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【書評】『日米地位協定』山本章子著(中公新書、2019年)

November 17, 2020

評者:五百旗頭薫(政治外交検証研究会幹事/東京大学大学院法学政治学研究科教授)

日米安保条約を支持しつつ問題点を指摘する

本書は日米地位協定の概説である。

戦後日本の外交・安全保障は、日米安全保障条約(以下、日米安保条約)に深く規定されてきた。だが日米安保条約の条文自体は、ごく短いものである。実際に在日米軍について詳しく規定しているのは、日米安保条約に付属する、地位協定である。在日米軍やその基地は、一方で日本および周辺地域の安全保障に貢献しているという評価を受けつつ、他方で深刻な事故や公害の元凶として批判を受けてきた。

今日、日本人の多数は、第9条を含む日本国憲法と、日米安保条約と自衛隊という、緊張をはらんだ諸条件を受け入れているようにみえる。これは、平和と安全と経済発展という、同時に達成するのが容易ではない価値を達成するための、知恵なのかもしれない。ところが地位協定について考え始めた瞬間に、日米同盟の難しさや暗部が視野を覆い、この知恵が動揺し、色あせるかのような印象を受ける。この印象はどこまで正しいのか。よく知りたいテーマである。

本書は、日米安保条約を支持しつつ地位協定の問題点を指摘するという立場から、なるべく客観的に論じようと努めている。かつ内容が複雑でしばしば無味乾燥な協定を、あくまでわかりやすく説明しようとした。この2つの要請を満たした書物はなかったように思う。多数の書評に恵まれているが、当然であろう。

目次は下記の通りである。

 

第1章 占領から日米安保体制へ―駐軍協定

第2章 60年安保改定と日米地位協定締結―非公表の合意議事録

第3章 ヴェトナム戦争下の米軍問題―続発する墜落事故、騒音訴訟

第4章 沖縄返還と膨大な米軍基地―密室のなかの五・一五メモ

第5章 「思いやり予算」の膨張―「援助」の拡大解釈

第6章 冷戦以後の独伊の地位協定―国内法適用を求めて

第7章 沖縄基地問題への注目―度重なる事件、政府の迷走

終章 日米地位協定のゆくえ―改定の条件とは 

地位協定と合意議事録の成立

以下に、内容を要約する。

第1章は地位協定の前身である日米行政協定について説明している。サンフランシスコで平和条約と日米安保条約が締結されたのは、195198日であった。在日米軍の特権の具体的な内容は、1952228日締結の行政協定で定められた。

行政協定の問題点は、①駐留の規模・場所・期限に制限がないこと、②占領期の特権がほぼ維持されたこと、③年15,500万ドルの防衛分担金が日本に義務付けられたこと、である。

米軍関係者への裁判権をめぐる交渉は、さらに時間がかかった。日本は、既に19516月に調印されていた北大西洋条約機構(NATO)軍地位協定と同様の権利を望み、同協定が発効すると、これに合わせて米軍関係者の犯罪の第一次裁判権を行政協定第17条の改正という形で獲得した(1953929日)。だが日本は「実質的に重要な」事件を除いて裁判権を行使しないことを、日米合同委員会において非公開に声明した。

第2章は、日米安保条約の改定と地位協定の成立を扱っている。

岸信介内閣の求める日米安保条約改定交渉に応じるにあたって、米軍部が課した条件は、行政協定を改定しないことであった。だが日本国内の圧力と、西独駐留軍をめぐる補足協定交渉の影響から、日本は行政協定の改正も要請せざるを得なくなった。そこでは、厳しい条件闘争を強いられた。

防衛分担金の廃止はすぐに決まった。だが第3条(基地の管理権)、第5条(米軍の移動)、第17条(刑事裁判権)をめぐる交渉は難航した。日本は地位協定に関する合意議事録においてこれらの条文とは異なる運用を約束した。通関・労使関係についても妥協を強いられた上で、1960119日に新日米安保条約と地位協定が調印される。

