れつつあり、中国との来たるべき本格的な競争に、党派を問わず、立場を問わず、多くのアメリカ政府関係者、有識者が備えを本格化させている。その認識をつまびらかにしたい。
ただし、筆者はアメリカの対中政策が2018年を転機に、これから対決一色になると断言するには早計だとも考えている。1)経済的な依存から生じる関係維持の構造的圧力(米産業界は一枚岩ではない)、2)中国による懐柔策、3)トランプ氏特有の権威主義体制の指導者との個人的関係への依存、といった要因が依然として大きいためだ。
それゆえ、結論を急ぐのではなく、トランプ政権がこれまでの対中国政策の枠、すなわち摩擦のなかでも二カ国関係を維持するため一定の配慮をみせて修復力を働かせることがあるのか、慎重に検討を加えていきたい。
【連載記事】
アメリカと中国(11)バイデン政権に継承される米中対立、そして日本の課題(2021/3/15)
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