令和の時代がはじまり、安倍政権は2019年6月7日に初代首相の伊藤博文を抜いて歴代第三位の長期政権となります。世界情勢が大きく変動する中で、歴史的な視座から日本政治、および国際政治の動きを注視することは、これまで以上に大きな意義があるのではないでしょうか。政治外交検証研究会は、日本政治外交史研究と、国際政治史研究の近年の研究動向を回顧しながら、最先端の研究により何が明らかになり、どのような課題が残されているのかを考察する研究会を行いました。
※本稿は2019年6月に開催した政治外交検証研究会の議論、出席者による論考をもとに東京財団政策研究所が構成・編集したものです。
発表者:五百旗頭 薫(政治外交検証研究会幹事/東京大学大学院法学政治学研究科教授)
通史を書いてみて
私が日本政治外交史の動向を語るというのは僭越の極みですが、私と奈良岡聰智さんの共著で『日本政治外交史』(放送大学教材、2019年)という教科書を刊行したばかりなので、反省の弁を述べる位の資格はあるだろうと思います。この本の狙いをお話しした上で、その不足点を乗り越えるための議論を模索するという視角から、最近の研究動向をご紹介したいと思います。
本書を執筆した2018年は明治改元から150年目にあたる年です。研究が緻密化する中、これだけ長い期間の通史を一人で完成させるのは大変です。だから共著なのですが、二人の個性ものびのび発揮したいと思いました。そこでお互いの個性に合わせて担当の時代を割り振り、競争して良いものにしようと考えました。戦前「形成期」・戦後「形成期」を五百旗頭が、戦前「展開期」と戦後「展開期」を奈良岡さんが執筆するというもので、著者の個性を通じて、四つの時期の個性も浮かび上がり、150年を一望する一つの試みにはなっただろうと楽観しております。
他方で、このように五百旗頭→奈良岡→五百旗頭→奈良岡という順番で執筆したことにより、異なる時期をまたがる論点について掘り下げることは―いくつかの工夫はしましたが―、充分にできませんでした。今日は、そのようなテーマを二つ取り上げたいと思います。
一つ目は、「利益政治(注:地方への利益誘導を引き換えに集票するという営み。同著p.196より)の前史をいかに位置付けるか」という問いです。戦前史を研究する多くの研究者の動機の一つに、自民党長期政権に象徴される戦後の利益政治の起源を理解したい、ということがあります。しかし昨今、この利益政治が弱体化しています。とすれば、前史としての戦前の捉え方はいかに変容してきたのか、考えるべき時だろうと思います。
二つ目は、政軍関係に関する近年の研究動向です。というのも、冷戦崩壊後の国際情勢の中で、北朝鮮や中国をめぐる安全保障問題がより強く意識されるようになっています。この問題に対処する基盤として、政軍関係の歴史を理解することが一層、重要になっています。
利益政治の前史をいかに位置付けるか
利益政治の起源への探求を跡付けるために、「前史派」「非前史派」「小前史派」という整理はいかがでしょうか。
前史派とは、利益政治の前身が明治時代に成立したという考えです。代表的な論者である三谷太一郎氏、有泉貞夫氏や坂野潤治氏は、自由党~政友会に利益政治の前身を見出すという手法で議論を展開しました。
ただ、戦後の利益政治には戦前をはるかに超える規模や包括性があります。そうすると、近代の政治発展を理解するためには、利益政治にこだわりすぎない方がいいかもしれず、非前史派が登場します。伊藤之雄氏や小宮一夫氏は、地方利益の誘導にももちろん関心を払うのですが、それ以外の、主に条約改正問題を争点として、伊藤博文ら藩閥政府と自由党の接近を描きました。私は、利益政治に対してより抑制的な改進党~進歩党を研究することで、戦前における複数政党政治の形成を理解しようとしました。
しかし、現在の利益政治が収縮する中で、この程度の規模であれば明治時代からやや似たようなことをしていたのではないか、という見方も再びできるようになったのではないでしょうか。このような見方をする論者を、小前史派と呼んでみましょう。
前田亮介『全国政治の始動』(東京大学出版会、2016年)の指摘の一つに、自由党が全国の治水要求を情報として収集し、まだ統計調査能力の弱かった藩閥政府を補完する機能を果たしたことがあります。自由党に統治能力そのものが備わっていたわけではないですが、各地の行政需要をとにかく取りまとめてくる能力が評価され、伊藤以外のルートも含めた藩閥政府との接近が実現したという筋書でして、限定的な利益政治前史といえそうです。