安保改定に対して安保闘争がわき起こった。新しい条約の是非に議論が集中したため、付属の地位協定については十分に議論しないまま批准することになった。 

運用の問題

地位協定は運用にも問題が多い。第3章では、米軍が地位協定上の十分な根拠なく基地外で訓練していること、ヴェトナム戦争期に厚木基地などから離着陸した米軍機が大きな騒音と多数の墜落事故を起こしたことを記す。

ヴェトナム戦争による財政悪化もあり、米国は基地の整理縮小を進めた。だが横須賀はかえって第七艦隊の母港となり、厚木は海上自衛隊へと返還されたものの日米共同使用となり、米軍機は日本法の規制を受けることなく運用されている。

沖縄の基地はどうであるか。第4章は沖縄返還によっても沖縄の基地の縮小は15パーセントに過ぎなかった経緯を、米軍部内の予算確保の要請にも触れつつ説明している。

1972515日に沖縄の施政権が米国から日本に返還された。同日付で日米合同委員会は五・一五メモを作成し、基地の使用条件などの詳細を定めた。これは非公開であったが、返還後の米軍の訓練ぶりが地元の理解と齟齬する中で、すぐに存在が暴露された。日本政府が返還基地を少しでも大きく見せようとした結果、五・一五メモで民用地の一時使用を大きく認めたことが混乱の一因であった。

また、後継の田中角栄内閣においても、やはり基地を少しでも縮小するために、地位協定第24条(接収費や地主補償を除く駐留経費を米国が負担)にもかかわらず移転経費は日本側が負担するという解釈(「大平(正芳)答弁」)が採用される。

経費の問題は、第5章で主題的に扱われる。

沖縄返還時、日本側の経費負担についても密約(柏木・ジューリック覚書)が交わされ、後に「思いやり予算」に発展する。「思いやり」予算は額と対象費目を拡大していき、労務費や光熱水料のように地位協定では正当化不可能な対象については、時限的な特別協定を繰り返すことで支出された。

1990年代に日本が不況に陥ると、思いやり予算の上昇は止まるが、かわって普天間基地等の返還や米軍再編に関わる沖縄特別行動委員会(SACO)関連経費や米軍再編関係経費が増大する。 

「合意議事録の撤廃を」

日米地位協定の今後を考える参考に、第6章では冷戦終結後のドイツとイタリアの地位協定運用の例を取り上げている。

統一後のドイツは、国内法令を順守させ、環境保全原則を謳った新補足協定の締結に成功した(実効性に疑念も呈されているが)。だが裁判権については、「重大犯罪」を一次裁判権放棄の対象から除外するにとどまった。

イタリアでは1995年に各基地に共通のモデル協定が結ばれた(基地ごとの個別協定は非公表で存在)。NATO域外派兵の拠点という地の利を生かし、ここでイタリアは基地管理権も獲得した。ただし、有事にはNATO軍地位協定が適用される。米軍が有事とみなしたボスニア平和維持活動(PKO)中に起きた1998年の痛ましい事件(低空飛行中の米海兵隊機がスキー場のゴンドラロープを切断し、乗客20名が死亡)は、イタリアの世論を激高させた。

これに対して、日本はどうか。第7章によれば、日本政府は地位協定の改定に消極的である。

199594日の少女暴行事件を受けて地位協定第17条の運用見直しが行われ(「重大事件」では起訴前の米兵の身柄引き渡しを米国側が好意的に配慮する)、防衛庁の提案でSACOが設立され、そこで普天間返還が決まった。

しかしその後繰り返される米兵犯罪において、上記の運用見直しが適用されない場合があり、かつ米軍による環境汚染の実態も次々と明るみに出た。沖縄県は繰り返し地位協定の改正を提案するが、日本政府は普天間基地の県内移設の促進といった対症療法に終始した。

