神奈川大学教授・同アジア研究センター所長
佐橋 亮
アメリカでは政府を挙げた、対中強硬論の政策化が進展している。貿易赤字の削減を重視する経済ナショナリストだけでなく、軍を中心にした安全保障コミュニティも「貿易戦争」をひとつの機会に対中警戒論に語勢を強めている。
そこに存在するのは、有り体に言えば覇権交代への恐怖であり、オバマ政権期と異なり、中国がアメリカのパワーに肉薄することが現実味を伴ってワシントンの要所に浸透してきたということだろう。(オバマ政権もアジア・リバランスを唱えたが、外交を通じた中国との問題解決に必要以上に期待を寄せ、また気候変動協力など少し趣の異なる課題も俎上に載っていたところがある。)
トランプ政権は、中国の先端技術が経済、さらに軍事力の基盤として今後の米中関係の運命を決するとの恐れを強めており、さらに中国の政治的影響力が民主主義を基盤にした国際秩序の足元を揺るがしているとの感覚を強めている。
この数ヶ月、各省庁はアメリカの競争力、安全保障への懸念から、それぞれが目指す規制を形にしつつあり、連邦議会でも新たな対中規制スキームを模索する向きがある。
2018年夏の国防授権法に2018年外国投資リスク審査現代化法(FIRRMA)が盛り込まれ、対米外国投資委員会(CFIUS)は権限が強化され、アメリカへの直接投資の審査体制が変わることになった。さらに輸出規制改革法も同様に成立し、エマージングテクノロジー(革新を今後引き起こす可能性のある技術)及び基盤的技術を管理する枠組みも強化されることになった。
前者は主として米財務省が仕切るが、後者は商務省産業安全保障局が所管する。エマージングテクノロジーに関連して、昨年末までパブリック・コメントが募集された。政府閉鎖の影響は定かではないが、一部報道によれば春には新しい規制が発表される。ほかに司法省も、サイバー攻撃による技術窃取などへの対応策を本格化させており、12月にも米政府を狙った2名のハッカーを訴追した。
もとよりワシントンには正月気分というものはあまりないが、ワーナー(民主党)とルビオ(共和党)の両上院議員は1月4日に連名で法案を提出しており、そこではホワイトハウスに新たに、重要技術(クリティカルテクノロジー)と安全保障を所管する部署を設置するとされている。法案では、この部署が省庁横断的に技術管理の旗を振るだけでなく、グローバル・サプライ・チェーンへの依存見直しを含む長期戦略を構想するとされている。(大きな動きについて、“Trade warriors US and China race for technology of future”, Financial Times, 21st of January, 2019.)
さらに、次世代通信網5Gから中国製の通信設備を排除するよう民間通信企業に求める大統領令が今週(2月第2週)にも発表される見込みだという。(“Trump likely to sign executive order banning Chinese telecom equipment next week” Politico, 7th of February, 2019.)
今問われているのは、安全保障のためにどれほどまでの経済コストを社会が引き受けるべきなのか、ということだろう。安全保障の論理からいえば、優位を保ち、技術と情報を守るために経済合理性は二の次となる。しかし、グローバル化によりキャピタル(資本)とヒトの移動がここまで深まり、サプライチェーンは複雑に入り組み、さらに先端技術開発はオープンな形式で行われることも多い現代において、果たして規制とはどうあるべきかという議論が、細部で詰められている。
気にかかるのは、サプライチェーンから中国を閉め出すべきという、いわゆるディカップリング論だ。当初は極論と思われていたにもかかわらず、最近勢いを持ち始めている。分野を絞り、より受け入れやすい形の議論に変化しているようにもみえる。
アメリカの国内規制といってもその影響は、日本はじめ多くの国の産業に影響する。たとえば、半導体分野は日本、韓国、台湾の各企業に深刻な打撃を与えかねない。
各国が合意した国際ルールの形成ではなく、アメリカ政府の規制により多くが実現されていく状況は、いわゆるルール主導の国際秩序とは異なるが、アメリカでのビジネスという人質を抱えた企業にとって選択肢は限られている。
ところで、ベトナムでの米朝首脳会談に合わせる形での米中首脳会談の可能性は低くなっている。トランプ大統領は90日間の交渉期限である3月1日までに習近平主席と会うことはないだろうという趣旨の発言を行った。(トランプ発言も交渉戦術の一環かもしれないが。)
中国側からすれば、北朝鮮問題も一つの交渉材料に、米中関係を立て直す機会を狙っていたとも言われる。1月に金正恩委員長の再度の訪中が行われたことも、中国がアメリカの圧力をかわす材料を確保しようとしている動きとみられた。
3月1日までに米中首脳会談が行われるか、または期限を越えても関税を発動せず交渉期限を先伸ばすかなど、すべての可能性はオープンだ。2月中旬のライトハイザー米通商代表、ムニューシン財務長官の訪中による交渉に加えて、米株価の動きを含め市場からの圧力も効いてくるだろう。
対中強硬論が政官軍を問わず広く共有されるにいたった対中交渉の流れを変えられる、唯一の人物は大統領その人だ。それはアメリカ第一を標榜する経済ナショナリストにとってすら裏切りの可能性もあるが、大統領にとって成果と喧伝できる「取引」を得ることはなにものにも代えがたい。
しかし、トランプ大統領が反転させられるのは、「貿易戦争」とも評された表面的な米中交渉に過ぎないのではないだろうか。今春以降も官主導の規制は粛々と具現化していくだろうし、議会をはじめとした中国警戒論を解くことは容易ではない。
換言すれば、対中交渉と対中政策の分離がひろがっていく、ということだ。トランプ大統領の動きだけで米中関係を分析できる段階は、すでに過ぎ去りつつある。
(筆者に近い視点として、ジリアン・テット「米中経済に『鉄のカーテン』」『日本経済新聞』2019年2月7日も参照して欲しい)
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