日本の財政が非常に苦しくなったのは日露戦争後です。この時期を扱った伏見岳人『近代日本の予算政治』(東京大学出版会、2013年)は、鉄道を中心に、自由党の後身である政友会がどう地方利益を統合し、実現していくようになったかを詳しく論じています。ただそれは当然にできたわけではなく、桂太郎という好敵手がいました。伏見氏によれば、限られた財源の中で地方要求を喚起し、財政が許す範囲内で応えるという実務能力は、桂や側近の後藤新平の方に備わっていました。桂らと緻密な予算交渉を積み重ねることで、政友会も成長していくのでした。
小前史派は小規模な利益政治があったと指摘するだけでなく、そもそも利益を認知するある決定的な枠組みが明治期にできた、と論じようとしているように見えます。地域社会に内在して、この画期を見出そうとした研究に松沢裕作『明治地方自治体制の起源』(東京大学出版会、2009年)があります。同書によれば、明治地方自治制の成立とその時の町村合併は、近世のムラを究極的には無視したものですが、だからこそ機能してしまいます。合併によって恣意的に設定された町村は、全国の市場経済と躊躇なく接続します。そして全国の利益との結合や対比の中で自らの地方的な利益を発見し、主張するのです。
都市の利益を研究している池田真歩氏の以下の記述は、私のいう小前史派の問題意識を反映しています。
「いわゆる名望家秩序に依拠した党勢拡張は、各地に固有の在地的な要望に応えることで成ったわけではない。むしろ、名望家層がそなえる在地性を均質的な欲求に吸収しうるような方向づけの仕法が見出されたことこそが、党勢拡張に大きく寄与したのであった。」(池田真歩「地方社会と明治憲法体制」『アステイオン』90(2019年5月))
小前史派として名前を挙げた人々は世代も近く、お互いの研究のこともよく理解していますが、一つの学派としての意識があるわけではありません。だからこそその問題意識に親和性が見られるとすれば、それは同じ現代と対話しているからだと思うのです。
盛り上がる政軍関係研究
政軍関係の通史として、戸部良一『逆説の軍隊』(中央公論社、1998年)は定評があります。
政軍関係の動揺について、かつては陸軍内の派閥対立を中心に議論される傾向が強かったのですが、北岡伸一氏は、一つの官僚制として把握する視角を打ち出しました。皇道派は派閥でしたが、「統制派」は一派閥というよりは陸軍組織そのものであり、派閥性、より端的には政治性を希薄にした陸軍が、いわば無自覚に組織利益を主張するようになったと展望しています。官僚制の生命線は予算と人事ですが、大前信也氏の一連の研究は、陸軍の予算問題を精緻に解明しています。
また、軍令部門、つまり参謀本部が暴走したというかつての見方に対して、軍政部門、つまり陸軍大臣が優位に立っていて、1920年代までは概ねコントロールできていたという見方が有力になりつつあります。小林道彦『政党内閣の崩壊と満州事変』(ミネルヴァ書房、2010年)は、軍政、あるいは首相・外相・蔵相や与党を含む政治の側が優位であったことを強調した上で、中国情勢の変遷とともにこの政治の側の一致がどう崩れていくかを緻密に検討しています。森靖夫『日本陸軍と日中戦争への道』(ミネルヴァ書房、2010年)は人事的に軍政の側が優位に立っていたことを示した上で、30年代にそれがどう崩れていくかを議論しています。
海軍研究も蓄積されています。海軍歴史保存会編『日本海軍史』(第一法規出版、1995年)全11巻のシリーズでは、第一線の研究者が詳細かつ明快な通史叙述を試みています。
畑野勇『近代日本の軍産学複合体』(創文社、2005年)は、イギリスをモデルにした軍産学複合体がいかに日本で成立したかを解明した、極めて興味深いものです。海軍がいち早く軍産学複合体をつくったため、戦時期の経済統制においてこのシステムを活用せざるを得ず、海軍の自立性や拒否権が存続し、不徹底な統制に終わったことが指摘されています。
以上のような動向を踏まえると、利益政治と並ぶ一つの軸として、科学あるいは技術の発展が重要になってきている印象を受けます。沢井実氏は、『近代日本の研究開発体制』(名古屋大学出版会、2012年)において、第一次世界大戦期から1950年代までの研究開発体制について包括的な研究を発表されています。
先に利益政治をめぐって取り上げた政党政治についても、科学や技術の視点が組み込まれつつあります。法科出身者中心、内務省中心の官僚制が地方利益に応答していたのが、1920年代の政党内閣期に各省のセクショナリズムが強まり、統制が難しくなったことは、既に知られていました。若月剛史『戦前日本の政党内閣と官僚制』(東京大学出版会、2014年)はさらに一歩踏み込み、各省がどのように内務省に離反するようになったかを、逓信省などの現業官庁に着目して明らかにしています。こういう研究も、現代との対話の所産ではないでしょうか。
◆続きはこちら→第2回 前編「国際政治史研究の動向」