20159月に環境補足協定が成立するが、基地内の環境調査の要件が限られており、かえって制約が大きくなったといえる。

20164月、元海兵隊員による沖縄県うるま市殺人事件が起きた。1213日にはオスプレイ墜落事故が起きたが、米軍は現場検証のガイドラインを守らなかった。これらの事件を受けて翁長雄志知事は地位協定改定案を公表した。翁長の要請を受けて2018728日には全国知事会が地位協定の改定を含む「米軍基地負担に関する提言」を全会一致で採択した。

著者は終章において、地位協定の弊害を軽減するための提言に踏み込んでいる。日本の世論が米軍を必要と認めていること、日本の人権状況に欠点があり、また防衛関連の法律の整備が不十分であることを指摘した上で、協定を改正するのは困難であろうし、そもそも協定の対等性だけに着目しても問題は解決しないと述べる。だが、協定の解釈や運用を強く規定している、合意議事録の撤廃は要求すべきであるとする。 

パンドラの箱にしないために

本書への基本的な評価は、冒頭に述べてある。本書は、目立たないところが暗部なのだ、という洞察に貫かれている。なるほど平和条約から在日米軍の末端的な取り決めまでを展望するならば、寛大といわれる講和と同時に短い日米安保条約が結ばれ、改定された新安保は対等性を高めた。その下で地位協定が在日米軍の特権を定め、これを合意議事録のような公式・非公式の付属文書や運用が確認・補強する。だから著者の追及は、合意議事録の廃止にまで迫るのだ。

合意議事録は地位協定成立と同時に公表されているので(例えば「新協定の合意議事録全文」『朝日新聞』1960120日)、密約とはいえないが、体裁の悪いことは目立たないところに追いやろう、という考慮がしばしば働いたというのは、うなづける。

本書のもう一つの長所は、米国内、特に軍部の対日強硬論も努めて叙述していることである。ならば、米国内からの批判を避けるために、同様の考慮が米国側の交渉担当者をとらえることもあったであろう。

例えば税関検査(第11条)である。行政協定が米側に認めていた、物品の税関検査からの免除は、地位協定においても概ね継承された。ただし、この特権を濫用しないことを米側は約束し、そのことは合意議事録の方に記されている。

労務(第12条)についても似たことがいえる。地位協定成立の折、米軍関係の労務は日本政府を通じた間接雇用とされた。日本の法令による保護が従事者に及びやすくするためである。そのための手続きは付属文書で規定されたが、間接雇用であるというそもそもの規定は協定本文から外された。

米側に有利な規定を、体裁の域を越えて合意議事録が損ねてしまっていることもある。地位協定第17条第9項は米軍人・軍属とその家族が被告の場合に、「自己に不利な証人と対決する権利」を認める。強姦事件において、被告に不利な証人とはしばしば原告である。日本の裁判所は、原告=被害者の心情に配慮して対決を認めないことがある。実は合意議事録が、日本国憲法と同等の保護を与えると謳ったため、1969年の裁判において米国人の被告は対決する権利を行使できなかった。国務省の法律顧問はこれをとらえて、合意議事録を作成する際のミスであると断定している(Futterman to Forman, 1969.07.02, Letter【アメリカ合衆国対日政策文書集成XIII】石井修・我部政明・宮里政玄編『日本外交防衛問題1969年・日本編』第8巻、柏書房、2003年)。

つまり合意議事録は日本側のみならず米側にも不利をもたらすことがある。だからましとは限らない。地位協定・合意議事録はただの暗部ではすまない、見通しのつかないパンドラの箱となり、日米ともに不満を抱きつつおいそれと改正を提起できないものとなってしまったのではないか。

安保体制とでもいうべき重層的な日米の取り決めを、各階層間の齟齬も視野にいれて把握し、その未来を考えるべきである。このような思考へと多くの読者を誘った点に、本書の最大の功績がある。この書評はその一証左に過ぎない。

    • 政治外交検証研究会幹事/ポピュリズム国際歴史比較研究会メンバー/東京大学大学院法学政治学研究科教授
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